エッセイ


「麻薬のりまき」アリマス―ソウル路地裏放浪記①

投稿日時:2012/06/07 10:21


 書店でふと手にした一冊の本との邂逅が私をソウルへと駆り立てた。その書名は『ソウル路地裏チョンマルガイド』(チョンマルとは「本物」のこと)。韓国通の日本人と地元韓国人の共同執筆なので、生半可な旅行案内ではない。ディープなソウルが覗けるに違いない、とバッグに愛読書、関川夏央の『ソウルの練習問題』を詰め込み、早速、機上の人となった。
 前回ソウルを訪ねたのは88(パルパル)オリンピックの際。文化・スポーツイベント担当部門に所属していた機縁で同僚たちと研修で訪れた。ツアー旅行だったせいもあるが、未だ軍事政権の影響が残る厳しい警戒体制の下、街歩きを楽しむ余裕はなかった。オリンピック後には大家族向の建売マンションとなる簡易ホテルのリビングで、同僚達と気焔を上げる燃料にと、街の酒屋でウィスキーを求めたが、関税障壁により輸入品は目の玉が飛び出るほど高額で、已む無く韓国産を買って飲んだら一口で頭痛がするほど質が悪かった。厳しい制約を掻い潜り最後の晩に屋台でようやくありつけた生牡蠣に同僚の大半が食あたりを起こしたのに、私とKさんだけがケロリとしていたことなど、どうでもいいことを未だによく覚えている。あれから24年、四半世紀が経った。
 昨今の軽佻浮薄な韓流ブームを横目で苦々しく見ている者の一人ではあるが、日本の電機メーカーを得意先とする欧州拠点に三年半身を置いた結果、グローバルで大きく水を空けられたサムスン、LG他の韓国勢の躍進の理由に思い巡らさざる日はなかった。十数年前にはわが社にも年間十人単位で研修生を送り込んできた韓国企業に、いまや日本企業は確実にその後塵を拝しつつある。かつて日本企業がそうであったように、模倣の時代から創造の時代へと突き進んでいるのだ。
 そんな活力の源泉が、あるいはソウルの路地裏に見てとれるのではないか。そう思って到着早々足を踏み入れた東大門近くの広蔵(クァンジャン)市場で早速、最初の一撃を喰らうことになる。突然目に飛び込んできたのは「麻薬のりまき」アリマスの看板だった。多分、これは市場で売っている、漬物を巻いて胡麻油を塗った、とても美味そうに見えない、あの海苔巻のことと思うのだが。それにしても「麻薬のりまき」とは・・・。
 これを嗤うことはできない。日本の侵略が遺した傷と、その後の両国の長く深い溝の象徴なのだ。そして、市場の喧騒の中に、深く沈澱した。


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