エッセイ


生活をデザインする―まつもと漫歩計③

投稿日時:2012/05/12 05:00


 松本駅お城口駅前広場の先にあるターミナル・ビルに高く掲げられたAlpico(アルピコ)とは見慣れぬ社名であったが、由緒を正せば旧松本電鉄であった。1992年にGIを導入し、アルプスからとった現社名に変わった。
 到着早々美ヶ原温泉に足を向けたのだが、このバスターミナルはサインや路線図など色彩が路線別に統一されていて実に分かりやすい。迷うことなく目的のバスに乗ることができた。デザインはこうして生活の中で活きてくる。
 デザイン感覚が研ぎ澄まされていても生活に活かされないことがある。冬季五輪のトリノでそれを感じた。トラムの路線の色彩もデザインもばらばらで、幾度か行き先の違うトラムに乗るハメとなった。ホスピタリティの差なのかもしれない。
 松本の人々は伝統的にこうしたデザイン感覚を生活に活かしている。象徴的な例が民藝家具だろう。後に触れることになる松本民藝館を訪れればすぐ分かることだが、長い冬の閉ざされた盆地の風土の中で、信州人は匿名性の工藝によって生活の美と豊かさを追求してきた。なまこ壁の蔵の街並みの美しさもこれに起因している。そして都会に疲れた旅人達は、しばしこの街に立ち寄り、民藝の暖かさに包まれた空間に身を置き、心の安らぎを取り戻す。
 柳宗悦の民藝運動や柳田國男の民俗学は、近代化により失われつつある匿名性の美に対する喪失感から生まれたのだと思うが、松本の人々にはそれを保全していこうとする明確な意思を感じる。アメリカ流の強迫的な生産・消費社会とは一線を画する、スローライフの哲学が生活の中に実在している。竹下通りと見紛うナワテ通りのような観光名所ができても、この深い懐は変わらない。
 宿は松本城のすぐ近く大手にあるHotel Harmonie Bien(アルモニー・ビエン)。昭和初期に建てられた旧第一勧銀のアールデコ建築を結婚式場に改修し、その奥に客室棟を新設したホテルである。近代建築のファサードを活かした横濱の都市計画に拠り所を求める身としては、ことの他嬉しい宿であった。生活に活かされたデザインはこころを豊かにする、陰影の美しい旧館でモーニング・ブッフェをとりながら、そう考えた。


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