唐変木・懐中日記

2018年

1月

8月に定年を控え、既に前年の11月よりフリー勤務に入っていた。認知症の母の見守りのために、横濱・元町の家を賃貸し東中野の実家の近所にマンションの一室を賃借して6年、日を追って母の認知症は手に負えなくなっていき、日常は次第にこれに割かれていくようになる。にも拘わらず、2年前の暮に引渡しを受けた、いすみ市岬町の書庫兼書斎との二重生活が始まっている。

<1月1日・月曜・曇・6℃>

大晦日、実家にて母に食を供す。白石*1より新橋「酛」のおせち差入ありて此分を実家に配す。裕子*2胃痛にて中座し帰宅。元旦、母呼び手自宅にて十一時より祝餐。例年に倣ひて中野「四季音」の二重を楽しみたり。何時もなれば時折を見て母辞せるが、午後二時を過ぎて漸く促されて辞したり。認知症進みて時間感覚衰へ往くものと見ゆ。賀状追加分十六通を加筆し、母宛八通を代筆して投函す。読書なく無為。

*1:高校時代の親友

*2: 家人

<1月2日・火曜・晴・4℃>

夕刻、坂本・萱島家*1にて祝餐す。義父仏前に線香供せり。義母は近隣の施設より車椅子にて一時帰宅し、食後施設近隣に気遣いて早めに去れり。大晦日に高円寺にて買い求めし四等級の牛肉にてスキヤキ食せり。約一キロは多かりしかと憂へども、あっさり完食す。事前に準備せし割下は義母の健康も思慮し薄目に作りたるが幸いせしと覚ゆ。義姉よりウィスキー・ローヤルの干支ボトル、年男なれば贈らる。裕子、調子芳し。

*1:裕子の実家(坂本)ならびに同居する義姉夫婦(萱島)の家。


<1月3日・水曜・快晴・8℃>

佳く晴れたるも風強く寒し。新聞紙上にて無料募集せし「松竹歌舞伎映画」の招待券を得て、銀座東劇にて鑑賞す。二代目吉衛門の「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」なり。敢へて舞台を映画とせし事に一抹の疑義持ち居たれども、吉衛門による語り明晰に伝はるべくカメラワーク佳く構成されおり、亦舞台よりも役者の表情ありありと撮りたりて感興あり。シネマオペラに倣ひたるものなるべし。鑑賞後、建設より三年経ちたる銀座東急プラザを訪ね、気に入りし食器類を求む。仲々趣味宜しき店多しと覚ゆ。年賀状新たに五通を追記し投函す。

<1月4日・木曜・快晴・8℃>

招待券を得て大映映画「女優祭」を角川シネマ新宿にて鑑賞す。京マチ子主演、昭和二十六年製作の「偽れる盛装」なり。脚本に新藤兼人、音楽・伊福部昭、など後年の名作スタッフ連なり古色を感ぜず。偶々招待券を得らずんば生涯巡り合ふ事なかるべき邦画なり。本日より仕事始めなれど、電車混雑なく実質的な仕事始めは明日なるべし。明日よりの書圃滞在に備へ、帰宅後、母用にビーフシチュー作りたり。書圃向けの荷二箱作りて明日発送を裕子に委託す。成田貴吉氏*1より郷土史原稿届きて書圃に持参して読みたる算段なり。

*1:父方伯父の孫。津軽・浪岡にて林檎園を営む。

<1月5日・金曜・曇後雨・8℃>

東中野よりいすみ市岬町桑田の書圃・唐変木へと移動す。此度は、腸の精密検査の為裕子同道せずして、正午頃書圃に辿り着きたれば、室内の温度計三度の最低温度を振り抜け極めて寒し。エアコンの暖房点けしが、二十度に至る迄六時間掛りたり。この間寒さに身震えたりて読書能はず。書圃到着時、江戸勘*1の主人其の母に出会ひて、新年の祝辞交わすに、国吉*2にては今朝方雪降りしと聞きて、当地の寒冷を識りたり。午後六時頃より晩餐独り食し、鍋にて部屋を暖むるなり。外はしとしとと雨降り続くも雪解けに至らず。DVD『喜劇列車』観て早々に就寝す。

*1:書圃の南西側にある江戸前寿司店。双子の兄弟が店を切り盛りする。

*2:書圃より西南約20キロにある、いすみ鉄道・国吉を中心とする市街。江戸勘の兄家族が住む。

<1月6日・土曜・晴時々曇・11℃>

書圃二日目。昨日の寒さ和らぎて日常の生活に戻りぬ。午前九時過ぎには自宅より送り出したる荷物到着したれば開梱す。実家にありし岩波の「芥川龍之介全集」全十二巻及び観る事なきビデオ類をクローゼット並びに書棚に収蔵せり。今後母の介護見据えて実家に残されし本の収蔵書圃にて増えるらむと覚ゆ。好天なれば前回訪問時に設営したる屋外自転車置き場の仮支柱を外したり。工事に瑕疵なく支柱自立す。午後「中法ニュース」三月号原稿準備の為、徳岡孝夫『横濱・山手の出来ごと』の再読を続けたるも、原稿構想纏まらず苦慮す。夜、水炊きにて早めの夕餐を独り済ませ、黒澤明『どですかでん』観たり。幾度観たるも名作なり。

<1月7日・日曜・晴・10℃>

裕子、義姉と箱根温泉旅行。義理姪・麻衣子の謝恩とのこと。中法ニュース原稿*1執筆のため、徳岡孝夫『横浜・山手の出来事』の再々読を終了す。カリュー事件*2をもとに明治30年頃の横濱外国人居留地のヴィクトリア朝的価値観を描かんとす。題名並びに構成を定め、明日執筆に入るべし。終日、書圃に籠りて運動量尠なきにも拘わらず三食に及べば、体重減らず正月に4キロ増えし儘なり。心中、原稿の事にて一杯なれば、DVD映像観たる興も湧かず、終日音楽許り聴くのみ。明日は荒天の由なる予報あり。

*1:横浜中法人会の月報「中法ニュース」に寄稿中の『横濱・コスモポリタンの群像』3月号原稿。1月下旬締切。

*2:明治29年に横濱居留地で起きた、イギリス人カリューがその妻に毒殺されたとする事件。

<1月8日・月曜・曇後雨・13℃>

朝より曇天の憂鬱なる一日。昨夜、原稿のシノプシス出来たれば安眠を得て8時間半眠りたり。9時より食事も摂らず午後2時迄執筆を続け第一稿を得るなり。カリューの墓碑銘より「浅瀬のざわめき」と題し、「小さなヴィクトリア朝の殺人事件」と副す。略三千字埋めたれば後は推敲にて済むならむ。勤めし時は片手間にて執筆せし処なるも、時間余る中で原稿書きたるは其れなりに気遣いて疲れたるも不思議なり。裕子より連絡あり。箱根寒く風邪を得たれば、今晩狛江の実家に泊るといふ。母の介護気に掛りて心安からず。

<1月9日・火曜・晴風強し・16℃>

昨晩より風雨強まりて風の音にて早朝目覚めたり。午前より晴たるも風終日止まず。書圃周囲の竹林揺れたり。生鮮品尽きたれば午後バスに乗りて太東・石田ストアー*1迄買い出しに往く。母、デイサービスの日なれば朝、起床促す電話掛けたり。裕子、狛江より午前中に自宅に戻りて夕刻、母の様子伝えむとのメール来たるも続報なく不安なりしが、母デイサービスより帰宅後疲れて既に寝入りたれば、会話交わさずと夜になりて連絡あり。作り置きしシチュー食したるも、好物の麦酒飲みたる形跡なしと伝へ来し。終日、恩田陸『蜂蜜と遠雷』読みて過ごしたり。

*1:太東駅近くにあるスーパー。

<1月10日・木曜・晴午後風強し・13℃>

実質的な書圃最終日なれば、掃除、洗濯、身辺整理行へり。14日の根本教室読書会*1備へ、葛西善蔵『子をつれて』並びに恩田陸『光の帝国』に関する書評纏めたり。在京の裕子は、明日、大腸の精密検査なれば病院指定の検査食を終日食す由。午前中に書評纏め、午後より改めて『蜂蜜と遠雷』に没頭したるに、午後3時には頭疲れたれば、DVDにて映画『喜劇・団体列車』観て和みたり。冷蔵庫の食材用いて常夜鍋作りて庫内整へり。明朝、帰宅支度を期し早く起きむと欲したれば、8時前には就寝したるなり。

*1:前年に通った朝日カルチャーセンター「実践小説教室」の講師・根本晶夫氏の受講者による読書会。1ヶ月に1回を定例とした。

<1月11日・木曜・晴・10℃>

いすみより東中野への移動日なれば早朝5時起床したりて、塵整理等身辺整へたり。9時半の市の巡回バスにて太東駅に出るに際して、江戸勘の母と挨拶交はせし処、火、水と暴風に依りて寿司種入らずば店休めりと言ふ。場所柄なりも気儘な商売に稍驚きたり。裕子、終日大腸検査の為自宅不在にして、帰宅後、実家の郵便受に受領したる2通の返礼賀状認め投函す。スーパーにて買物し、母用のカレーシチュー作り置きたり。夜、検査終へたる裕子と中野北口にて待ち合はせ、1年振りに「第二力酒蔵」*1の暖簾潜れども、店の人びと顔忘れたる事なく歓迎受けたるは嬉しきなり。裕子の検査結果も特に所見なく胃腸薬の処方受けたるのみなる由、安堵せり。

*1:中野駅北口近くの割烹風居酒屋。

<1月12日・金曜・晴・7℃>

朝、暮に予約したる理容室「プラスパー」*1にて散髪す。理容師・T氏、御宿の出身なれば外房の話題交はして和めり。氏曰く、大原にマダカ鮑なる人面大の大鮑ありて1キロ5万円程したるも極めて美味なる由にて食指動かさる。午後は整骨院往きてより戻れば、中法ニュース原稿を仕上げたり。締切24日なれば未だ推敲を繰り返したり。実家の母にシチュー届け其の様子伺ひたるに、元気なる様子にて安堵す。裕子は狛江の義母入所施設にてケアマネ打合せ終日に及びたれば、夕刻、ノンブル・オー*2の故M氏を偲ぶ会を新子安「諸星」にて催されたれば此れを訪ぬ。T夫妻、I夫妻等、元町時代の旧交を暖めたり。創業者の孫なるI氏に横濱植木会社のインタビューを申し入れたるは、「横濱紀航」*3の記事と為さんむと目論みたり。

*1:東中野で常連となっていた理髪店。

*2:元町の商店街の街づくりを共にした印刷物等制作会社でM氏の経営になるもの。7年前にM氏は急逝した。

*3:横濱元町在住の大澤秀人氏の主催する郷土史誌。M氏に誘われ創刊後暫く寄稿していた。

<1月13日・土曜・快晴・7℃>

昨夜痛飲したれば宿酔にて終日無為に過ごせり。寒波迫りて晴れたるも窓外寒々しく屋外にも出でざりし。裕子風邪気味にて臥したれば、居間にて恩田陸「蜜蜂と遠雷」を読み継ぐ。本屋大賞、直木賞のダブル受賞の作品なれば、テンポも佳くまた読み易く引き込まれたる物語なり。発表時は文芸誌に各章毎に連載し、後に全体を書き直す独特の作風と覚ゆ。各章を記す際も全体の物語構成意識せざるを得ぬ故、これはこれで難易度高き作業なるべし。久し振りに休肝日と為せり。

<1月14日・日曜・快晴・7℃>

「蜜蜂と遠雷」読了す。午後3時より実践小説教室・根本教室読書会あれば書圃滞在中に作成したる書評完成させて持参す。課題図書は、恩田陸「光の帝国」並びに葛西善蔵「子をつれて」、参加者は主宰のH氏、小説教室重鎮のT氏、奥様作家を目指すH女史、Y女史の5名。新宿ルノアールの会議室にて月一度を目途に開催さる。恩田陸につひては「エスパー物」として文学的評価定まらず、主題の「常野物語」の物語性定まらずと合評されしたが、同点は「蜜蜂と遠雷」にて改められし点を指摘せり。葛西は馴染みなき作家なれど、大江健三郎激賞せしとの話材あり。帰宅後、風邪気味の裕子と外食し其の疲れを癒せり。

<1月15日・月曜・晴・12℃>

寒気一旦去りて暖戻りたり。例年暮に亡父の仏壇に参じたる共助氏*1、母と連絡取れぬ故年改まりて実家を訪ぬ旨の連絡あり。午前中、裕子、実家を訪ね掃除・洗濯して其の訪問に備ふ。此の間、自宅にて母用のミートボール・シチュー作れり。その後、母を駅前の東中野クリニック(飯国医師)に連れ往き4週分の投薬処方を得て薬局に巡る。午後3時、共助氏実家を訪ね亡父仏壇を拝す。その後母と1時間許り談笑す。母何時になく整然と対応するも矢張り繰り言多し。共助氏三鷹の自宅への帰路、共に中野に出でて「第二力酒蔵」にて杯交す内、氏の長兄亡くなりて浪岡*2に墓守なく、早稲田・来迎寺*3の墓所の件前向きに検討したき由を聞きぬ。

*1:従兄弟。亡父の長兄の次男にして、上京・出版社への就職に際し亡父がその面倒を見た。

*2:亡父の実家、青森県北津軽郡浪岡町(現、青森市浪岡町)

*3:亡父が生前より探した自らの墓所。早稲田・夏目坂上にある浄土宗の寺院に隣接する。子供がいないため無縁仏となることを避けるために、共助氏家族にこの墓所を使ってもらおうと提案したもの。

<1月16日・火曜・快晴・13℃>

11時より整骨院を訪ぬ。稲田先生、肩・背中の懲り酷き故に首に1ダース程の鍼打ちたれば楽になりたり。23日よりの書圃滞在に備え、裕子共々新宿ビックカメラにて買物に出でたり。無料配送サービスありて店内分散して買物したるを集約配送能ふも、肝腎の物干竿販売せざれば無用となりぬ。帰宅後、終日「中法ニュース」3月号原稿に推敲重ねたり。書圃に発つ迄に送る予定なれば未だ時間に余裕あれば度々となれり。セレスエステート*1より元町キャニオンマンションの要補修箇所の写真送付あり。20日に現地に赴きリフォーム業者との打合せアポ作れり。

*1:母の介護のために横濱・元町に所有するキャニオンマンションの賃貸管理を委託している地元の不動産会社。この時点でテナント募集中で内装に手を入れることを勧められていた。

<1月17日・水曜・曇後雨・10℃>

裕子と新国立劇場中ホールにて「近松心中物語」観劇す。宮沢りえ、堤真一の演技然る事乍ら脇固めたる小池栄子の熱演に瞠目せり。元は蜷川幸雄の演出と心得るも、其の亡き後井上ひでのりが継ぎたる由。舞台美術に格子状の黒き大箱3体を見事に活かし、極めて効果的なる演出に感嘆せり。舞台跳ねて後、同敷地、東京オペラシティギャラリーにて「谷川俊太郎展」を観る。詩人の展覧会を如何に構成せるかと覚えしが、詩のバナーの樹立する中、詩人の身近なる本、置物、音楽、手紙等其の詩を構成せしエッセンスを感受せしむる演出興味深し。謂はば「言葉の遊園地」とも評すべし。バスにて中野に出でて「四季音」*1にて季節料理コースを愉しめり。

*1:中野駅南口近くの大衆割烹。

<1月18日・木曜・晴・11℃>

芥川賞受賞作、若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」読了。根本小説教室(早稲田エクステンションセンター)の同窓なれば親近感あり。東北弁駆使したる小説なれば吾津軽弁の記憶に共鳴し、文体心に沁みたり。青春小説ならぬ「玄冬小説」なる新語生まれけむ。M氏*1と約ありて、3時より中野北口にて昼呑す。義兄のT氏*2、数ヶ月ペルーに貧乏旅行に近々向ふ予定と知らさる。M氏自身も子息独立し、素人役者を満喫したる由。嘗て離婚の危惧ありし記憶あるも、奥方とも円満の様子なれば安堵す。第二力酒蔵を皮切りに、味治、よ蔵、加賀屋を梯子した挙句、午後9時に中野駅にて別れたり。強かに酔えど楽しき日なり。

*1:会社の元先輩。既に定年退職し素人役者を余生に楽しむ。

*2:M氏の妹の夫。亡父の高校の後輩にあたり亡父の出版社への就職の労をとった関係でその結婚式の仲人を両親がした。偶然M氏の義弟であることが、M氏との交際の契機となっている。

<1月19日・金曜・晴・10℃>

前日の痛飲の為午前中宿酔のため無為に過ごせり。昼前、昨日作り置きたる手作りカレー食した後、中法ニュース3月号原稿を仕上げ横濱中法人会宛送付す。裕子、実家に母の様子見に往きたれば、下着汚したる故に此れを洗濯するに1時間余を要せり。火曜に持込みしミートボール・シチューは間食し、麦酒この数日求めし形跡なし、との事。手作りカレーを裕子持込めり。裕子戻りてより、上野国立科学博物館常設展にて展示さる「南方熊楠展」を観に往けり。科学博物館の展覧会なれば、熊楠の業績評価の解説にやや理解難しき点あるも、遺品等揃いて興味深し。「百年早かった智の人」なる副題的確なるべし。休肝日となしたり。

<1月20日・土曜・晴・10℃>

昨年11月より空室となりし元町キャニオンマンションの管理会社セレスエステートのH女史並びにリフォーム会社のN氏と現況確認しつつ補修の見積りを依頼す。北側部屋の壁一面の貼換へ、キッチンの総取替へ、バスルームの補修を要するなり。特にバスルームに付きては全体をユニットバスに替へたるには50万、部分補修ならば30万程度とN氏概算せり。何れ選択すべきか見積書にて検討すべきなれど、将来の事慮れば全体100万円程掛けて補修し、危惧ある箇所一掃して此の分賃貸価格上げたる要あるべし。元町仲通りを歩きて、K氏、I夫人*1と挨拶を交わして帰宅す。

*1:何れも以前共に街づくりで知己となった商店主。

<1月21日・日曜・晴・12℃>

此の処外出多ければ、終日自宅籠りたり。速水司法書士*1より母の成年後見人登記事項証明書の法務省より取寄せたるコピー受領す。これを以て、司法書士は母所有したる預金口座等資産調査を開始し、其の変更権限を有したる上にて、残高確認、振替に依る後見人支援信託への資産移動を行ふものなり。審判より2ヶ月後に家裁に初回報告書提出の要あらば、2月14日迄には、資産状況報告書の提出を要するなり。19日に横濱中法人会に提出したる原稿を若干の修正を加へ再送付したり。午後、母用に牛肉のトマトジュース煮を作り置きし間、裕子実家の様子見に往きたり。相変わらず下着汚したる問題ありぬ。明晩より降雪激しくならむとの予報なれば、書圃往きを一日前倒しせむと決す。

*1:前年に開始した、母の成年後見人手続きで東京家庭裁判所より指名された司法書士事務所。高田馬場に事務所を構えている。

<1月22日・月曜・曇後雪・5℃>

朝、速水司法書士より電話ありて、家裁より付与されし権限に依りて母の口座残高確認したる処、三菱UFJ銀行より通帳持参の要ありとの申し越しありし由。高田馬場の司法書士事務所迄母名義の三菱、みずほ銀行の通帳持参せり。午後2時より実家にて母の介護ベッドの搬入の事前打合せあり。設置せる実家居間のサイズ確認の上、30日午後の搬入依頼す。居間狭ければ其の書棚移動を要し、事前に対処すを要す。打合せ終わりてより午後3時頃裕子と書圃に移動せしが、降雪深まりて電車遅延したるに加へ、各企業早退促せし様子なりて電車内はラッシュアワーの様相を呈せり。上総一宮に5時半に辿り着きたれば駅前のタクシー既に出払いて10分程雪中に二人佇む。深き雪積りたる中タクシーに乗りて書圃に至れば、到着後鍋作りて温まりたり。

<1月23日・火曜・晴・12℃>

低気圧太平洋に去りて一転佳く晴れたり。いすみは積雪1センチ程なれど、東京23区は20センチ積りたる由。朝より燦々と太陽照りて積雪融けたり。母デイサービスの日なれば実家門前の雪心掛りなれど、無事に通所したる連絡あり。昨日自宅より書圃宛送り出せし荷物、雪のため終日届かずヤマト運輸より連絡もあらず。一方でビックカメラより配送依頼せし荷は郵便にて無事に到着す。終日読書三昧にて過ごせり。裕子、体調思わしからず2時間程も午睡取りたり。夕餉は常夜鍋となしたり。昨日持込みたる生鮮食品既に尽きたれば、明日、国吉迄バスにて買出しを要するなり。

<1月24日・水曜・晴・12℃>

終日書圃にて読書勤しめり。斉藤成也「日本人の源流」読了す。DNA解析による日本人祖先の特定なるも特に新しき発見なく陳腐なり。科学者の割に大胆なる推論多し。次回根本教室読書会・課題図書、坂上弘「野菜売りの声」読み進めたり。内向派作家なりて真理描写読解に難儀したり。月曜日に雪の為急遽書圃に移動したれば生鮮食品の買足しの要あれば、国吉・スーパー源氏迄市の巡回バスにて往復せり。買物時間30分なるに、店広く商品探し廻れば帰路のバスに飛び乗りたり。中学同級生M女史よりメールありて、ジェラール伝翻訳チェックの要請ありたれば、2月8日昼にU女史*1と3名にて会うを約せり。

*1:2011年、ユゲット・ギュイヤール女史のジェラール伝、『アルフレッド・ジェラール―横濱のシャンパーニュ人』の翻訳を一旦完了したものの、仏語の専門家のチェックを経ずにいた。フランス在住経験のある中学同級生のM女史の仲介で、U女史にその翻訳チェックの依頼を行っていたもの。

<1月25日・木曜・晴・6℃>

厳しき寒波到来との由にて終日書圃に籠りて寒さ凌げり。坂上弘「野菜売りの声」読了す。云はば肉親憎悪の小説にて青春期の自立時に有り勝ちなる心理描きたる作品と見たり。昼、江戸勘の客となりて久し振りに主人と談笑す。芥川賞の話題となりて、同じ小説教室出身の若竹千佐子を紹介す。主人の話術例の如く面白く、いち寿司職人の小説構想したるも一興なりやと覚ゆ。昼より飲酒したれば書圃に戻りて2時間程午睡す。夜、正月に撮り置きしNHK番組より*1玉三郎の「伝心」を観たり。京鹿子娘道成寺の濱枝の壷を教えたるを観て踊りの深淵を識りたり。裕子隊長勝れずと雖も、江戸勘楽しみたる日なり。

*1:書圃には敢えてテレビ受像機を置かず、自宅で撮り置いたDVDを時に応じて観ていた。

<1月26日・金曜・晴・5℃>

実家母の元に美容師来たる予定なれば、裕子此に立会ふべく9時半の巡回バスにて一足先に自宅に発てり。2時半に母の整髪終りたれば、その後新井薬師の婦人科を訪ぬといふ。検査の結果、子宮に異常見られず腹痛は先の医師の診断通り腸の疾病との事なり。本人気を病み続けたれば、此れにてひと安心なるべし。昨日よりの厳しき寒波続きたれば、矢張り終日書圃に籠りて根本教室読書会の課題図書、立松和平「遠雷」読み始めたれば止まる事知らず夜10時に至りて一気に読了す。農業志したる青春物語にして筋立ての緩急も旨く、亦近代化との対比も象徴的に描かれたれば秀作の一なり。酒嗜むも少量にて済みたり。

<1月27日・土曜・晴・7℃>

若干寒さ弛みたると雖も未だ寒さ耐へ難く書圃籠りたり。裕子、実家の母に焼そば作りて持ち寄りたれば、母、紙おむつ洗濯機にて洗ひたる跡ありて洗浄の要ありたりと伝え来たり。朝より2月18日の読書会の書評並びに事前に通告ありし読書アドバイザー養成講座*1の第3回課題を済ませたり。午後より森類を題材としたる小説仕込みの為*2、鷗外「舞姫」ヒロイン実像求めし、六車いちか「それからのエリス」を読み始めたり。彼女、直接森類の子息にインタビューしたりて日在の鷗荘詳しく論じたれば参考となれり。前夜、不整脈生じ眠られずば安定剤服用したれば早朝には治りたり。夕食後、渥美清「拝啓天皇陛下様」のDVD観たり。

*1:前年より受講した出版文化産業振興財団主催の「読書アドバイザー養成講座」。本年3月に第4回スクーリングにて修了となるが、毎回、事前課題の提出が求められる。

*2:森鷗外の長男、末子である森類を題材にした小説を構想していた。

<1月28日・日曜・晴後曇・5℃>

猶寒波滞りたれば終日書圃に過ごせり。実質的なる書圃滞在最終日なれば溜りし洗濯物片付けたり。六車いちか「それからのエリス」読了す。サスペンス仕立にて時を忘れ耽読す。遂に鷗外・恋人エリスの実在発見したる取材力に感嘆したり。次に、小説執筆の参考にと橋本陽介「物語論―基礎と応用」を繙く。小説の形式論なれど構造理解を資くものなりて興味唆らる。昨晩、裕子、義母訪ねたる序に狛江に泊りて今日も終日家族と共にすなり。日頃母の介護に腐心したれば気晴しとなるべし。明朝出立なれば早起きせむと早々に就寝す。

<1月29日・月曜・晴・7℃>

移動日なれば早朝起床し書圃閉めたる準備す。ラジオ体操、シャワー、バス壁の水取り、朝食、塵の整理、掃除、食器洗い、冷蔵庫の整理、荷造りを為して9時半のバスにて帰路着きたり。新宿伊勢丹に寄りて贈答用ムルソー(ブルゴーニュ白)と昼食用弁当2ご個を購へり。昼、裕子と弁当を食し後、裕子は新宿に母の介護ベッド用品を買いに往きし間、介護ベッド搬入の準備に実家を訪ぬ。居間の書棚を納戸に移す要ありて、書棚の漱石、岸田劉生全集は書圃にて引取り、残りは実家2階に移せり。明日の搬入に備へ掃除加へたり。帰宅後、母用のおでん作り置く。夕刻、Y氏*1の退職祝を四ツ谷「花咲き山」*2にてA女史*3と同席す。Y氏持込みしワインを堪能せり。9時過ぎにはお開きとなりて持参せし白ワイン贈りたれば事の外喜びたり。

*1:会社退職時の部署の先輩。2年半の定年延長後の退職となった。

*2:Y氏往き付けの小じんまりとしたフランス家庭料理店。

*3:会社退職時の部署の同僚。

<1月30日・火曜・晴後曇・9℃>

午後より実家にて介護ベッド搬入の準備始めたり。移動要する居間の書棚を収納すべく納戸の荷物整理したり。また積年の埃を掃除機にて丁寧に吸取りて搬入に備ふ。2時、パルシステム*1関連レンタル業者来訪し、書棚移動の後、パラマウントベッド搬入組立を始める。1時間程にてベッド居間に納まりたり。周囲の雑物尠くコンパクトな作りなれば狭き居間にも然程場所取りたる事もなし。夕刻、母ディサービスより戻りたるを実家にて待ち、高さ並びに上半身の立て具合を調整す。母、布団の上げ下げ要せざると聞きて非常に喜びたれば2日間の苦労報われたり。裕子共々終日働き疲れたれば外食にて夕餉済ませたり。昼暖かけれど夕刻冷え来たり。

*1:母の通所しているデイサービスを通じて介護用品のレンタルを行ったもの。

<1月31日・水曜・晴・8℃>

前日介護ベッド搬入にて身体酷使したれば節々痛み朝寝致したり。裕子、整骨院より戻りて好天に誘はれ外出す。錦糸町よりバスに乗りて初めて東京スカイツリーに登りたり。先日営業開始5年を経て、来場者3千万人の報ありし際、近年その数減りつつある由伝ふ。一時の狂乱収まらむと訪ねしものなり。平日の事なりて客数尠く悠然と展望す。晴天と思しきも遠く靄掛かりて、富士山もとより横濱ランドマークタワーも望めぬものの、350メートルの展望台、嘗て経験せざる高さなれば東京の街並み燐寸箱の如くに小さきは掌の中にあるが如し。スカイツリータウンに様々なる雑貨売りて時忘る。帰路、吾妻橋に出てアサヒビール・ビアホールにて寛ぎたり。

2月

<2月1日・木曜・曇後雪・4℃>

夕刻より降雪の予報にて外寒ければ終日蟄居し読書勤しめり。明石順平『アベノミクスによろしく』読了す。政権支持多き若者に向け、アベノミクスの欺瞞を分かり易く暴きたれば、今後の財政破綻の被害者たるべき若者に覚醒促したる啓蒙の書たるべし。フェイスブックの「おすすめの本」*1に書評投稿せり。続きて高橋敏夫『松本清張―「隠蔽と暴露」の作家』を読み始めぬ。早稲田大の文芸評論家なれど「戦後」転じて「戦前」となりし現代日本に警鐘鳴らしたる作家としての清張の再評価は、明石に共通する危機感なるべし。実家訪ねし裕子の知らしむるに作り置きしおでんを母完食したれば、改めてカレー作りて此れを持込みたり。夕、雪降り始めたり。

*1:読書投稿に関するフェイスブックのグループ・サイト


<2月2日・金曜・雪後曇・3℃>

朝より小雪舞ふも予報程の積雪なければ、予定通り「読書アドバイザー養成講座」*1のオプショナル・ツアーにて国立国会図書館に参じたり。14名程、説明員に従ひて館内を見学す。国立国会図書館法に依りて献本を義務付けたれば、現在約3千万冊の蔵書ありて猶年間80万冊の納本あれば、東京本館のみならず関西館を京都府・奈良県境に作りて増築を繰り返したる由。デジタル化進むと雖も原本は破棄することなく保管する建前なれば、其の蔵書減ることなし。帰路新館に立ち寄りて、利用者登録を行ひ今後閲覧を可と為せり。リファレンスも整備され居れば、横濱関連資料も容易に参照能ふべし。明日より2日間、スクーリングの予定なれば早々に就寝す。明朝、定例検査*2なれば、昨日今日と2日間休肝日と為せり。

*1:前年秋より通学していた、出版文化振興財団主催の「読書アドバイザー養成講座」のカリキュラム。

*2:6週間に1度、中野の東京警察病院にて受けていた定期検査及び定期診断を受けていた、慢性腎臓病の定例検査。

<2月3日・土曜・晴時々曇・6℃>

読書アドバイザー養成講座第1日目。朝、定例の慢性腎臓病の定例検査の為、中野の東京警察病院にて血液・尿検査を終えし後、東西線にて神楽坂「日本出版クラブ」へと出向く。第3回スクーリング初日は、イベント並びに書店づくりの講義なり。イベントは新刊書店も経営したる内沼晋太郎氏の読書イベントの紹介なれど、新刊書店のみでは経営成り立たぬ故の副業としてのイベント開催の趣旨なれば、中小新刊書店の自立経営の難しさを改めて痛感したるものなり。南陀楼綾繁氏のセッションは二人の中小新刊書店経営者とのパネルディスカッションにて、猶其の感強く抱けり。本と読書のイベント企画に関するグループ・ディスカッションの発表者として明日、登壇決す。

 定年を8月に控えた2018年元旦より日記を附ける決心をした。その前年11月にはフリー勤務に入り実質的に離職した私は、日常に何等かのタスクが必要と感じたのだ。ひとつは日記、もうひとつは「ラジオ英会話」だった。これらによって少なくとも曜日の感覚を喪失することは避けられる。こう考えて、暮も押し迫る頃、紀伊國屋本店の特設日記売場に赴くと、ふとその中に「博文館・懐中日記」という文庫本より更に小振りな日記帳を見つけた。「博文館」…懐かしい。遥か以前、多感な高校時代の一時期に日記をつけた記憶があるが、あの時も博文館だった気がする。確か十日とは続かなかった筈だが。亡くなった父は博文館の三年日記をつけていたのを遺品の中に見つけた。簡単にその日の行動記録を記したものだが、おそらくは年次毎に訪れる To Do List として活用していたのだろう。味も素っ気もない備忘に過ぎない。私が「懐中日記」を選んだのは、これなら何処へでも持ち運びができるからだ。既に、自宅と書圃との二重生活を始めていたし、これなら旅中も日記を記せる。私は旅に出ると饒舌になる癖がある(紙の上のはなしだが…)。見知らぬ環境が脳を刺激するのだろう。逆に、日記帳を自宅に留め置いて数日分纏めるとなると「止める」ための口実になる。これはいけない。かくして私と懐中日記との付合いが始まった。限られた紙面に記していくので、文体は簡略な文語が便利になる。最初は十数行を記す簡単なものだったが、次第に文字は小さくなり行数は二十を数え三十行にさえ近づきつつある。変哲もない日常を記しているのだが、やがて本人にも読めなくなる(眼と記憶の老化)ことを危惧して、ウェッブ上に留めておく決心をした。永井荷風や山田風太郎には遠く及ばない。だが市井の人の日記も古書店に出回るというから、巷間の興は他人の家中に潜るのに違いない。

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