文筆の際には住所の宛名を含めて「濱」の文字を使うようにしている。中国の簡体字は識字率を高める目的で1960年代に普及したが、これは漢字の本質である表意文字としての自己撞着であり、近年は繁体字への回帰も主張されている。
しかし、これは何も中国だけの問題ではない。実は「浜」という文字も第二次大戦後に日本で発明された簡体字に他ならないからだ。
「濱」の旁(つくり)である「賓」は客に贈る貝から転じて客人のことを意味する。つまりサンズイに「賓」で海辺に打上げられた賓客、つまり「海からの贈り物」(アン・モロウ・リンドバーグ)ということになる。私はこの美しいイメージを大切にしたい。サンズイに「兵」だと、まるでノルマンディ上陸作戦ではないだろうか。
やはり横濱に住んでいて「濱」の文字を大切にしない訳にはいかない。この頃横濱の港沿いにも高層マンション群が建ち始め、エキゾチックな高級感を演出するためか「濱」の文字を敢えて使う物件名も増えている。しかし、住宅基本台帳カードに記載する住所のマンション名に「濱」の字を申請したら区のデータベースと異なる、という理由で却下されてしまった。例えば、JRの「横浜」という駅名を「横濱」に変えるだけで、データベースから看板・印刷物に至る変更に数億円も要するというのだから、この復古運動が認められたとしても、オフィシャルな変更には長い時間がかかるだろう。だからこそ、安易な簡体字は最初から採用すべきではないのだ。
せめて、私信の住所の宛名に「横濱」と書いて、リンドバーグと同様、様々な貝の打ち寄せられる渚に思いを馳せることにしよう。
私は、この曲をエラ・フィッツジェラルドのソング・ブックで初めて聴いて、甘美なメロディととろけるような愛の詞に酔ったが、もともとは、1940年代後半に、日本では余り知られていないマーサ・ティルトンという女性ボーカルが歌って一世を風靡したものらしい。「ベルリン・天使の詩」をきっかけに調べてみたら、歌詞をみつけたので、自分なりの訳詞をつけてみた。
Written by Ziggy Elman(songs) and Johnny Mercer(lyrics)
We meet and the angels sing
The angels sing the sweetest song I ever heard
We speak and the angels sing
Or am I reading music into every word
Suddenly the setting is strange
I can see water and moonlight beaming
Silver waves that break on some undiscovered shore
Then suddenly I see it all change
Long winter nights with the candles gleaming
Through it all, your face that I adore
And though it's just gentle murmur at the start
We kiss and the angels sing
And leave there music ringing in my heart
You smile and the angels sing
And though it's just a gentle murmur at the start
We kiss and the angels sing
And leave there music ringing in my heart
貴方とめぐり逢い そして天使は唄う
天使の歌は聴いたこともない 甘い歌
貴方と語り合う そして天使は唄う
貴方の言葉は まるで天使の歌声のよう
すると 突然辺りの風景が変わりはじめる
海の水面と月光が輝きはじめ
銀色の波が 暗い岸辺にはじき飛ぶ
そして 風景は一変し
冬の長夜の灯は 微かな光を放つ
そんな風景の中の あなたの横顔がいとおしい
貴方が微笑む そして天使は唄う
最初は優しい 囁きだったのに
口づけを交わす そして天使は唄う
胸の中で 天使の歌が高鳴るままに
貴方が微笑む そして天使は唄う
最初は優しい 囁きだったのに
口づけを交わす そして天使は唄う
胸の中で 天使の歌が高鳴るままに
2011年2月27日のよく晴れた日、日本建築家協会(JIA)主催の「建築家と歩く 山手建築巡り」に参加した。いつも歩き、見慣れた山手の洋館も、建築家の視点を通すとまた違った楽しみ方ができるのではないか、と思ったからである。これはJIA神奈川が毎年開催している「横濱建築祭」のいちイベントである。
実はこの前々日、同じ「横濱建築祭」のPecha Kuchaなるイベントのプレゼンテーターとして参加した。これは、20枚のスライドを一枚20秒でプレゼンするというもので、誰がどんなテーマで話をしてもいい。この参加は、元町クラフトマンシップ・ストリートの理事をされている建築家、櫻田修三さんのお誘いで、霧笛楼の今平茂シェフや横濱増田窯の増田博一社長もプレゼンされた。
ルールは簡単だが、20枚のスライドの構成にストーリーを持たせ、しかもこれを20秒づつで説明するというのは結構難しい。パワーポイントで20枚のスライドを作成し、20秒で切替え練習しながら、下書きを5回も書き直した。無駄を省き、ひとつの言葉の重みが増していく。少し概念的な説明をするときには、わざと挿絵風のスライドを繋げて説明の時間をつくる。こうしてプレゼンの工夫も身に着く。(☛「A.ジェラールの航跡」にスライド公開中)
プレゼンテーターは、前記ご両方以外に、建築家はもとより、舞踏家、デンマークの家庭菜園を紹介するデンマーク人、と多彩で、いかに建築というジャンルが様々な領域との連関を持つかが分る。唯一私だけがクリエーターではなかったが、皆さん興味深く耳を傾けてくれ、ドリンクタイムにはいろいろな建築家の方と楽しいコミュニケーションをとることができた。
そしてそのお一方が、建築家の笠井三義さんだった。「山手建築巡り」のインストラクターである。山手234番館からスタートして洋館を巡り、百段から水屋敷を経て一周するコースであったが、その資料の素晴らしさ、建築を語る視点の歴史的な深さ。建築家にも、これほど横濱の歴史と街を愛する方がいらしたのだ、と認識を新たにした。水屋敷ではジェラールについての解説もさせて頂いた。
そんな中、有志が村田さんの追悼文集を出版することになった。村田さんは博識者である上に抑制の効いた巧文家だったので、本来は彼が「仲通りメール」等に執筆した原稿を集めた遺稿集とすべきなのだろうが、匿名の編集者であった村田さんの原稿は特定することができない。有志は、故郷の北九州の高校の新聞部時代の友人にまで声を掛け、追悼文から村田さんの人柄を焙り出す方法を選んだ。編集者であった私の父が死んだ際に、やはり「遺稿集を」という周囲の誘いに対して、私自身が提案した方法と図らずも同じだった(私の転勤で、こちらは実現しなかったが)。
その追悼文に寄せた村田さんへのレクイエムである。それはまた、街づくりに賭けた彼自身の情熱に向けたレクイエムでもある。
先ずは「コスモポリタンの系譜」がある。モームに始まり、ヘミングウェイ、開高健、ゴーギャン、ゴッホ、ロバート・キャパ、星野道夫。その支流に「根無し草の系譜」がある。西行、芭蕉、山頭火、尾崎放哉、山崎方代、西東三鬼、尾形亀之助。永井荷風はその中間くらいか。そもそもの生物学への関心がある。最近では福岡伸一。愛する名著は本川達雄の「ゾウの時間 ネズミの時間」。広く社会学関連の本も多い。宮台真司、香山リカは同世代。上野千鶴子。ぺてるの家関連。
文学では漱石門下の内田百閒が面白い。ひと昔前は石川淳、泉鏡花は美文の師。太宰好きの父に似て、私小説。車谷長吉は「赤目」以降の大ファン。西村賢太という逸材も出てきた。アートでは、NYクイーンズで生涯ニートを通した、ジョゼフ・コーネル。箱の宇宙を創った男である。シュール・レアリズムから表現主義まで。エルンスト、マグリット、ミロ、ダリ、クレー、ルドン。
そして愛する横濱郷土史。ジェラール関連をはじめ、港、船、都市発展、そして開国史・近代史。特に近世と近代の狭間に生きた人々の記録。吉村昭の歴史小説。そして荷風から派生したレトロ。川本三郎、小林信彦。歌舞伎、文楽、落語。そして異文化に挟まれた人々の記録。姜尚中。
支流まで辿るときりがない。そんな私の抽斗から、思いつくままに断片を取り出してみよう。