天賦のユーモアの才能を持つ、アメリカ現法のクリエイティブ・ディレクターのシェリーがある日、こんな話をしてくれた。
「いいかい Mickey、まずアメリカの地図をこうやってしっかり両手で持つんだ。」 といって彼はA3のプレゼン・ボードを持つ真似をする。
「最初に、こうして左を下にしてよく揺さぶるだろう。そうすると一番まともな人間が東海岸にしがみつく。」 見えないプレゼン・ボードを時計廻りに90°傾けて前後に揺らす。そして、彼は更に90°それを回転させた。
「次に北を下にしてこうしてよく揺さぶると、次にまともな奴が北にしがみつく。」 今度は横長のプレゼンボードを180°逆転させた。
「それから、南を下にして揺さぶると、南にしがみつく奴までは、まだまともだ。」 そして、とうとう見えない地図の西海岸を下にして、シェリーはニヤリ、と嗤った。
「どこにもしがみつく根性もない、どうしようもない連中が、こうして西海岸に辿りつく、という訳なんだ。」 その「オチ」を聞いて笑い転げているのを見ながら、シェリーはしたり顔である。
アメリカでは、人種、性別、年齢、宗教等の個人的属性で市民を差別することを公民権法で厳しく禁じている。だから、日系企業が解雇したアメリカ人から雇用訴訟を起こされる最大の理由は「差別」(discrimination)である。先にも触れたように、解雇を申し渡す際、副社長の「お前は、日本の会社に向いていない」という不用意な一言で、複数の雇用訴訟が起こされることになる。勿論、それ以前に、respectしうるお互いの関係が欠落していることに本質的な原因があるのだが。
こうして制度として厳しく差別が禁じられると、不思議なもので、非公式な場面での心情レベル、あるいは会話レベルでの差別的な言動が顕著になることがある。例えば、アイスホッケーやバスケ、野球といったフランチャイズをベースとしたスポーツで、ホームで行われる試合の殆どが、ワンサイドの応援になるのはその例である。余程のことがない限り、相手チームの好プレーを称賛する、といったフェアな応援は期待できない。露骨なブーイングである。アメリカで人事管理を行う上で文字通り常に頭の中心に置かなければならないことは「Fair」(公平)であるということだ。これは日系企業の管理職だけではない。その企業が存在する都市の人種構成に応じた雇用を求められる、アメリカ企業一般の管理職の「共通の悩み」であるといっても過言ではない。だからこそ、非公式で私的感情を剥き出しにできる状況では、彼らはそのストレスを一気に発散する。……さて、それはそれとして。
「移民の国」としてこれほど多くの人種や民族が寄せ集まり、それぞれが自らの「食文化」を持ち込んでいるのに、何故にアメリカの食は「貧困」なのだろうか…というのが駐在員時代の率直な感想であった。現代でこそ余り出自国の紐帯は強くないが(唯一の例外は、アイルランド人である)、入植時には、NYにも「リトル・イタリー」「ジャーマンタウン」「インド人街」「コリアンタウン」といった同郷の人々が纏まって街のクラスターを構成していた。従って、それぞれの母国食のレストランも種類としては非常に多いのだけれど(チベット料理まである)、決して「美味しい」と思ったことはない。そのうち、アメリカ人の舌は、どこかで麻痺してしまったのではないか、と思うようになった。
そんな漠然とした仮説をある確証に代えてくれたのは、フィラデルフィアであった。フィラデルフィアは入植地としても最も古い都市のひとつであり、アメリカ合衆国独立宣言の地でもある。日本人で余り訪れる人もいないが、ここにベンジャミン・フランクリンが住んでいた家の後が、現在「ベンジャミン・フランクリン博物館」となっている。実は入植当時の生活を知るためにこの場所が発掘された際に、ある物が大量に出土して人々を驚かせた。それはなんと、亀の甲羅、だった。よく感謝祭の由来として、16世紀初頭にプリマスに入植してきたイギリス人が最初の収穫を祝って本国から連れてきた七面鳥を屠って収穫に感謝した、とまことしやかに語り伝えられているのだが、これはとんでもないフィクションである。
土壌は荒れて作物は育たず、入植者は数多くの餓死者まで出した。ネイティブ・アメリカンからトウモロコシの栽培を学び、それでようやく食べ繋ぐようになるまで数年を要したとも言われている。その間、飢えを凌ぐために彼らが食べていたのが「亀」であった。彼等の食した亀の甲羅が「貝塚」よろしく、旧い地層から累々と出土したのである。
どうもアメリカ人は、こうした入植時の「食の苦難」を故意に隠蔽したがっているようだ。上記の七面鳥の逸話も19世紀、リンカーンの時代に現在の感謝祭の原形が生まれた頃、作られたもののようであるし、アメリカの植民地時代から独立戦争、南北戦争の頃までの食生活は想像以上に貧しいものだったと想像される。これに加えて、東海岸から入植した移民たちは新しい土地を求めて、(シェリーのジョークではないが)西へ西へと移動し「西部開拓時代」と呼ばれる長い時代を要した。移動を続ける彼等の食生活がホットドッグとハンバーガーへと偏ったことは、ある意味では当然のことだったかもしれない。それでは「舌が退化する」のも致し方のないことだろう。
という訳で、NY在勤時は、テニスのUSオープンがフラッシングで開催される9月初旬、レイバー・ディの休日のある週に、毎年、劣化した舌を刺激するために、遅い夏休みを取ってわざわざパリに飛んだものだった。サンジェルマン・デプレ辺りの安い居酒屋でモツの腸詰で安ワインを堪能することが、年一回の「食の彩り」となった。
NYでも時に贅沢をして話題のフレンチやイタリアン・レストランに挑戦することはあった。しかし、雰囲気や盛り付けには感心しても、料理の味としては常に不合格、であった。当時、NYでも「Zagat」という市民参加型のレストランの格付けガイドブックが流行はじめた頃だったが、総じて店の雰囲気や接客のポイントに引き摺られ、味のポイントで納得のいくものは少なかった、といえる。
そんな「食に対する幻滅」に転機が訪れたのは、帰任を目前に控えた98年頃からであった、と記憶している。特に比較的ハイブローな住人の多い、アッパー・ウエストサイドや若者の街ヴィレッジあたりに、いくつか注目すべきレストランができ始めた。日本食ブーム(とは言っても韓国系の似非日本食が大半だったが)のせいもあったのか、「繊細な味」に目覚めるアメリカ人が増えてきたのかもしれない。日本料理に独特な「旨味」を、彼らが理解しはじめた時期だったのだろう。
冬場の週末は試合があれば、マジソン・スクエア・ガーデンでアイスホッケー観戦と決めこんでいたが、ふと隣の席に座ったアメリカ人の若い夫婦がバッグの中から「枝豆」のパックを取り出してこれを摘まみながらビールを飲み始めたのには、正直驚いた。当時、枝豆なんぞはヴィレッジにある数少ない日本食料品店に置いてある冷凍食品でしか入手できない代物(似非日本食レストランもこれを使用している)だったが、これを「日本人よろしく」茹でて、摘まみながらビールを飲む…などという芸当のできるニューヨーカーが存在することを始めて知った時、だった。
今回の旅行の宿は、そのアッパー・ウエストサイドにあったが、オペラを観た後で偶々入った日本料理店は本当に「進化」していた。「イチバン」「サッポロ」といった日本ビールが、輸入から現地でのライセンス生産に代わって格段に旨くなったこともさることながら、「枝豆」は国内で生産しているのではないか(確かにアメリカの大豆の生産量自体は多い)と思えるほどに甘くて新鮮であった。東海岸の魚は身が緩くて致し方ないのは許すとして、その鮮度は抜群で、鮨職人も日本人と見紛うほどに腕を上げている。
もう一軒、日本でも知名度を上げている「Salabeth's」の本店を訪ねた。80年代から街のパン屋として地道に地元の評判を上げてきたレストランだが、日本でも話題になっている、エッグベネディクトは、本当に美味しいと思った初めてのアメリカ料理だったかもしれない。まさに、「アメリカ流卵掛けご飯」といったところ。極力油を使わず、塩分も控えめでヘルシーで美味しく、量も多くはない……なんてとても一昔前のアメリカでは想像もつかないことだった。
今回の旅で、比較的選りすぐった店では、このポリシーは徹底していたようだ。一体アメリカ人に何が起こったのか、と考えて思いついたことがある。それはオバマ大統領の医療保険制度改革(いわゆる「オバマケア」)である。日本とは異なり、アメリカの医療保険は完全な任意加入であったため、保険料の支払えない貧困層は生命に拘わる病気になると、高額な医療費よりは死を選ばざるをえなくなる。この問題を解決するために、日本の国民皆保険制度に近い強制保険の制度を導入する法案をオバマ大統領が提案したのだが、自己責任・自由主義を標榜する共和党から大反発を喰らうことになり、連邦政府のデフォルト騒ぎになったのは、つい昨年秋の話である。
それでも、オバマ大統領の信念は揺るがない。民主党の大統領としてマイノリティや弱者の救済を行うことは当然のことである。国民皆保険制度になって低所得者に対する州政府の財政支出が増えると、当然のことながら保険料支出を抑えるための施策が必要になる。実は近年、アメリカで顕著になってきた、低脂肪、低塩分、低カロリー摂取の動きは、こうした背景に根差している。しかも、行政が主導するよりも、市民自らがこうした行動を率先して支援し実践してしまうところに、未だにアメリカ社会の健全性がある、といってもいい。
こうして雨後の竹の子のように街中に生まれた「ビオ・レストラン」は、まるで薬膳を食べているようでとても常食できないが(とはいえ、毎日の食事をここで欠かさず摂るというストイックなニューヨーカーは少なからず存在する)、「Salabeth's」のようなレストランでも、そうしたコンセプトを採用するようになってきているということは、NYの食生活にとっては偉大なる革命、と言えるかもしれない。
NY在勤期間中は若いクリントン大統領の時代であったが、やはり民主党政権の時代には、こうした好感の持てる変化が起こりうるのだろう。未だに根強いTEA PARTY運動を呼び起こした「馬鹿ブッシュJr.」の共和党政権は、やがて過去最悪の大統領時代と呼ばれる(既に呼ばれているが…)ことに相違ない。
こうして、大量生産・大量消費のアメリカ人の意識も大きな転換点を迎えつつあるようだ。さて、ゴミの分別収集とリサイクルはどうなっているのだろうか。アッパー・ウェストの街を歩きながら、ふと分別収集を呼びかけるポスターを眼にした。ほう、いよいよNYでも始まったのか、と思ったが、少々様子がおかしい。ホテルや公共施設を含めてゴミ箱自体が分別されていないからだ。夕方、早朝の街を歩きながらよく観察してみると、実はこのゴミの分別をしているのは、メイドやドアボーイたちであることに気がついた。住人たちがまとめて放り出したゴミ袋から、ペットボトルや瓶や空き缶、新聞紙などを丁寧に選り分けているのは、彼等だったのだ。
地球の全人口がアメリカ人だったら、地球が6個あっても足りない、と言われているが、せめて3個位には減らないものだろうか。