エッセイ


「え~っ、こんなに違うのぉ~!」―ソウル路地裏放浪記④

投稿日時:2012/06/24 12:34


 地下鉄で何気なく目にした広告。整形外科の施術前・施術後の顔写真広告に釘づけになってしまった。韓国では整形は常識というけれど、これほどまでに抜本的な「改築」を行うとは。いや、これは殆ど「新築」としっていいかもしれない。
 韓国の拠点長をしていたOBにこんな質問をしたことがある。部下の女性社員の何%くらい整形していますか?答えは「瞼などの小さな整形を含めたら、ほぼ100%だろうね。」何故そんなに多いんですかね?という次の質問には納得のいく答えは頂けなかったが。
 路地裏を歩きながら思いついた、「その理由」は、韓国人は「整っていること」が好きなのではないか?ということだ。ソウルのあのゴミゴミした路地裏の何処が整っているのか、と大反論を喰らいそうだが、シリーズ②にも書いたように、ソウルの路地裏にはある合理的なルールがある。例えば同じ市場通りの同じ場所にどうして同業の店が軒を連ねていられるのか。そのためには、頻繁に店の入れ替えを、誰に求められるまでもなく、自主的に行っていなければ、このような路地裏は形成されない。つまり、女性の整形もこれと同じこと、なのではないか。
 日本でもこの類の広告はよく目にするが、寧ろ「間違い探し」のように相違点を探す方に苦労する。そして「ああ、こんなところをこんな風に整形するんだなぁ」と、余り違わないことに安心する。その細かい部分が大切だったりする。しかし、韓国は逆である。違っていればいるほど、広告の、そして整形外科医院のインパクトは強い。
 未だに根強い儒教のせいだろうか、とも考える。やはり準拠集団への強い帰属意識が「誰にでも好かれたい」という志向につながり、その結果として整った顔立ちへの憧憬が生まれるのかもしれない。構造主義的文化人類学のサンプルとして、こう考えてみた。
 一方で、「模倣」も健在である。おそらくは中国ほどではないにしろ、街には「え~っ、これ、いいのぉ~」という看板はやはり未だに目にすることが多い。これは、漢字に例をとるまでもなく、中国の古代文明の周縁として、朝鮮半島もそして日本も身に着けた異文化伝播の受容形態に相違ない。それは「中国」が「西欧」になっても同様だったことは近代化の歴史の示すところだ。西欧的な権利意識(著作権や商標権)の浸透により、これは次第に制御されることになる。
 たとえば、自分の個性を活かすことを徹底的に教育されるアメリカでは、そう多くの整形を生まないだろう。そして、こうした模倣を行うこともない。そちらの方が膨大なコストを強いられることを、誰もが知っているから。街は人間が作ったものだからこそ、強くその文化に拘束されるものである。



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