エッセイ


セントラルパークの風に吹かれて④ ―『手のひらのトークン』

投稿日時:2014/10/22 07:11


 街には固有の「感性」がある。「第二の故郷」とも言うべき横濱・元町は、開港の街としての鮮明な「感性」を持っていて、そしてそれは当然のことながら、その街に住む人々の感性の集積であり、それは街を通して「再生産」されているものだ。

 NYという街の「感性」はある意味で鮮烈なものだ。道路工事現場から吹き出す水蒸気。地下鉄の重い鉄の車両が叩く線路。イエローキャブのクラクション。ストリートを挟む摩天楼に沈む真赤な夕陽。歩行者の信号無視。ドア・ボーイの憂鬱。岩盤に建つ鉄とコンクリートの槌音、つまり破壊と創造。築百年の経つアッパーウェストのタウンハウス。ハーレムの汚れた裏路地。…勿論、これもこの街に住む人々の感性の集積に他ならない。

 そんな街の「感性」を掬い取った秀作に、有吉玉青の 『ニューヨーク空間』 と、安西水丸の 『手のひらのトークン』 とがある。いずれも二十歳台後半の瑞々しい感性を持った時期にNYに棲み、異文化に謙虚なる関心を抱き、おそらくは時に深く傷つき、また日本人であることに沈殿し、そしてこの街を、こよなく愛した。NY在住時に相前後してこの二つの作品を読んだが、まさにNYの「感性」を共有する空気を感じ、励まされたものだった。

 安西水丸は電通退社後の1969年から71年までをNYのデザイン・スタジオで過ごしている。その時の甘酸っぱい思い出を掌編にしたのが 『手のひらのトークン』 である。「トークン」というのはNYで地下鉄やバスに乗る際に乗車料として投函するためのコインである。つまり、NYの市営交通は固定料金でどこまでも行くことができる。例えば、ブルックリンの南端にあるコニ―アイランド。ここは東京近郊の「江の島」に似た場所で、1920年代を中心に遊園地や如何わしい見世物小屋等などが立ち並んで繁栄したブルックリン南端の海沿いの遊興地だが、マンハッタンから地下鉄で1時間半もかかるこの場所にも、トークン一枚で小旅行が楽しめるのだ。

 『手のひらのトークン』 は、東京に戻ってきた主人公が図らずもズボンのポケットに残っていた一枚のトークンを手に、このトークン一枚で何処へでも行けたNYでの自由な生活に郷愁を感じるところでその物語を閉じている。因みに、安西水丸がNYに滞在していた時、トークン1枚は僅か20セントだった。私の駐在期間には$1.25から$1.50に値上げされている。とはいえ、一律料金であることは現在に至るまで変わらない。

 NY在勤中に、ふと「何故、距離に拘わらず一律料金なのだろうか」と疑問を感じ調べてみたことがある。それはNYの都市発達史と、そこで地下鉄が果たした役割と密接な関係がある。

 NYは植民地時代にはオランダの入植者が多く「ニュー・アムステルダム」と呼ばれていた。ハドソン川から五大湖に至る内陸河川と大西洋の航路の要衝として、マンハッタンの南端(現在のバッテリー・パーク)から徐々に北へ北へと街は拡大していったのだ。NYに行かれた方はご存知だと思うが、Houston Street(NYでは「ハウストン」と読む)より南の街路は東西南北に区画整備されていないが、特にウォールストリート以南は植民地時代の街並みがそのまま残っているため現在でも複雑な街路に惑わされる。

 やがてアメリカがイギリスから独立し、貿易の要衝としてのNYの役割が重視され都市計画の必要性が認識されると、時のクリントンNY市長はHousuton以北の整然と区画整理された街づくりの計画を立案実行した。マンハッタンは南側に港の交易と金融を中心としたオフィス街が集中し、住民はその北側に居住していたのだが、新たな街の建設には廉価な労働力を効率的かつ適時に、建設の進むマンハッタンの中心部に集積する必要があったのだ。

 その手段のひとつとして馬車鉄道に代わる高架電車が、そして騒音を防止し郊外への延伸を容易にする地下鉄が建設され、遠距離からも「廉価な労働力を確保するために」一律料金が採用されたのだ、とNY都市発達史の本には書かれている。

 つまり、資本・土地・労働力という資本主義の教科書に書かれている三要素を確保する、という理由によって、NYの地下鉄はトークンによる一律料金が採用されたのである。言わずもがなではあるが、NYとはまさに資本主義原理の徹底した典型的な街、といえるのである。

 地下鉄のある他のアメリカの主要都市(地下鉄建設はNYにボストンが先行するが)では、一律にこのシステムが採用されている。従って、十数年前まで、アメリカ人が日本に来て驚愕することのひとつは、距離によって乗車料金が細かく定められた鉄道が都心部にもあって、しかも数十円単位で切符の買える自動販売機が存在する、ということだった。これは、券売機技術に関するアメリカの後進性を意味するものではない。上記のような資本主義「哲学」の産物に他ならないのである。

 NYの生活とこのトークンとは切っても切り離せないものであることは、『手のひらのトークン』 からも明らかだが、残念ながら90年代末になって、トークンは電磁式カードにとって代わられることになった。地下鉄の改札でトークンをストン、と投函すると同時にギリギリと回転羽を回してホームに入る時代は過ぎても、「一律料金」制は変っていない。しかし、今回3年ぶりにNYを訪ね、その料金が$2.50に跳ね上がっていたのには、少なからず驚かされた。

 当然のことながら都市建設のための廉価な労働力の確保が目的であった都市交通整備の帰結として、市は厖大な赤字を抱えることになる。資本主義の論理からは、だが、その結果企業は利益を上げ、税収として市に還元されることになる。帰任後に就任したブルームバーグ市長は、企業家らしく、こうした「赤字財政の立て直し」を相当に積極的に推進したようだ。結果的に、古典的な資本主義の持っていた「公共性」は、狭い行政単位での採算性に置き換えられてしまった。79丁目から68丁目まで二駅乗っても$2.50、コニ―アイランドまで1時間半乗っても$2.50。トークン一枚を握りしめた「わくわく」感は遠い昔話、となりつつある。

 こうして、40年前、安西水丸によって掬い取られた、街の「感性」にも少しずつ変化が現れはじめているようだ。彼も寝転がったであろう、シープス・メドゥの芝生の緑は、永久に変ることはないだろうけれど……。




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