マハトマ・ガンジーが唱えた「七つの社会的大罪」。
一、理念なき政治
二、労働なき富
三、良心なき快楽
四、道徳なき商業
五、人間性なき科学
六、人格なき教育
七、自己犠牲なき宗教
彼の哲学は、東洋思想の「真髄」ともいえるインダス文明に源泉を持つだけに、実に私たちにとっては奥深い感慨がある。それは、19世紀の西欧に始まった「近代化」の、特に第二次大戦後、アメリカの影響下に展開した「グローバリズム」のアンチテーゼとして未だにその影響力を持ちうるものだ。今の日本人、いやこの国の「持たざる者」と区分された「持てる者」たちが、この「七つの社会的大罪」に如何に汚染されているか……自ら省みるがいい。
それは、「この国の現政権の目指すもの」、と言い換えてもいいのかもしれない。昨今の日銀の金融緩和に浮足立つ株高に踊らされている向きには、「労働なき富」の罪について暫し黙考されては如何であろうか。世界有数の借金大国となったこの国が保有するのは、1,000兆円の国債残高。老若男女を含む人口一人当たり約800万円の借金。国債の40%を日銀が引き受け、マネーサプライは上昇し、溢れる金に国債は何とマイナス金利になっている。つまり、金を借りている方が金利を受け取る、という異常な事態が生じているのだ。これによってもたらされた「円安」は、既に海外生産に転換を済ませた「輸出産業」を利することはなく(首相が言っている国内雇用の創出に一体どれだけの期間がかかると思っているのだろうか)、寧ろ日系企業の海外生産品を含む輸入商品の値上がりを促し、国内消費を低迷させていく。既に114円という「円安」は、輸出振興のための為替政策ではなく「円の国際信用力の低下」に足を踏み入れたといってよく、スペインやイタリアで起きたような通貨の信用低下による急激なインフレと不況を呼び起こしかねない状況といっても過言ではない。
時は晩秋。国民年金の資産運用機関であるGPIFの株式市況での運用比率を25%に高めるというのも、株式相場の好転の一因となっているようだ。まさに、これは、円の国際信用力の破綻がこの国の「富める者」のみならず、増大しつつあるシニア世代の生活の糧さえ枯渇させ得ない 「一触即発」 のリスクを、地雷として埋め込んだことに他ならない。政権に対する与信が、本来「将来に対する安心の確保」であるとすれば、原発依存のエネルギー政策にせよ、財政赤字の拡大にせよ、現政権は「将来へのつけ回し」を増大させ、「背信」ばかりを助長している。
そろそろ国民も目覚める時期ではなかろうか。愚かなる政権の選択は、やがては自らへと還ってくる。おそらく、それを一番よく理解しているのは、我が子の放射能汚染を直感的に危惧している、幼な児を持つ母親の脱原発の言動だろう。他人の痛みに想像の及ばぬ「自己中」と呼ばれる利己主義者たちは、一方で刹那的利益と隔絶された「壁」を乗り越えられぬ諦念の「犠牲者」であるのかもしれないが、それは敢えて言えば「自殺行為」に他ならないのだ。
前作「蹄音よ眠れる寒村に響け」を書いた真意はここにある。