エッセイ


日本建築の秘宝ここにあり!―ソウル路地裏放浪記⑤

投稿日時:2012/07/08 07:03


 たった二泊三日のソウル滞在、後ろ髪引かれる思いで最終日、空港に向かうまでの数時間、ソウル駅のロッテモールで土産を物色することにした。
 ホテルのある明洞(ミョンドン)から、現代建築建ち並ぶ都心部を駅まで歩くことに。平日朝の出勤時間の車の排煙に辟易しながら着いたソウル駅の旧駅舎を一目見て、打ちのめされてしまう。東京駅舎に似た煉瓦造りのその容姿。日本侵略時代の日本建築の秘宝に吸い寄せられるように入口を潜っていった。
 満州、朝鮮半島への侵略を「進出」と言って憚らない人々は、恐らく自ら差別を受けた経験のない人達だ、と思う。93年、NY赴任時に日本では「ちびくろサンボ」論争があった。なぜ黒人の子供が可愛く描かれているのに差別なの?と世論は二分された。NYに赴任してからも、この問題が頭を離れない。当時、日系企業における米人への差別・ハラスメントが最大の問題だったからだ。
 ある日街を歩いていてふと目にした、クリーブランド・インディアンズの赤ら顔のインディアンのマスコットを見たときの違和感を解明しているうちに、難題は氷解した。インディアンは私たちと同じ黄色人種、ベーリング海を渡ったモンゴリアンである。つまり私たちはアメリカ人にこう見られているのだ、と思った瞬間に差別の本質を理解した。差別は受ける側の心情の問題なのだ。
 その後何年も経って、日本でもハラスメントの本質についてそのように解かれるようになり、少しは進歩したか、と思っていたが、「侵略」の問題について、まだまだ日本人は想像力に欠如した国民だ、と思う。
 さて、ソウル駅旧駅舎である。1925年9月竣工。東京帝大教授・塚本靖と建築家ゲオルグ・デ・ラランデによる設計とある。当時の日本人の夢は、朝鮮半島のこの「京城駅」からユーラシア大陸への鉄道網に領土拡大を重ね合わせていたが、まさに国際列車の発着駅に似つかわしい威厳と見栄をこの駅舎に施したのだ、と言えよう。
 現在、旧駅舎は「文化の駅ソウル284」として現代アートのインスタレーション・ホールのようになっているが、驚くほどに竣工当時の内装が遺され、活かされている。白い壁にマホガニー色に塗られた木材で構成されるアールデコ様式の内装は、以前見た横濱地方気象台旧館を彷彿とさせた。
 「おぉ~」とか「ほぉ~」とか感嘆符を並べ韓国人女性の職員の失笑を買っていたが、実に丁寧に改修と保全が図られていることに驚く一方で、日本人として恥しくなった。韓国人にとっては日本による侵略の象徴のような建物である(因みに284とは「史跡第284号」のこと)にも関わらず、かくも慈しんでくれている。一方で近代以降の国内の建築物を、日本人はどう扱ってきただろうか。
 「進出」と言う日本人達は、こうして朝鮮半島の近代化にも寄与しているのだ、と主張して憚らない。この事実ひとつとってみても韓国人との度量の違いは一目瞭然だろう。大陸的な懐の深さ、なのかもしれない。
 駅の中央待合室には、現代アートのいち作品として床一杯に毛足の長い絨毯のような韓国国旗が不思議な質感をもって拡げられていた。その中央の太極、青と赤の巴の部分が、何故か赤い日の丸になっていた。


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