松本、京都と落ち着く街並みには美しい文字が映えている、ということに気付いた。確かに興に任せて無作為に撮った京都の写真のほぼ三分の一は見事な筆さばきの看板である。比喩は危ういが、彫り物がその体を顕すように、街の文字はその住人を顕す。
わが元町の「街づくり協定」では商店が掲出できる看板の高さ、大きさ、色彩に制約を加え街の景観を壊さぬように努めている。今度出店してくる某コンビニも統一ロゴの看板は使用できない。この程度のことならば、今や景観を大切にする横濱の、いや日本の街づくりではほぼ常識の範囲内だが、開港街の裏通り商店街は西洋の香りを個性的な街並みに活かすために「絵看板の奨励事業」を行っている。

絵看板はドイツ語圏がそのメッカであるが、江戸期日本にも立派な絵看板が沢山ある。そもそもは識字率の高くない時代のアイキャッチャーであるが、それ以前に人間の持つパターン認識に訴える強さが絵看板にはある。これにデザイン性が加われば街の景観に統一性とゆとりを与える、という考え方だ。
しかし、と思う。ユトリロや佐伯祐三の描くパリには煩いほどの文字が描かれている。それはおそらく、パリだからだろう。仏語は音感に訴える言葉である。文字でさえ街並みに唄と詩を与えてくれる。一方でドイツ語はロゴスの言葉である。特に前置詞+形容詞+名詞がひっついて一つの単語となるようなドイツ語は意味性が際立って、街並みには煩きこと極まりない。
翻って、元来漢字は象形文字である。いわば文字面自体がパターン認識されるものだ。思えば美しい筆捌きで描かれる看板ほど、歴史ある街並みに似つかわしいものはない。要は文字そのものの存在感の問題なのだろう。無味乾燥な活字体は書かれた意味だけを見る者に迫ってくる。しかし、文字がデザイン性を帯びてくると日本人はそれを右脳で認識するようになる。唄や詩と同じように。

昭和30年代頃までのハンド・ライティングのレタリング看板に郷愁を誘われるのもそのためだろう。三崎港の商店街など、このような看板が風雪に耐えて残っている旧い商店街は少なくない。
今や街の景観にとって文字看板は敵のように扱われているが、意匠性を持った文字看板の復活は考えてみてもいいのではないか、と思う。NYの落書き自体は決して褒められたものではないが、あの意匠性をもった絵文字は立派なサブカルチャーであり、その街の記憶とは切り離すことができない。