エッセイ


路地裏から街は息づく―ソウル路地裏放浪記⑥

投稿日時:2012/07/16 04:45


 シリーズ冒頭にご紹介した『ソウル 路地裏チョンマルガイド』を携えての路地裏放浪記も今回が最終回である。同書に「超上級」と記されたピマッコルに足を踏み入れてみた。数あるソウルの路地裏の中でも最もディープなものだ。露地は人ひとりが通るのがやっとで、それこそ何の看板も出ていないような小さな飲み屋が薄暗い路地に軒を連ねている。煤で汚れたアッパッパを着た鶏殻のような婆さんが、露地の七輪に腰を落として今晩の酒肴となる塩鯖の干物を焼いている姿がある。半開きの扉の向こうを覗くと、7~8人も入れば一杯のカウンターを裸電球が照らしている。婆さんが鯖を焼いている七輪の周囲の路面は永年落とされた油で真っ黒だ。
 入口さえ見過ごしてしまいそうな狭隘なこの露地の名は、避馬(ピマ)から来ている。大通りの鐘路(チョンノ)を貴族達が通ると庶民は道に伏せて敬礼をしなくてはならない。そのために路地裏に馬を避けるための場所を作ったというが、ご他聞に漏れず道に平伏すことを忌避したものだろう。いわば「反骨」である。
 そんなピマッコルを探検しながら考える。いわばチョンノはタテマエ、ピマッコルは庶民のホンネである。日本も韓国も西洋文明という異文化を摂取してきた近代化の過程で、このホンネとタテマエは表裏の関係を次第に引き裂かれていく。深い溝ができてくる訳だ。こうして昼間は今やグローバル企業となった企業戦士として激務をこなし、夜はピマッコルで焼き魚にマッコリでホンネを闘わせる。これが世界を席巻したKorian powerの源に相違ない。
 だから、路地裏が息づいている。焼き魚の煙に咽せ返るスーツ姿の男たちで溢れ返っている。街にはタテマエという表通りとホンネという裏通りがある。裏通りのホンネがあるからこそタテマエを繕えるのだ。そう考えると、街が活性化するためには、やはり裏通りのホンネを活かすことだ。街歩きの路地裏探訪の楽しさはそんなところに根がある。仕掛けなんかは必要ないだろう。例えば生鮮食品を売る店先の立ち話でも、ちょっとした屋台店のカウンターでもそれは自然に街のホンネを蘇らせることができる。そんな店が裏通りに並ぶことが生活感のあるコミュニティ街路の再生につながっていく。
 ふと、気が付いた。このピマッコルの風景は高度経済成長期の日本にもあった風景だ。新橋のガード下を思い起こしてみればいい。しかし、東京の街の風景はタテマエが幅をきかせはじめ、路地裏のホンネはいつしか隅に追いやられていく。実は、これが都市が活力を喪った本質であり、日本企業がいつしか韓国企業の後塵を拝す結果にもつながっている、のかもしれない。
 


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