秋。晩秋である。
ブログを休んでいたこの11ヶ月、私は空白の時間を過ごしていた。年明け早々に新型コロナウィルスに席巻されてしまった世界。3月より約5ヶ月間、「基礎疾患」の罹患者である私は怯えるように外房の里山の書圃に疎開し、息を潜めるようにコロナ旋風の通り過ぎるのを見守った。この間、不如意にも帯状疱疹を患ったり飛蚊症に悩まされたりしながらも、筍を掘ったり鶯や蜩の声を聴いたりしながら里山の四季の移り変わりをひっそりと楽しんでいた。
9月には東中野の住処を横濱・元町の旧居に戻した。認知症の母の見守りのために元町を離れて8年。その母も昨年3月より実家近くのグループホームに入所してその生活にもすっかり慣れたのを機に、賃貸と賃借の契約の替わり目に仮住まい生活を精算し元の住処に戻ることにしたのだ。思えば生涯12回目の引っ越し。若い頃には苦も無く寧ろ新たな邂逅への期待に心弾んだ程の転居も、この齢ともなれば体力の限界。引っ越しはもう、これを最後としよう。

こうしてこの11ヶ月、身辺にはいくつかの出来事があったにも拘らず空白の時間が過ぎていったように感じるのは、やはりコロナ禍で人との接触機会が減ったせいなのだろう。幾つかの仲間グループとの定例の飲み会も何時とはなく無期延期となり、既に定職を持たぬ身には嫌でも顔を合わせねばならぬ職場の仲間もない。書圃に籠って読み耽る本は累々と重なっていった。
そんな私に10月も半ば、昨年と同様にオリーブ収穫のボランティアへのお誘いがやってきた。ある知人の紹介で、小豆島に自営のオリーブ園を持っているTさんの下で例年11月の上・中旬にオリーブの収穫のお手伝いをするのである。
小豆島を初めて訪れたのは3年前のことである。現役時代に溜まりに溜まったクレジットカードのマイレッジの消化にと、中国地方の瀬戸内海沿岸を旅行することにしたのだ。広島に入り、尾道、倉敷を経て岡山より小豆島に渡り高松に抜けるという旅程であった。最後に小豆島行きに拘ったのは、吉村昭の『海も暮れきる』を読んで尾崎放哉終焉の地をどうしても見ておきたかったからである。岡山からフェリーで土庄港に入り土庄の西光寺別院・南郷庵(みなんごうあん)にある放哉の墓参りをしながら「咳をしてもひとり」の作者を偲んだ。

私のブログでこの紀行文を読んだ知人が、知り合いのTさんのオリーブ園収穫の手伝いをしているので一緒に如何か、と誘って頂いたのが昨年秋のことだった。一抹の不安を抱えながらTさんにお目に掛かるとその人柄にすっかり魅了されてしまった。Tさんは小豆島の出身だが商船大学を出て船乗りになる夢を抱いたものの視力が弱く断念、大阪に出てIT関係の会社を立ち上げた。しかし時間に追われる生活に嫌気がさして本社を小豆島の実家の近くに移すとともに出資者の仲間たちとオリーブ園の経営を始めた。既に小豆島には井上誠耕園や東洋オリーブといった大手のオリーブ園が存在するが、敢えて大量生産ではなく有機(低農薬)栽培に拘った手作りの高質なオリーブの少量生産を貫いている。つまり、大農園ではヨーロッパ式の機械収穫を行うところが多い一方で、Tさんのオリーブ園では手摘みの収穫を大切にしているのだ。Tさんの魅力とは正にそのポリシーにある。
その畑は土庄港と池田港の中間、瀬戸内海越しに遠く高松を望む南向きの丘の中腹にある。既に林と化してしまった休耕地の段々畑をTさんがコツコツと開墾しながらオリーブの苗を植えていった。大きく三段に分かれた畑を下から順番に開墾していき、3年物の苗を植えたオリーブも下段では既に樹齢6、7年の7メートルを超える大木に育った。Tさんは本業の傍らオリーブ育成に関わる研究を重ね、土地改良を加え施肥を行いその収穫量が年々増えていく有様は、手にとるように分かる。更に、本業のIT技術を使って地中・地表温、湿度、雨量、日照などを計測してオリーブ収穫に必要な気象データの収集にも余念がない。

そんなオリーブ畑に今年も収穫の時が来た。5、6人の仲間たちと未だ朝露に濡れたオリーブ畑に立つ清々しさ。男たちは脚立に乗って大きく伸びたオリーブの先端の実を捥ぎ、女たちは手の届く高さの実をちぎる。農薬を極力使用しないため炭疽菌に侵された実を択る必要があるのが難しい。炭疽菌のついた実を収穫箱に入れておくと一晩の内に菌が箱内に繁殖して健康な実まで汚染されてしまう。特に身体に害を及ぼすものではないのだが、オリーブオイルの質を維持するために、炭疽菌に侵された果実は搾油業者に拒否されてしまうという。収穫の半分を破棄した年もあるそうだ。
収穫にも慣れてきた頃、晩秋の陽は東側の林の樹々より上り朝露も消えて乾いた風がオリーブの枝にそよぎ始める。20キロ程も入る収穫箱が4箱ほどにもなった頃、Tさんが準備してくれたお弁当を上段の畑に上って海を見ながら頂戴する。地元では「銀波」というらしい静かに凪いだ瀬戸内の海が、やや西に傾き掛けた太陽に眩いばかりに輝いている。地中海性気候に育まれたオリーブの木にとって太陽こそが生命の源泉。小豆島の半ばに位置するこの南向きの斜面はまさに、その太陽が「ふたつ」、本物の太陽と瀬戸内海の鏡のような水面に照り返す太陽がこのオリーブの木たちに降り注いでいる。私はたわわに実ったオリーブの木々の向こうに輝く瀬戸内海の銀波を眺めながら、このオリーブ畑を「ふたつの太陽のオリーブ畑」と密かに呼ぶことにした。仕事を再開するとまたオリーブの収穫に集中するうちに、西の林に西陽が落ち真っ赤に染まった海に夜の帷の降りる頃、一日の収穫が終わる。

Tさんのオリーブ畑はこうして5、6人でほぼ2日を掛けて収穫が完了する。オリーブオイルは果実の収穫から搾油までの時間をいかに短くできるかでその香りと味わい、鮮度が決まってしまうので、大人数で集中的に収穫してしまう必要がある。来年はTさんの土地改良の努力とオリーブの木たちの生育によって更に収穫量が増えることだろう。苦労の絶えない農業の醍醐味はここにある。そして冬を迎える前に絞り上がった新鮮で香り高いオリーブのひと瓶が今年も我が家にも送られてくることだろう。
今年の10月で離職して丸3年が経過した。「次に何をするか」と迷走してきた気がするが、ふと思い至ったのは「自分のやりたい仕事を選ぶ」ことの歓びだ。報酬の多寡は問題ではない。36年間のサラリーマン人生とは違う、自ら選択した仕事。やりたくないことをやらない、それだけでも人間は如何に幸福になれるだろう。多分、定年後の仕事の意義とは此処にあるに相違ない。
「ふたつの太陽のオリーブ畑」は私にそんな大切なことを教えてくれたような気がする。