エッセイ


水に親しむ―まつもと漫歩計②

投稿日時:2012/05/11 22:03


 街を歩くのに理由はいらない。しかしテーマを持った街歩きはそれを切り口として更なる発見をもたらしてくれることがある。
 GWのある休日の昼前、松本駅で「はまかいじ」を降りれば、他の観光客とともに駅のコンコースの俄かづくりの観光案内にふと足を留めるのは当然の成り行き。数あるフリー・パンフレットの中に「まつもと水巡り」(「新まつもと物語」プロジェクト・製作)をみつけたのは幸運であった。そもそも、幕末来濱のフランス人が何故山手の麓の湧水を外国船に売ったかに思い巡らせる者が、歴史ある街を彩る湧水に無関心でいられる訳がない。
 急峻な山々に囲まれた盆地・松本には清らかな雪解け水を源泉とする伏水が街の至る処で湧水となり、街を巡りやがて梓川となって千曲川、信濃川を経て日本海へと流れ出る。松本にはこうした湧水の井戸が街中にあり、路肩に清流の水音が耳を和ませている。そんな街の風景を形作る水の道を3つのコースに分けて「水巡り」としたのが、この絵地図であった。
 まず松本市美術館にほど近い「源地の水源地井戸」から歩を進める。この水は現在でも松本市の水道水源のひとつであり、毎分150リットルが湧出しているというから、元町にあるジェラールの水屋敷の湧水の約3倍の水量ということになる。口に含むと冷んやりとまろやかな軟水に微かな甘みを感じる。
 こうしていくつかの井戸を巡るが、いずれの井戸にもペットボトルやプラタンクに水を汲む地元の人の姿がある。沸かすことなく、そのまま水割りの割り水や日本酒の追い水とするという。
 いずれの井戸も美しく保全され、人々が湧水をとても大切にしていることが分かる。水を大切にするということは、自然を慈しむことに等しい。誰かがそこに汚水を流せば、誰もが清水を失うことを知っている。そしてそこに公共のこころが芽生え、他人を労わる気持ちが生まれる。
 蔵造りの家並みの美しい中町に近い「徳武の井戸」には、苔むす井戸口に摘み立ての野草が添えられていた。水に親しむ街の人は、街往く旅人への心遣いを忘れない。


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