二年前、東中野に越してきてから 『中央線がなかったらー見えてくる東京の古層』 (NTT出版) という貴重な本と巡り合い、放浪癖を満たしてくれる「散策道」をいくつかみつけることができた。最大の収穫は「桃園川暗渠の緑道」で、神田川と大久保通りの交わる合流点から、桃園川源流である杉並区天沼の旧弁天池、現在「杉並区郷土博物館別館」(旧、角川源義屋敷跡)のある「天沼弁天池公園」までの約5キロ。子供の頃(とはかれこれ45年前になるが)には、ボール遊びの広場としての「ただの暗渠」だったが、今は側道に花壇が並び自転車を含む車両の乗入れを禁じているので、非常に心地よい散歩道となっている。特に春には百花斉放、様々な草花を楽しむことができる。
次によく歩くのは「妙法寺参詣道」いわゆる「堀之内道」で、青梅街道を中野坂上より南に入り鍋屋横丁と交差して杉並区堀之内にある日蓮宗妙法寺に向かう参道である。江戸時代後期には庶民の信仰を集め、沿道には多くの茶屋・料理屋が栄えたという。深い杜に囲まれた妙法寺の大伽藍に暫し涼み、有吉佐和子の碑を拝して阿佐ヶ谷まで歩き、約5キロの道程となる。
少し変わったところでは、「中野軍用道路跡」で、これは中野学校の前身となる陸軍施設が中野にあった際に、やはり天沼にある現日大二高まで、中央線からの引込線があって、陸軍の鉄道部隊が実戦演習を行っていた線路跡である。後にこの軍用道路を拡幅して滑走路を作る計画ができ、現在の馬橋公園に航空機用の格納庫まで建てられたが、既に沿線住民の増加が激しく、この計画は頓挫した。格納庫跡は後に陸軍通信部を経て気象庁の気象研究所となった。そんな廃線の形跡を追いながら歩く約4キロのコースである。
一番距離的に安易な散歩コースは、東中野の自宅から「東中野ギンザ」商店街を抜けて北西に道なりに、上高田、新井薬師駅を抜けて、江古田、哲学堂へと抜ける僅か2キロほどの道程。こちらも哲学堂脇にある神田川の支流、妙正寺川を上れば、沼袋、野方、そして鷺宮まで辿れるが、そこまでは足を延ばしたことはない。
そして一番の遠距離コースは、神田川沿いを上り、中野富士見町を過ぎて杉並区和田から善福寺川沿いに和田堀公園、そして大宮八幡宮まで辿る約5.5キロのコース。青梅街道を過ぎる辺りから川辺の植樹もなくなり、高いビルに挟まれたコンクリートの河岸の味気ない風景が続くが、善福寺川に分岐する辺りから緑が増えてようやく「川縁りの散歩道」らしくなってくる。
杉並区堀之内を過ぎて、善福寺川がゆっくりと右手に蛇行していく辺り。ここには川藻も小魚もいるようで、いずれの季節でも野鳥が沢山集まってくる場所だ。春は孵ったばかりのカルガモの雛たちが親の跡を追って懸命に川を遡っている姿を目にし、秋にはシロサギが岩陰の小魚を漁っている。ここから善福寺川は大きく蛇行を繰り返し、2キロばかりこれを遡ると広大な池である和田堀を擁する緑深い和田堀公園がある。
この善福寺川も昔から洪水を繰り返したことから、現在の和田堀公園には、増水の際には貯水池となる広大な野球場やテニス場が設けられ、人智による治水は進んだようだ。実はより下流の杉並区和田には「都立善福寺川取水施設」や「和田ポンプ施設」があって、豪雨による急激な増水がある時には、環状七号線の地下に掘られた巨大トンネルに善福寺川の水を退避させ、浸水を食い止めるための施設まで設置されている。神田川水系の「浸水との闘い」は並大抵のものではなかった。
さて、この和田堀公園の池の端には大勢のカメラマンたちが三脚に望遠レンズを備えた一眼レフを構えて「あるもの」を狙っている光景をいつも観ることができる。柵の中には「カワセミの生態」などという立札の解説がある位だから、鬱蒼とした灌木の繁る池の中島に、カワセミが棲むのらしい。暫く、カメラの放列の合間から中島の繁みに眼を凝らしていたが、それらしき姿は見えない。カメラマンたちも気楽なもので、時々中島に眼を遣りながらも、お互いに歓談しながら、その出現を気長に待っているようだ。
過去に自生のカワセミは、たった一度しか目にしたことはない。かれこれ10年以上も前になるだろうか、やはり灌木の枝がしな垂れる池の水面、それは横濱の三溪園であったが、その池の端にやはり数台のカメラが三脚に構えてあった。とてもよく晴れた秋の午後のことだったと記憶している。じっと目を凝らしていると、枝影からそれこそ翡翠色をした美しい鳥が水面に飛び降りて嘴を突き付け、餌を獲った瞬間だった。美しい宝石のようなその鳥は、あっと言う間に視界から再び繁みの暗闇へと消えていったのだ。
その時の鮮烈な印象は忘れられない。腹の橙色に映えた鮮やかな青の背面。その補色を細く「集約」したような鋭く長い嘴。一度でも、カワセミの飛翔を見たひとは、その虜になるに違いない。現れる保障のないカワセミを日がな待ち続けるカメラマンたちの多さが、それを物語っている。
その和田堀までまだ2キロある下流の堀之内の善福寺川で、秋の水辺で長閑に遊ぶ鴨や鷺の姿を眺めていたその時、上流からもの凄い速さで川面を滑空してきたものが視界を過った。その色彩が脳を過った瞬間に、「それ」が留った辺りの河岸の石積みを隈なく探す。そこにいたのは、あのカワセミだった。川面から1メートルほど離れた石垣の影に身を隠し、川の餌を探しているようだ。暫くして、一瞬、翡翠色が閃いたかと思うと、川面にむかって飛び込み、嘴で餌を捉えたとおもうが早く、もとの岩陰に飛び戻り、再び身を潜める。暫くもとのように、川面を眺めていたが、やがて「チッ」という、とてもその小さな身体から出たとは思えぬ声量の甲高い鳴き声を一声上げると、翡翠色は岩陰を飛び出し、川面の真ん中を、驚くべき速さで上流へと滑空していき、瞬時にしてその姿を消した。
秋の夕暮れ近く、和田堀の巣を離れ、鴨や鷺が餌を漁るこの場所まで餌を求めて飛んできたのだろうか。ジェット戦闘機並のあの速度であれば、数キロ川を下ることなど、容易いことなのだろう。街と自然の境界である川辺を歩きながら、人生にそう何度とは訪れぬ「僥倖」の幸福感に満たされながら、久し振りに晴れやかな気持ちになった、散歩道のひと時であった。