もしも貴方が外資系企業に勤めていて、母国から派遣されてきた上司が家賃百万円を超える白金台辺りの社宅に住み、法外な金額の交際費を湯水のように浪費する一方で、貴方には廉い賃金と理屈の通らない要求ばかりを強いていたとすると、貴方はどう感じるだろうか。
日系企業のアメリカ現法では全く逆のことが起きていた。駐在員達は現地社員の住めないような高級住宅を本社から宛がわれ、夜な夜な会社の金で飲み歩き、理解し難い日本の商慣習を押し付けてはアメリカ人の反感を買っていた。一番始末に負えぬのは、現地雇用の日本人で、彼らは物の考え方はアメリカ人なのに、上司とは日本人的に接する術を心得ていた。言葉や慣習に疎い駐在員の上司を手玉にとって、その癖アメリカ人の同僚に対しては駐在員の陰口を叩いていた。益々アメリカ人社員は駐在員に反感を抱き、その仲裁のために現地雇用日本人は駐在員に更に重用される、という負のスパイラルが生じることになる。
93年の赴任当時、NYの現法の雰囲気は暗澹たるものだった。経営不振から二系統の現法を統合した結果、二人の駐在員副社長が対立しながら自分のシマを持ち、それぞれのアメリカ人シニアを使ってお互いのグループの足の引張り合いをしていたのだ。数年前に強権を持って迎えられた社長は、この二人の副社長を威圧しつつ、リストラによって厖大な累損の山を整理しつつある最中だった。一時は100人以上いた社員を40人まで減らし、その過程における不用意な副社長の言動によって、解雇に伴う複数の雇用訴訟を抱えていた。
CFOとしての役割は、この剃刀のように切れ味鋭い社長をサポートして、損失を減らし経営の混乱を鎮めること以外にはありえなかった。たまたま社長も開高健が好きな文人肌で、その深い人間洞察力は尊敬に値するものだった。仕事が捌けると社長室でバドワイザー片手に飽くことなく経営課題について語り合ったものだった。
管理部門の最大の課題は、部下である現地採用の日本人女性が実権を握っていたことだった。彼女は20年以上に亘り社長やCFOを手玉にとり、日本人とアメリカ人のバランスの上に自らの地位を築いていた。彼女は過去の駐在員のあらゆる汚点を掌握しており、解雇するには非常に高いリスクを負っていた。しかし、社長の意志は揺るがなかったし、その判断は正しい、との確信に至ったのは、こうした社内の雰囲気からは一目瞭然だった。
着任早々のある日、社長はバドワイザーを飲みながら、こう語った。…アメリカの労働者は一生に平均5~6回の転職をしながらステップ・アップをしていく。経営が悪化すればいつ社員は解雇されてもおかしくはないし、社員も雇用契約上2週間の通知期間があれば、いつでも転職できる。だから、アメリカの会社のボスは、突然に自分の部下が辞めてもその仕事をテイクオーバーできなくてはならない。次の社員が見つかるまでボスが部下の仕事を一旦預かり、ボスが新しい部下に仕事を教えるのだ、と。
つまり、管理部門のNo.2の日本人女性に依存するな、と言っているのだ。まだ右も左も分からない中で、この社長の指示は重かった。着任早々に「自立」を求められたのである。半年ほど経って、この日本人女性は過去の日本人経営者の汚点を洗いざらい社長にぶちまけて会社を去っていった。社長は彼女の承諾のもとにこれを録音しながら、数週間に亘り彼女を説得し続けた。割高な退職金にはなったが、幸いにも雇用訴訟には至らなかった。
彼女の部下にあたる経理部には二人のアメリカ人がいた。勿論、給与計算や訴訟対応など守秘にかかわる業務は私自身が引き継ぐが(これを彼女に任せていたことが最大の失策だったのだ)、現業の経理は彼女達二人が担当した。一人はドミニカ共和国の出身で、ラテン気質そのもの、口は達者だが仕事は粗かった。No.2に甘やかされたこともあるが、前任のCFOと不倫関係にあったという噂も誠しやかに流れていた。もう一人が、60歳を超えた吃音の敬虔なカソリックの老女で、黙々と仕事をこなすキャロルさん、だった。因みにアメリカには「定年」はない。本人の意志で働き続けることができるし、逆に高齢を理由に解雇すれば雇用訴訟で敗訴することは確実である。
この二人は正に「犬猿の仲」であって、お互いに「悪魔」「気違い」と罵り合うこともしばしばであった。ドミニカンは連れ合いが失職していることもあり、不倫の噂の信憑性も高かったため、到底解雇は無理だと判断し、別の部署に異動させることとし、後任の経理担当を採用することにした。キャロルさんとの「相性」を第一優先に、5~6人の候補者と面接をした。約束の時間の30分も前に現れた、几帳面で誠実そうなバツイチの独身女性を採用することにした。
キャロルさんは気難しい独身の高齢者だったが、仕事は丁寧で正確だった。複雑な媒体社への債務を担当し、締めの忙しい時には放り出すこともなく深夜まで黙々と仕事をこなす経理ウーマンであった。社内でも気難し屋で通っており、月一回社内で開催されるバースデー・ランチョンの際にもライトブルーの瞳を見開いたまま、黙々と食事をしていて、ジョークの飛び交う会話の嵐の中で一人浮いていた。興奮すると、吃音が酷くなり、おそらくはそのコンプレックスからだろう、黙々と仕事がこなせる簿記をカレッジで学び、この職業を選んだに違いない。
しかし、期末の決算を控えたある日、帳簿をチェックしながら、媒体社への債務残高に重大なミスがあることに気がついた。常にプラスであるべき残高がマイナスになっていたのだ。当然のことながらキャロルさん自身もこの「異常」には気づいていて、必死にその原因を彼女なりに調査している。彼女から帳簿の写しをもらって私自身も同時にその原因を探ってみる。三日三晩の作業が続いた。
ある仕訳のミスに気付いたのは三日目の晩だった。あのキャロルさんがこんなミスをするとは信じ難かったが、帳簿は客観的な検証を許すが故に、そのミスは自明であった。しかしそのミスを発見した驚き以上に悩ましかったのは、果たして彼女がこのミスを認めるだろうか、ということだった。彼女には40年近くもブックキーパーとして正確な仕事をしてきた自負もある。ましてや、自らのミスを認めようとしないアメリカ人なのだ。伝え方を間違えると、とんでもない誤解や信頼関係の破綻を招きかねない。
30分くらい頭の中を整理してから、キャロルさんの部屋に行った。「こんなものを見つけたのだけれども、貴方はどう考えるだろうか。」と枕言葉を述べて、自ら発見した仕訳の齟齬について、キャロルさんに丁寧に説明をする。時々、彼女の痩せ細って皺だらけの、しかし整った横顔を見ながら、表情の変化を観察する。そして、最後にこう付け加えた。
「私は貴方の正確な仕事を高く評価しているし、尊敬もしている。私よりも20年以上も経理のキャリアを積んでいる貴女がミスを犯すことはないと信じているのだが……」
とそこまで言った言葉を遮って、彼女は言った。
「私は神ではありません。人間だから過ちも犯します。貴方の指摘の通りです。すぐに修正します。」
キャロルさんの言葉には一片の言い淀みもなかった。ライトブルーの瞳は透き通って、何故か優しい笑みさえ浮かべていた。
現法では、クリスマス休暇前に簡単な社内パーティーを開催する。以前は店を借り切ってやっていたものだったが、いつか社員数も少なくなって、大テーブルのあるプレゼンテーション・ルームで納まってしまうようになった。このクリスマス・パーティーでは恒例の「シークレット・サンタ」というプレゼント交換が行われる。12月に入るとすぐに、総務部のアフリカン・アメリカンのメアリーさんが、社員の名前を書いた紙片の入った袋を持って社員全員の部屋を回る。そこで引いた社員に10ドル程度のクリスマス・ギフトを準備するのだ。パーティーの席で、その年の「年男・年女」(いわば、Man & Woman of the year)がサンタに扮して、このギフトを一人ずつ社員に渡していく。誰が贈ったか分からない(secret)ので、皮肉交じりのウイットやユーモアの籠ったギフトが飛び出して、皆なで大笑い、という趣向である。
ある年のこと、メアリーさんの紙袋から引いた名前がキャロルさんだった。困った表情を読み取って、メアリーさんはニッコリと白い歯を見せて笑い 「楽しみにしてるわよ!」 と言って、部屋を出ていった。これには相当に頭を悩ませた。散々迷った挙句、月並みかもしれないなぁ、と思いつつも一冊の本をギフト・ラップに包んでもらった。
さて、クリスマス・パーティーの当日。今年の「年男」のジムがサンタに扮してギフトを渡していく。大きなクリスマス・ツリーが飾られたプレゼン・ボードの前に座ったジムが、大きな袋からひとつひとつギフトを取り出して、紙包に書かれた社員の名前を呼んでいく。
「キャロルさん!」 ジムの声がすると、胸の鼓動が高まる。キャロルさんがいそいそとジム扮するサンタのところにやって来て、その膝の上にちょこん、と坐る。
「今年も一年、いい子でいましたか?」 「ハイ」 キャロルさんは本当に5歳の幼女に戻ったように、素直に返事をする。
「では、素晴らしいクリスマス・ギフトを上げよう」
こう言って、ギフトラップに包まれた「その本」をキャロルさんに渡す。キャロルさんはいそいそと包を開け始める。彼女に限らないのだが、気が急くものと見えて結構、雑な空け方をする。
中から一冊の本。キャロルさんがそれを翳して、皆なに見せる。タイトルは 『How does the world work? 』。例えば蒸気機関や掃除機がどのような構造で動いているのかを図にした絵図鑑なのだった。
これには全社員が爆笑した。つまり、融通の利かないキャロルさんは、How does the world work? を知らない、…と誰もが思っていたからなのだ。笑い過ぎて椅子から転げ落ちそうになったメアリーさんに視線を向けると、私を見てそっと親指を立てて笑顔で合図を送った。
しかしそれ以上に意外だったのは、キャロルさん本人が贈り手の意図とは全く別のところで、この本をいたく気に入ってしまったことだった。満面の笑顔を浮かべて、テーブルに戻ってからも、丁寧に頁を捲って、帰りも大切そうに持って帰った。
キャロルさんは、それから数年後、自ら退職を決めて会社を去っていった。老後を過ごすのに十分な年金ができたからであった。その日、キャロルさんの仕事を引き継ぐことになった、私が採用したもう一人の女性と三人で、少し贅沢なレストランでゆったりとした昼食をご馳走した。またひとつ「肩の荷」を降ろした一日、であった。
あれからもう15年が経とうとしている。キャロルさんはもう70歳台後半になるのだろう。このNYの郊外の何処かで、今でもときどき 『How does the world work?』 の頁を開いてみてくれているだろうか。
そんなことを思い起こしながら見上げる、セントラルパークのシープス・メドゥの秋空は、高く澄み渡っていた。