エッセイ


掌のぬくもりと安らぎ―まつもと漫歩計④

投稿日時:2012/05/17 04:58


 松本市内からバスで約15分、美ヶ原温泉にほど近い山の麓の里・山辺に松本民藝館はある。市内から少し離れているせいかGWにも訪れる観光客は多くはない。白漆喰の塀に囲まれた大きな長屋門を潜ると中庭に広がる灌木の林に、山里を吹き抜ける風が心地よい。丁度、山吹の季節。汚れなき透明な黄色い花々が風にそよいで来客を迎えてくれる。
 この松本民藝館は、中町の民藝店「ちきりや工藝店」の主人であった丸山太郎が昭和37(1962)年、最初は小さな土蔵の中に自らの蒐集品を展示して開いたものだった。やがて蔵に接して増築を行い、長野県内の工藝品を中心に古今東西の民藝を収蔵している。
 松本に旅心そそられる最大の理由はこの松本民藝館にある。よく晴れた山里の遅い春の昼下がり、白壁に木枠の土蔵の窓から靄に霞む雪解けの北アルプスの峰々を眺めながら、傍に桃の花鳥の囀りを聞き、しばし時間を忘れて木の床の温もりの中で佇むことが至福の時間だ。そして蒐集された民藝の暖かさ。
 丸山は昭和11年に開館した東京・駒場の日本民藝館に刺激を受け、柳宗悦ら中央の民藝運動のメンバーと親交を深め、地元の仲間達と松本に日本民藝協会の支部を作った。柳らと同様、朝鮮から中東に至る広い視野で工藝品を収集したが、やはりその審美眼を育てたものは、信州土着の民藝であったに違いない。一つだけ例を挙げれば、信州中野の土人形は実に微笑ましい表情で見るものを和ませてくれる。いわば信州の手作りの温かさを肌で感じさせてくれる宝庫なのだ。
 丸山は没年の2年前の昭和58年、73歳の時に、この手塩にかけて育て上げてきた松本民藝館を蒐集品ごと松本市に寄付する。現在、館長を務められている丸山悦平氏はそのご子息だが、丸山太郎の生涯を記したブックレットを、太郎の肖像を自ら木版で和紙に刷った作品で飾って売っている。そんな手作りのぬくもりと安らぎが、この松本民藝館の随所に感じられる。
 最後に。松本の白漆喰になまこ壁の街並みを現在に唯一伝える中町は、そこに店を構える丸山太郎の主唱で、その景観が保全されることになったものだ。人間の本質を近視眼的ではない展望で見通した、慧眼といえる。


Powered by Flips