エッセイ


ベルーガとの対話

投稿日時:2014/07/15 04:23


 子供の頃、獣医になる夢に目覚めさせてくれたのは明らかに「ドリトル先生」であり「ムツゴロウ」であった。物心つく頃より猫と起居を共にし、一人っ子で鍵っ子であったことから自ずと「猫との対話」は身につくようになった。大学入試に失敗するまでこの志を貫いたのだから、まあ「動物好き」といっていいのだろう。

 高校時代には、当時流行していたローレンツやティンバーゲンをはじめ「動物行動学」の本を貪り読んだ。「すりこみ」を始めとした動物の生得的かつ定型的な行動は、学習によって得られるものでない限り、必ず遺伝子配列で説明のつくものだ、という仮説を持った。ようやく分子生物学が緒に付きはじめた頃の事である。そして40年経った現在、飛躍的なDNA解析の進歩によって、この仮説は立証されつつある。…そんな、動物に寄り添った人生を、もしかすると送っていたのかもしれない。福岡伸一先生は同世代である。彼の著作を読むと、そんな「生物学的同世代」のロマンを感じる。

 獣医の夢を諦めてからも「動物達との対話」はいろいろな局面で続いている。ひとつの忘れえぬ記憶を記しておきたい。

 NY駐在中の98年頃だったろうか。マンハッタンから地下鉄で南に1時間ほど下ったブルックリン南端にコニーアイランドという海岸がある。ここはいわばNYの「江の島」のような場所で、1920年代には都市労働者の週末の遊興地として遊園地等で賑わった場所である。クリスマス休暇が実質的な年始の休息であり、2日から通常業務が始まるNYの正月は、タイムズスクウェアのカウントダウンで山場を迎え、実に味気ないものだが、せめて「日本風の正月」を味わうために、このコニーアイランドに「初日の出」を見に行った時期もあった。

 そのコニーアイランドにニューヨーク水族館があって、当時はBeluga Whale(白鯨)が確か4頭ほどいたと記憶している。つがいとその子供達で、生まれたばかりの愛くるしい子鯨が水族館の呼び物となっていた時期だった。丁度同じ頃、日本でも「シロイルカ」と呼ばれてブームになっていたことを帰任後に知ることになるが、ニューヨーク水族館で見たBelugaの巨体は、やはりイルカというよりは鯨と呼ぶに相応しいように感じられる。

 さて、Belugaは周囲がガラス張りとなった巨大な水槽にその優雅な姿を観客に見せていたが、これとは別により深くて大きな飼育用の水槽が併設されていた。こちらは、休息用、あるいは睡眠用に作られているのだろう、深く丸く掘られた水槽にいくつかの小さな窓がついていて、Belugaも余り人目を気にせずに寛ぐことができる。この日は生まれたばかりの子鯨と母鯨が観客用の水槽に居て、飼育用の水槽にいたのは多分、父親のBelugaだったのだ、と思う。

 小さな覗き窓から中を見ていると、Belugaは丸い水槽をゆっくりと回遊しているのだが、他に観客もいないこともあって(観客は赤ちゃん鯨のいるガラス張りの水槽に釘づけになっているのだ)、小窓を覗く一人の人間に興味を抱いているように、窓に近付くと首を振りながら何かを語りかけて来る。「ねえ、一緒に遊ぼうよ」…と言っているように思える。最初は手を振ったりして反応していたが、どうも彼は "Come on!" と言っているように、何度も何度も小窓の前で語りかけてくる。

 そこで、ふと「禁断の悪戯」を思いついてしまったのである。ポケットの中には新品のトークン(地下鉄専用の硬貨)がある。これを、思い切り、天井のない飼育用の水槽の上部に投げ上げた。トークンは見事にこの水槽の中に落ち、西陽を浴びながらひらひらと光りながら深みへと沈んでいく。ふと、視界からBelugaが消えた、と思った瞬間、底の方からBelugaの巨大な顔が小窓を一杯に現れた。彼と眼が合った瞬間、彼は笑うように口を開いた。その舌の上に載っていたのは、なんと投げ入れたトークンだったのだ。

 一瞬、取り返しのつかないことを犯してしまったような罪悪感に襲われた。トークンを飲込んでしまったらBelugaの健康に悪影響を及ぼしかねない…。ところが、彼はそんな心配を余所に、全く頓着もせずに、一度、口で受け取ったトークンをまた吐き出して、底に沈む前に拾っては、小窓に持って見せに来る。玩具を得て何かとても楽しそう遊んでいるのだ。これなら、誤って飲み込むこともなさそうだが…さて、どうしたものか、と思っていたら場内アナウンスが聞こえてきた。「Belugaの飼育用水槽に何かが投げ込まれたようなので、公開を中止します。お客様は飼育用の水槽から退場してください。」

 Belugaとのかけがえのない対話の代償として、水族館の飼育員に大変な迷惑を掛けることになってしまった。しかし、おそらくは、飼育員の求めに応じ、Belugaはトークンを素直に引き渡すことだろう、そんな確信があった。

 暫くは、TVのローカルニュースやNY Timesから眼が離せない日々が続いたが、幸いにしてニューヨーク水族館のBelugaがトークンを飲込んで腹を壊した、あるいは死んでしまった、というニュースはなかったし、半年後再訪した時にも、4頭は元気に泳ぎ回っていたので、ようやく胸を撫で下ろした。

 ドイツ在勤時には、ベルリン動物園で育児放棄に遭ったホッキョクグマの「クヌート」が世界中の話題を浚った。「母親代わり」になった飼育員トーマス・デルフラインとの「人間と動物の垣根を越えた交流」は有名になったが、一方で、野生を離れ「人間化」してしまった野生動物の行く末を危惧するドイツ人も多かった。事実、生後6ヶ月、ベルリン動物園を訪ねる機会に恵まれた時に、他のホッキョクグマ達から隔離され、「母親」デルフラインを呼び求め続けるクヌートの声を聴きながら、その同じ危惧を強く抱くことになった。不幸なことに、この危惧は現実になってしまい、デルフラインは2008年9月に急逝し、クヌート自身も、結局、他のホッキョクグマの集団に戻ることはできず、脳の異常のため2011年3月に事故死することになった。Saint-Exuperi の "Le Petit prince" の王子と狐との会話にもある通り、「人間と動物」の「距離感」はとても大切なことなのだ、と思う。いや、これは人間同士の関係にも通じる「真実」である。

 ドイツ在任中に、家人の姪が遊びに来て、三人で一緒にドレスデン、マイセンに遊びに行った。古都マイセンを歩いている内に、ふと気づくと、彼女は広場に佇む二頭の馬車馬にカメラを向けるでもなく、何かを語りかけている。ここにも、もう一人の「ドリトル先生」がいたことを知って、少し心和らいだ。因みに、彼女は偶然にも私と同じ誕生日に生まれている。




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