エッセイ


千里如面 ― 懲役36年の後始末 ⑪

投稿日時:2019/11/12 21:46


 私の愛読書の一冊に、山本周五郎 『季節のない街』 がある。黒澤明の映画 『どですかでん』 の人間描写の素晴らしさに嵌り込んで、その原作を読んでみたら、これが驚くべきことに原作に極めて忠実に製作された映画であることが分かった。どぶ川縁に沿ったあるスラム街に棲む人びとの人生の断片をオムニバス風に描いた作品である。掃溜めの街に似つかわしく、人生を踏み外した一癖も二癖もある貧しき人びとの慎しくも逞しい、そして少しほのぼのとした生活が描かれる。登場人物はしかし、よくよく考えて見ると私たちの周囲に何処にでもいるようなキャラクターのデフォルメに過ぎないように思えてくるのが、山本周五郎の見事な手腕である。

 因みに、この作品を書いた晩年に近い山本周五郎は、当時、横濱・本牧に住んでいた。山本はスラム街を描いた本作品の発表がモデルとなった街の人びとの差別に繋がることを忌避するために、敢えてこれを公表していないが、現在の根岸湾に注ぐ掘割川河畔の風景ではないか、と言われている。今はすっかりと整備された掘割川の川縁を歩いても、その面影は一切感じられない。
  さて、その 『季節のない街』 の登場人物の一人に「たんばさん」という老人がいる。このスラム街の変人たちの中にあって、彫金師をしていてこの街唯一の訳知りで、困ったことがあると皆んな相談にやって来ては彼の底知れぬ寛容に慰撫されたように帰っていくのだ。そこにある年寄りが相談にやってくる。昔は大店の呉服屋の主人だったが戦争で家族も店も失い、今や落ちぶれた行商に身をやつし、醜悪に老いた自身を嫌悪して「死にたい」という。たんばさんは、この老人に彫金に使う劇薬だと偽って解熱剤を与えると、老人は何の逡巡もなくこれを飲み干してしまう。今でも家族が夢枕に立つという死を目前としたその老人の独白に 「生きていればこそだね……おまえさんが生きているあいだは、その人たちも生きているわけだ。」 と言うと、老人は慌てて解毒薬をよこせ、とたんばさんの胸ぐら掴んで叫び、今度はたんばさんが胃腸薬を与えると、それを飲んで安心したように帰っていく。……人間が生きていく上で愛すべき人の記憶が如何に大切なものか、をこの逸話は教えてくれているような気がする。
 耳順を迎え一旦仕事上の関係を離れると、少なからず 「人間の絆」 について考えさせられるものである。幸いにも私は佳き先輩との交誼を多く結ばせて頂いた経緯から、定年後の彼らに接する機会にも恵まれた。妻子の居る家庭をも顧みず三十有余年我武者羅に仕事に邁進してきた彼らの多くは、定年後の居場所も家庭の中に見つける術もなく、かといって孤立すれば鬱病に陥るのは目に見えて、共通の趣味の同好の士を探しだし、家庭の外に自らの居場所を作っていることが多かった。こうした打算を超えた人間関係の緒が会社人脈の延長線上に見出せた者はまだ幸せなのかもしれない。気心の知れた者同士、お互いに励まし合いながら老後の孤独に耐える彼らの姿を目の当たりにして、涙ぐましいものをつくづくと感じさせられた。
 だが、私はいま少し醒めた目で見ていた。所詮、会社がらみの人間関係は多かれ少なかれ利害や打算に裏打ちされたものに過ぎない。八十有余名の同期入社者も、一見共同体のような素振りを見せながら、所詮はライバルとして多くの裏切りや背信をこの36年間、目にしてきた。一歩先んじて役員になった同期に昇進の手を差し伸べて貰うという情実人事の醜悪な風聞を耳にすることも少なくはない。勿論、私自身は、誰か有力者の派閥に属して引き立てて貰おうなどとは毛頭考えたこともない(それを老婆心ながらと諭した同期入社者もいたものだが)。周囲に余りにもそうした戯画的で滑稽な光景が蔓延していたせいかもしれない。
 ただし、社内の知己でも、仕事の上で死ぬ程の苦境を共にした同僚や先輩は例外である。特に海外拠点で血反吐を吐くような思いで共に闘ってきた同僚・先輩とは、未だに「戦友」としての交際がある。勿論、その矩を超える付き合い方はお互いにしないというのが、こうした戦友たちの流儀ではあるのだが。
 結局、利害・損得の絡まない交際というのは学生時代の友人、ということになるのかもしれない。進学校として名を馳せた都立高校での三年間は私にとっては人生最悪の無味乾燥に彩られた季節であったが、そこで唯一無二の親友に恵まれたのも、彼と九十九里や佐渡ヶ島の無謀ともいえる徒歩旅行で限界に近い苦楽を共にしたせいだったのかもしれない。やはり人間の絆を強固にするものは、こうした「逆境の共有体験」なのかもしれない。
 「千里如面」。二匹の魚が対面する中にこの四文字が刻まれた封緘を私は使っている。どんなに遠く離れていても気心の知れた二匹の魚は同じ海の中で面前に対峙している如き気持ちで居られる。「魚心あれば水心」の水を介した一種の以心伝心といっていいのかもしれない。無論、封書を差し向ける人の中には極めて事務的に書簡を記す者も少なくはないのだが、親しき人に書簡を認める時の気持ちは、正にこの「千里如面」である。愛すべき人を東日本大震災の犠牲者として喪失した「遺された者たち」は、あたかも生きているその人に手紙を送るように「漂流ポスト」へと手紙を投函する。「平均寿命六十◯歳」と冗談のように語られる私の所属した会社には、やはり現役で亡くなった愛すべき先輩が多勢いる。いや、不思議なことなのだが、私の愛すべき先輩は、寧ろ存命の方よりは現役で亡くなられた方の方が相対的に多いのかもしれない。「いい人は早死にする」というのも、ここにひとつの真理として存在しているのかもしれない。
 このような性格なので、勿論、親しくさせて頂いている友人、先輩、同僚はごくごく少ない。しかし、冒頭ご紹介した「たんばさん」の逸話ではないが、生死を問わず私の心の中に生きている多くの愛すべき人びとは、いつも私の生のあり様の励みとなっている。勿論、私自身、今後何年生きられるか分からないが、これからも新たな巡り合いの中で「千里如面」となるべき関係が生まれていくことが、楽しみでならないのだ。



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