エッセイ


山と街、自然と人―松本風土記 ①

投稿日時:2013/10/31 06:33


 10月上旬、遅い夏休みを取って、また松本にやって来た。昨年の5月に引き続きの逗留である。

 実は、松本との付合いは古い。30年前入社早々に経理に配属になった。仕事納めが過ぎても資金の移動のために年末まで出勤しなければならない。暮れに寛ぐ人々を横目に、これは苦行であった。大晦日の午後、漸く解き放たれた瞬間、糸の切れた凧のように我知らず夕暮れの中央本線急行に飛び乗っていた。勿論、その時は着の身着のままであったので、向かった先は甲府。それでも、透き通った空気の彼方に聳える山々、人影疎らな昇仙峡を昇り、峠の茶屋に立ちのぼる煙に山里の正月を感じ、心和まされた。

 学生時代に既に放浪癖を身に纏っていたことも手伝い、その後も事あるごとに「あずさ」で西に向かうことになる。仕事に行き詰った或る5月、遂に足を延ばして松本に至る。そして偶然訪ねたのが、この 『松本民藝館』 であった。皐月薫る松本盆地に向けて、北アルプスの山々から吹き降ろしてくる風は実に心地良い。そんな松本の風を満喫したのが、松本城天守閣と、そしてここ松本民藝館の白壁の土蔵風の窓を抜けていく、その風であった。

 東京の雑踏から、「何か」の強迫観念に執り付かれたかように逃れてきた自我が、土蔵造りの窓辺に佇み、北アルプスの山々を眺めているうちに、すっかりと因われていたものから解き放たれ、美しい自然の中へと溶解していくのを実感したことを、今でも覚えている。そして、この風土に培われた民藝のこころを宿した小さな輝けるものたちを、ひとつひとつ眺めるのが、心の均衡を保つ最善の術であることを知った。

 あれから30年が経った。その内10年は時の経過を忘れるような怒涛の時代を海外で暮らし、帰国してからの10年は、社会と会社の余りの変貌に自分の居場所を見喪なった。そして、久しぶりにこの「こころの故郷」に戻ってきた。この場所は、30年前と全く変わらない。いや、市内中町通りの民芸店の店主、丸山太郎が柳宗悦の民藝運動に感化を受け、この美ヶ原に近い場所に、自費で民藝館を建て、自らの民藝品の蒐集を展示しはじめた、50年前とも、多分、全く変わっていないことだろう。

 今回、改めて松本を旅してみて、丸山太郎が決して「偶然」ではないことに気付かされた。柳宗悦の民藝運動は中央エリートによる日本文化史の大きな潮流のひとつと見ることができるが、丸山の目指していたものは、より松本という風土に根差した土着のものである。勿論その蒐集は、日本全国、朝鮮半島から中央アジア、欧米に至る広範なものではあるが、日本民藝館の蒐集品との違いは一目瞭然である、と言っていいだろう。柳宗悦の蒐集は世界の文明を広範な視野に据えているが故に大仰であり面白味に欠ける。一方で、丸山の蒐集は、松本あるいは信州という民藝の作り手の現場により近い視点であるが故に、こじんまりと纏まっているものの、暖かさとユーモアがある。そう、観る者に微笑みを与えてくれるのだ。現在、われわれが松本の民藝家具に言い知れぬ郷愁を覚えるのは、まさに丸山がその産業化を指導した基礎が、土着性にあるからに他ならない。

 前回の旅は、松本市内を漫遊した街の記録としたが、今回はたまたま初日に上高地を訪ねたところから、大自然に囲まれた松本の風土と、そこに暮らす人との触れ合いを通じて、街の魅力を謳歌してみたい。



Powered by Flips