エッセイ


旅立ちの街

投稿日時:2012/05/02 05:58


 美しく萌える海岸通りの銀杏並木の若葉に誘われるように、家人と共に元町から海沿いを散歩してホテル・ニューグランドのカフェでブランチを取ることにした。開店したばかりのカフェは客も疎らで、光の降り注ぐ窓際のテーブルに案内された。正面の山下公園では何かのフェアを開催しているらしく、テントが並び賑わっている。新緑の風景にしばらく浸っていると、ふと白いものが目の前を過った。これから、ニューグランドで結婚式を挙げる若い二人が風雪に耐えたこのホテルの雄姿を背景に記念撮影をしているのだ。
 結婚という人生の門出をどこで迎えるかということは大切なことだ。夫婦が人間関係の礎となる家族の原点である限り、それはいわば新たな社会への入り口となるからだ。そうした意味で、横濱で結婚式を挙げる若者が増えたことは喜ばしい。人生は旅に喩えられる。船旅こそ、じっくりと目的地に舳先を向ける二人には似つかわしく、港町こそその門出には相応しい。
 旅といえば、故郷や家族という生活の束縛から解き放たれる旅もある。囚われの自分を捨ててより開かれた世界へと旅立ったコスモポリタン達。古くは西行、芭蕉、そして山頭火、放哉、三鬼、方代。ゴーギャン、モーム、ヘミングウェイ、キャパそして星野道夫。いずれも故郷を喪失しながら故郷への引力を発条に作品を紡いだ人々である。
 旅が「入口」であろうと「出口」であろうと、その門出が旅を規定する。皐月の薫風にそよがれながら未来への希望を抱く二人の後ろ姿は凛凛しくそして逞しかった。そして、二十歳を目前に、仙台までの600キロの徒歩旅行に出たあの初夏の眩いばかりの朝の光を思い起こした。
 グリーンサラダの春レタスの冷んやりとした食感を愉しみながら、こうして私たちの休日は始まる。



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