西洋中世の民衆の生活を活き活きと蘇らせた歴史家・阿部勤也によれば、「ハーメルンの笛吹き男」は欧州の至るところで近似した伝説が見られるという。その起源についてはペスト流行による子供たちの大量死亡説から、少年十字軍説、移民説など諸説あるが、日本の民俗学にいう「まれびと信仰」もこれに近似したものかもしれない。余所者がある日ムラにやってきて笛で鼠を川に誘き寄せて退治するが、村人が報酬を与えなかったために、ムラ中の子供たちを連れ去ってしまう、という伝説である。
夏を盛りの炎天下の昼下がり、イセザキモールで開催された恒例の「氷の彫刻コンクール」に足を運んだ。これは、ホテルを中心としたレストランの厨房職人が年一回、式場に花を添える氷柱の彫刻の腕を競うものである。約30人ほどの職人の方々が50分という限られた時間の中で見事な手際で氷の造形を作り上げていく。

相手は「氷」である。脆く欠けやすいという致命的な素材の特性を持っている。従って、鋸や鑿で一度欠いてしまった細部の修復は不可能となる。更に、氷は解けてしまうものである。限られた時間の中で手際よく仕上げなければならない。そして、折角苦労して削り上げた作品は、氷解し、姿を変え、やがては水へと還ってしまう。形をととのえて造形した後に、融けて丸味を帯びた形へと変化していく時間の経過さえ、その美を量る大きな要素となっている。
制作開始の10分後から作品完成までの間、イセザキモール1、2丁目のほぼ1キロの街路に散在した「アトリエ」を何往復したか分からない。1メートルもある氷柱を鋸で削り氷像の大枠を掴み、後は数種類の鑿で細部を仕上げていく。炎天下のこと、その間にも氷はどんどん融けていく。その変貌する形象と過ぎ行く時間との闘いなのである。
50分後、終了の合図が放送されると、30本の氷柱は見事に、そして儚い一瞬の美の中に輝いていた。当初あれほど荒削りに見えた作品も、細部の意匠が施され、水を滴らせながら次第に優雅な曲線を形作っていくのだが、それさえも、ものの30分もすれば、形も知れぬただの塊と化してしまい、やがては水溜りとなってしまう。この観る時の限られた、贅沢で儚い美術展を堪能することができた。
何故、氷の彫刻を見て、「ハーメルンの笛吹き男」を思い出したのだろう。一瞬の造形に一心不乱に鑿をたてる職人の方々の手捌きはまるで魔術師のようである。そして見る者を瞬時に虜にし、その足跡は何も残さない。見る者はあたかも、笛の音に我を忘れた鼠のようであり、そして無垢な子供の心のようでもある。やがて、一瞬の風とともに、何事もなかったかのように、街は鎮まるのである。
涼を誘う、夏らしい風物詩である、と思う。