エッセイ


中華街の怪

投稿日時:2012/07/29 04:48


 アルフレッド・ジェラール研究で発見したことだが、横濱中華街の形成は、開港後の列強外国人達が言葉の壁を乗り越えるために、上海、広州から通訳として中国人を日本に連れてきたことに始まる。当時の日本人には漢文の素養があったからである。この中国人達を「買弁」という。
 実はジェラールの煉瓦・瓦工場の工場長もこの買弁出身の中国人だった、という話は本サイトの「アルフレッド・ジェラールの航跡」シリーズ4をご覧頂きたいのだが、ジェラール商会自体も現在の中華街にあった。バンド188番、現「山下町公園」前である。この場所は開港当時、フランス人居留民に割り当てられた土地の一部で、ジェラール商会もフランス人の梁山泊と化していたらしい。
 さて、元町のジェラール工場跡から故あってこの中華街、ジェラール商会跡のすぐ近所に住むこととなって、中華街の華僑の方々と半ば生活を共にすることになった。春節に始まり、媽祖祭、関帝廟の祭り(関羽の生誕祭)、国慶節と賑やかさには事欠かないが、とにかく驚かされるのは食に対する飽くなき情熱である。
 NY勤務時代にピアノバーで知り合った中国人(当時には珍しく人民共和国の出身)の女性に「何故、中国人は世界中に中華街を作るんや」と尋ねると(勿論、英語のコミュニケーションである)「そりゃ、中華料理が中国人の活力の源泉だからやで」とニンニク臭い息で熱くお答えになった。至極名言である。先ず自らの文化と生活の基盤となる「食の場」を確保すること、これが華僑の鉄則である。
 一方で、中華街を歩かれた方は既にお気づきの通り、この街は保守的でもある。中華街と言えどもう少し別のジャンルの店があってもいいと思う。いくら中華街に住んでいても外食の度に中華料理というのは少々辛い。たとえ、週1回といえど、である。そこで中華料理以外の店を探すことになる。しかし、なかなかない。中華街は保守的なのである。
 華僑の方々は珈琲好きである。だから中華街には以前から喫茶店が比較的多いのが目立つ。舌の肥えた客を相手にしているので、珈琲の評判も悪くはない。寿司屋も数軒あるが、最近になって「築地・すしざんまい」が大通りに大規模店舗を出して話題になった。これもマーケティングの妙だと思うが、中華料理に飽きた地元住民には好評で、開店一年を経て未だに元気である。顔見知りばかりに会うことになるが。
 横濱にはインドからの居留民も比較的多かったことからインド料理も多いが、中華街では「シタール」が本格的なインド料理を楽しめる唯一の店である。
 さて、待ちに待った東南アジア系である。ようやく中華街の外れ(元町寄り)に「ニューベトナム・南国料理」という店ができた。店主は広東出身のようだが、なかなか美味しいフォーを食べさせてくれる。そして、この「スープの店 大喜」である。
 こちらも中華街の外れの本町通り寄りの小さな店だが、薬膳を通り越して、生野菜を水を使わずに煮込んだスープやポトフが評判である。日頃、中華料理の脂に痛めつけられた身体が濾過されていくような気持ちになる。お奨めは、夏場限定の「レモン麺」。フォーに似た食感だが、レモンの酸味が夏バテに効く一品である。
 齢を重ねてくると、中華街も少々、住みづらい場所になってくるようだ。


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