エッセイ


川辺という自然を歩く

投稿日時:2014/05/25 09:01


 梅雨入り前の皐月晴天。こんな日は神田川の川べりを上り、善福寺川ほとりの和田堀池、大宮八幡宮に歩みを進めるに如くはない。川辺の遊歩道は桜を号砲に一時百花斉放の感があったが、青葉繁れるこの季節は深緑一色に染まり、蜜求める蜂たちも暫し翅を休めるのであろうか。その中、雨の季節を待ちかねたように、小さな薄緑色の花蕚をまあるく集め始めた紫陽花が、青紫の水絵具を極く薄く溶いたようにその先から染めていくのは、静謐なる神秘といっていい。

 神田川は東中野から南へと上り桜並木の葉桜の緑に川面染めながら、やがて青梅街道・淀橋を過ぎる辺りから西に折れるとともに、異なる容貌を見せ始める。立ち並ぶビルやマンションに囲まれ、川というより、コンクリートで四角く護岸された「水の流れ」と相貌を変える。無味乾燥な川辺の風景に飽きる頃、川に掛る朱色の反り橋が引き立つ。つい数年前に架け替えられた「中野新橋」である。界隈には未だに昭和初期の花柳街の風情が残る。月を映した川面に柳の戦ぐ朱色の橋は、さぞ風情があったことだろう。治水護岸のために樹は切られ藝者衆も姿を消したが、朱の反り橋だけが残った、この街の象徴のように…。そういえば、本ブログで以前探求を極めたあの「三好弥」の中野店の支店がこの中野新橋にある。小さな洋食店ではあるが、前を通ると店を開けて商売していたので、少し安心した。

 中野新橋を過ぎると、やがて中野富士見町へと辿りつく。立正佼成会の城下町のようだが、神田川縁の小高い丘には都立富士高校の森が見える。学区内抽選の結果、あるいはここに三年間通っていたのかもしれない。その方が有意義な学園生活を送れていたのかもしれない。杉並の高校には苦い思い出しか残っていない。過ぎ去りし人生の "if" である。丸ノ内線の富士見町駅は方形のコンクリートの駅舎に薄青色の細長い羽根が並べられたラジエータのような素朴なデザインが美しい。景観に溶け込みながらも、良く目につく優れた建造物だと思う。この先、川をやや上った左手には広大な東京メトロの車庫があって、中野坂上から荻窪に向かう本線から分岐した支線が、ひとつ先の方南町を終点とするのは、この中野車両基地のためだ。昭和初期の銀座線に次ぐ、東京で2番目の地下鉄丸ノ内線が開通するのは昭和37(1962)年だが、この車両基地の用地買収は昭和19(1944)年、銀座線との分岐点である赤坂見附から赤坂に向けて最初の工事が始まったのは昭和17(1942)年というから、実に気の長い作業である。戦争という不幸がこの時間の帯の中に織り込まれている。

 車両基地が終わる辺り、井の頭に向かう神田川を左手に見て別れを告げ、支流の善福寺川を上る。暫く右手に立正佼成会の荘厳で巨大な施設群が続くのを見ながら環七を超えると、漸く緑の川べりが戻ってくる。この辺りから川は大きく迂回を繰り返し、目的地の和田堀に至るが、今まで無機質だった川面に、鴨の親子が現れる。生まれたばかりの五羽の雛が、餌を探す親鳥に遅れまいと群をなし上流へと泳いでいく。雛たちの小さな水掻きは必死に水を蹴るものの、少し気を緩めた一匹の雛が流され群から離ていく。はらはらしながら暫くこうした様子を眺て飽きない。同じ欄干から雛の様子を見守っている地元の人によれば、小さい雛はカラスの餌食になることが多いという。都会の歪んだ生態系の象徴のような話である。数つがいの鷺もこの周辺で餌を漁っていたので、小魚でも生息しているのだろう。少し上流で現在護岸工事が行われているため、水はやや汚れているが、善福寺公園を源流とするこの川の汚染は随分と改善され、水は透明度を増している。

 やがて、和田堀池に至る。周囲には広大な運動場も整備され、スポーツを楽しんだ後には深緑の公園でバーベキューを楽しむ家族連れも多い。公園の芝生の上に蚊よけのテントを張って、赤ん坊を抱え寝かせたママ友たちが、木陰で四方山話に花を咲かせている姿も微笑ましい。豊かな自然の中で泥だらけになって育つことは、子供のこころをどれだけ豊かにするだろう。和田堀の丘にあたる大宮八幡宮の裏手には弥生時代の遺跡もあり、古からこの川の蛇行の生む豊かな自然から、人間が計り知れない恩恵を被っていたことが分かる。

 道行の汗を乾かすように、大宮八幡宮の本殿脇の菩提樹の大木の木陰に涼んでいると、お初参りの家族がいくつも訪ねてくる。お初参りは生後30日前後の晴天の日を選んで、ということらしいから、この素晴らしき五月晴にお初参りができるのは、まさに新たな人生に与えられた天恵といっていいだろう。生後30日の赤ん坊といえば、まだ首も坐っていないが、この間に、男の子なら黒羽二重の五つ紋付熨斗目模様、女の子なら絵羽模様に五つ紋を準備するというから、父母のみならず爺婆の家族の紐帯を固める大切な儀式に相違ない。荒波の人生に船出する緑児とその家族の束の間の幸福な時、といえるのだろう。そんな風景を眺めていると、幸福のお裾分けに預かった気持ちがする。大宮八幡宮の境内にある大宮幼稚園の児童たちの描いた絵が社務所脇に飾られている。お初参りの喜びと希望を祝福するかのようである。

 こうして大宮八幡宮の静寂に包まれた社に小半時を過ごし、傾きかけた陽に誘われるように赤提灯へと足を向ける。永福町から高円寺に抜けるバスに乗り、駅前にある、新井薬師発祥の酒場「四文屋」の魚屋の暖簾を潜る。大宮八幡宮には何故か愛知は知多の中埜酒造の「國盛」の菰樽が数多く奉納されているのだが、偶然にもそのにごり酒をみつけ、初鰹の刺身で一杯。まさに風薫る皐月の至福の時であった。


 窓ぎわの螢袋が咲いている時の流れはしずかに早い 方代



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