東京の喧騒から逃れるように、NYセントラルパークのシープス・メドゥに辿りついた。喧騒?それはNYだって変わらないじゃないか、と思われるかもしれない。しかし、NYの喧騒には「秩序」がある。それは、ガーシュインを聴いてみれば、すぐわかる。
93年5月から99年12月まで、マンハッタンに暮らした。外国の生活に憧れを持つ人にはそれは羨望の的かもしれない。確かに通常では味わえない経験をした。しかし、異文化との軋轢は時に身を割く様な苦痛を伴うものであり、そして異文化への順応は「この国」の人々の真の孤独を自ら内面に抱え込む事に他ならない。それも過ぎてしまえば、いい思い出であり、そして日本を客体化する前の、過去の自分に戻ることはできない。決して。林檎の味を知ったアダムとイヴのように。
シープス・メドゥは文字通り、その昔羊たちが草を食んでいた牧草地である。この緑の絨毯に佇むと日常の雑念を離れて自身の深奥に静かに沈殿することができる。スマホなんぞ覗き込む者はいない。紺碧の秋空とやや色付き始めた落葉樹の樹々、そして一年中色褪せることを知らない緑の芝生に囲まれながら、小さな一個のホモサピエンスは、巨大な都市に囲まれた、雄大な自然と一体になる。やがて落ち着きを取り戻した自然の身体は、あるいは読書に時を忘れ、あるいは僅かな運動に心地良い汗を求める。こうして次第に内面の活力が蘇ってくるのだ。
当時は、ローラー・ブレードというインライン・スケーティングの全盛期だった。真冬以外の週末は、アッパー・イーストのアパートからスケートを持って4ブロック歩き、公園で履き替え、セントラルパークを一周するのがウィーク・デーの淀んだ社会生活を発散させる最高の気晴らしとなった。春は芽吹く眩いばかりの新緑を堪能しながら、夏は乾いた暑さに風の心地良さを感じながら、秋は週ごとに色付きやがて落葉と変わる灌木に自然の移ろいの気配を感じながら、ヘッドフォン・ラジオで流行りはじめのスムーズ・ジャズに心弾ませ、約10キロの周回道の起伏を楽しんだ。
今はインラインスケートをする人は殆どなく、ジョギングかサイクリングが主流のようだ。いや、サイクリングをするニューヨーカーが圧倒的に多い。レンタ・サイクルを借りて公園を一周してみることにした。市内の交通渋滞の緩和のためだろうか、園内の道の一部を自動車が走ることがあり、道は左側から歩行・ジョギング用、自転車用、自動車用と三区分されている。南西角のコロンバスサークルから漕ぎ始めて反時計廻りに自転車を漕ぎ進めると、足で覚えた昔の起伏が蘇る。緩やかな下り坂を降りると、左にカーブが切れる上り坂脇にカルーセルの小屋があって、時代がかった風琴のメロディーと子供達の笑い声が聞こえてくる。東側の台地を上って緩やかな直線の下り坂を勢いよく飛ばしながら、右手にメトロポリタン美術館の硝子張りのバルコニ・テラスを見て、秋の乾いた空気を思い切り吸い込む…。
こうして一周約2時間の「小旅行」はあっという間に過ぎていく。15年前と、少しも変わらない道沿いの風景。そしてニューヨーカー達は、大陸の一片を切り取ったようなこの豊かな自然に囲まれて、朝に夕に飼い犬を連れ、カップルで散歩やジョギングを楽しみ、そしてシープス・メドゥに芝生の香りを嗅ぎにやってくるのだ。日常の社会生活がいかに多くのストレスに満ちていようとも、こうして「自分に戻れる場所」がある。6年半のNYでの生活の中で、どれほどこころの支えになったか知れない。セントラルパークがなければ、とうにニューヨーカーの生活は潤いを失っていることだろう。
改めてシープス・メドゥに横たわり、高き秋の碧空を背景にパークサウスの摩天楼を眺めてみる。度々この風景をスケッチしたので(でも、結局は摩天楼の箱だけが並ぶ面白みのないものになってしまうのだが…)そのスカイラインは眼に焼き付いている。二つ、三つと新しいビルが建っているようだ。最初にこの周辺の摩天楼が建ち始めて150年が経ち、建て替えのサイクルに入っているのかもしれない。事実、街中は建築ラッシュで、NYは今、大きく街の風景を変えつつある、といっていい。しかし公園を囲む摩天楼の風景が変わろうとも、昔、羊たちが草を食んだこの草原は、時代を超えて変わらない。ニューヨーカー達のこころの拠り所として、…いつまでも。