エッセイ


お城はやっぱり街のヘソ―まつもと漫歩計⑤

投稿日時:2012/05/19 05:44


 そもそも城というものは好きではない。防御を旨とした拒絶的な外観。権謀術数をめぐらした建築装備。そして何より武士の汗と血の匂う無骨な内装。だが、松本城は少し違う。
 松本城天守に登る。それはよく晴れた晩春か初夏がいい。五重六階の天守には外観から隠れた秘密の階の上に、城主が退避することを前提に御簾が設けられ、居住性を重視した四階がある。踏み外せば確実に大怪我をする急階段を上り五階へ、そして六階の床から首を出すと、周囲を山脈に囲まれた盆地の平城の大パノラマが拡がるのだ。
 西側の窓辺に腰を下ろし、頂に冠雪残る北アルプスの峰々を眺めながら、尾根伝いに吹き降ろしてきた涼しげな風に滲んだ汗を乾かす、その心地よさは類を見ない。時を忘れる。その昔、江戸市中にイミテーションの富士山が数多くできたように、ここは盆地の中の山頂の擬態なのかもしれない。登山の爽快さを感じることができる。
 そう、松本城は典型的な平城、山城でも平山城でもなく、街と融合している。中世ヨーロッパの都市が教会を中心に放射線状の街路と周囲の城壁で形成されたのと同様に、松本は城を中心にその石垣の裾野がそのまま盆地に拡がったような街である。今ではその数多くが埋め立てられてしまったが、堀には街中に湧出る伏水が集められ、水面に天守の映える、美しい水の街の城だったに違いない。
 城を降りると東町に土産を求めにいく。今も僅かに残る総堀(大外堀の一部)を北に上ると、そこには城下の老舗が数軒、残っている。家人が向田邦子の「う」の抽斗(作家が取り寄せていた全国の「うまいもの」のチラシの入った抽斗のこと)に八百源漬物店が収められていたことを目聡く覚えていてこれを手土産にと所望した。この山葵漬は山葵の繊維が細く残され食感がいいばかりでなく、香りが活きて嫌味のないすっきりした甘みと調和している。
 最後に申し添えるべきことがひとつある。現在、城の北側に明治建築の優雅な佇まいを見せている開智学校は、昭和30年代に移築されたものである。以前は、城の南、大手を下り、女鳥羽川沿いのごみごみとした町人街の只中にあった。東京で言えば、泰明小学校である。開智学校の踏み削られた廊下を歩きながら、貴方がもし庶民の匂いを嗅いだとすれば、それは移築前の魂の残片を感じとったことになる。ここが長野の教育立県たる所以であろうか。


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