商店街振興組合 元町クラフトマンシップ・ストリート

 そもそも何故、街が好きになったのだろう。最初は「人嫌い」が原因だった。子供の頃、両親の間が険悪な雰囲気になると、いたたまれなくなって子供ながらに家を飛び出した。建てかけの家に忍び込んで夜を明かそうと考えたりした。やがて私は街を歩きだした。街を歩くと何故か心が和むようになった。夕暮れ時、商店街に近い路地裏を歩くと、勝手口から夕餉の支度をする俎板の音と、飯を炊く竃の香りで胸が熱くなった。鍵っ子だった私には手の届かぬ家庭の団欒だった。まるで寅さんの科白に似ている。確かに私の放浪癖はこのとき始まったのかもしれない。
 こうして街歩きが好きになった。仙台徒歩旅行の修行を経て、街への土地勘は冴えていった。知らない街に入ると地図を片手に街中を歩きまわる。どこでも目にする駅前の大規模店舗の列を少し路地に入ると旧い建物の並ぶ商店街が残る。少し嗅覚を働かせると目前に飲み屋街が現れる。旧い住宅を見ることは少ないが、旧い商店街は不思議と名残を止めていることが多いのだ。道を尋ねたり物を買ったりしながら、街の人々との会話を楽しむ。こうして「人嫌い」の私は「街好き」に変わった。
 学生時代には都市社会学も齧った。街には聖俗が表裏して内在する。公私が混在する。神社の祭りに的屋の出店が出て、参詣道の脇に遊郭が並ぶ。入社後の未来プロジェクトでは、ビジネス街における屋台の研究をした。こうして街は深みを増していった。そして、ひょんなことから元町の「裏通り」商店街の街づくりのお手伝いをすることになった。
 外国文化との接点の中で発展した歴史を持つ元町の人々はオープン・マインドだ。だから海外で10年も働いて浦島太郎化した身には住み心地がいい。街づくりを通じて、そんな元町を愛する人々を多く識るようになって、改めて街は人によって作られることを痛感した。街はそこに住む人の顔である。だからいい加減なことはできない。子供を育てるのと同じような気持ちで街づくりを考えなくてはならない。
 こうして「人嫌い」は人間好きへと回帰していく。街をひと回りして私は「人間へ」と戻ることができた、のかもしれない。
2000年11月、第一回目の「元町小町フードフェア」が開催された。元町仲通り会(現 商店街振興組合 元町クラフトマンシップ・ストリート)の主催による、街おこしの本格的稼働である。もともと「仲通り」は「裏通り」のことを言う。これを「小町」と言い換えたは妙案であったが、確かに、仲通りは小町と呼ぶに相応しい上品なイベントを考え付いた。流行りのB級グルメではない。仲通り会の飲食の各店舗が、腕を奮った自慢の一品を「サンプリング」の感覚で廉価でしかも手作りで提供しようという本物志向のフードフェアなのだ。顧客づくりのPRの妙案である。そして小粋な演出は、宵闇の仲通りに間接光の「ぼんぼり」の列を配したこと。この間接照明のちょっとぞくぞくするような妖しげな美しさは、その後の街づくりに活かされることになった。こうして、仲通りの街づくりはスタートした、といっても過言ではない。
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