エッセイ


「うら町へようこそ」―まつもと漫歩計①

投稿日時:2012/05/11 03:11


 GWを利用して訪れた松本の街を縦横無尽に闊歩しながら突然目にしたこの電柱看板に、倒れんばかりに驚いた。いわば抱腹絶倒である。
 街づくりのお手伝いをしている元町クラフトマンシップ・ストリートは、旧称「元町仲通り会」と言って、元町のメインストリートと並行した一本山手側の「仲通り」を基軸とした商店街だが、世に言う「仲通り」とは「裏通り」である。知人が「ああ、あの裏通りね」と言うと、商店街の役員は、私を含めこぞって皆ないや~な顔をする。それが嫌だから「仲通り」と称するのである。
 しかし、この街は下横田町という立派な町名を持ちながら、自らを「うら町」と称して憚らない。それは市民にそう呼ばれ親しまれてきたからだろう。市の北東部にあたるこの街は、後にご紹介する数ある湧水のひとつ「鯛萬の井戸」(たいまん、といっても貴方のことではない)の周辺で、もともと商人町・職人町として栄え、未だに鯛萬小路といった細い路地に、京都の先斗町を思わせる瀟洒な飲食店がひしめく街だった。鯛萬とはかつてその象徴となった料亭の名跡である。
 しかし市の産業が下火になってくるとこの遊興街も寂れていった。今では昭和の風情を残す店がいくつか点在する程度。でもこの商店街は頑張っている。大通り沿いに「華のうら町・夢屋台―はしご横町」と称して、一区画ではしご酒ができるように十数軒の長屋風の飲み屋スペースを配し、その入口にはご丁寧にお稲荷さんまで作ってある。通りを挟んだはす向かいの「うら町会館」(商店街事務所)には「うら町・街づくりの相談センター」なる看板まで掲げられていて、街づくりへの熱意が伝わってくる。
 しかし、休日ということもあって街は閑散としていた。はしご横町も今では歯欠け状態で、近隣のバー・クラブも看板を裏返したシャッター店舗も少なくない。
 何が欠けていたのか。そして、私たちには何があるのか。以て他山の石、である。
 


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