一人っ子で、母が仕事を持ち、両親が不仲だったために、想像の世界で遊ぶことが好きな子供になってしまったようだ。獅子座のA型であることも少なからず影響しているらしい。
"Le Petit prince" の一節である。仏語は解せないので英訳で拾う。この物語の中での狐との邂逅は、王子に 「自分にとってかけがえのないもの」 とは何かを教えるが、別れ際に狐は王子に秘蔵の箴言をこうう伝える。"One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes" 「心でこそ、はっきりと見ることができる。本当に大切なものは、目には見えない。」
実はそんな少年期に決定的な影響を受けた3つのバイブルがある。子供の頃は、野山を駆け回る「野生児」として育ったため、余り活字に親しむ習慣はなかった。いずれも映画(しかも、何故かミュージカルである)を通してである。
"Chitty Chitty Bang Bang" が日本で封切られたのは、1968年とあるから10歳、小学4年である。夢想家にして自分の夢を形にしてしまわねば気の済まぬ(それでいて成功した例のない)、主人公の売れない発明家カラクタカス・ポッツにすっかり自己同一化してしまったのだ。ロードショウに何度も通い、LP版のサウンドトラックをポータブル・プレイヤーで擦り切れるまで聴き返して、意味も分からぬ英語の歌詞を諳んじるほどになった。夏休みの自由研究に「空飛ぶ自動車」を創った。これはクランクアームを使って玩具の自動車が前進するとともに、車体の脇から出た翼が上下するようにしたもので、その秋の市の創意工夫展に出展され、賞状を頂いた。人生、最初で最後の賞状である。小学校4年生で、このような玩具を自分で作って遊んでいたのだから、ポッツ氏になりえた素質は、確かにあったのかもしれない。
舞台は20世紀初頭のイギリス。ポッツ氏は、男女二人の子供達にせがまれて、レース中の事故で放置されたレースカーを、見事なクラシックカーとして蘇生させる。子供達と親しい製菓会社の令嬢トル―リーと四人で海辺にハイキングに行って、そこから、ボンバースト男爵の悪政に疲弊する山辺の街へという「想像の世界」へと物語は入り込んでしまう。その世界の中で、この自動車 Chitty Chitty Bang Bang は海を走ったり、空を飛んだりの冒険をするというストーリーである。空想の世界が終わり、現実の世界に戻ってみると、漸く彼の発明品が買い上げられることになり、ポッツ氏が車の助手席のトル―リーに「夢はいつか実現するものだ」という話をしながら運転していると、いつしか車が空を飛び始めている、というラストシーンは、この童話が007シリーズの原作者イアン・フレミングによって書かれ、そして同じ007シリーズの製作者アルバート・ブロッコリにより製作された真骨頂を表していると言っても過言ではないだろう。
二番目のバイブル、Mary Poppins はこれとは逆に原作(しかも原書)がその入口であった。子供の頃からサウンドトラックで英語の発音に親しんだ割には、中学校での英語の成績は散々で、心配した母親は、東大医学部生の家庭教師を付けた。この先生は広島の出身で、わざわざご実家まで遊びに伺ったことさえある。今にして思えば、開高健の 『裸の王様』 の主人公の少年のように疲弊していたからだろう。この少年を解放してくれる画塾の先生よろしく、この先生の選んでくれたテクストが、Mary Poppins であったのだ。
残念ながら、先生の粘り強いご尽力にも拘わらず、英語への学習意欲は一向に改善されなかったが、1965年に既に封切りとなっていたこの映画を見てみようという契機にはなった。何より、主演のジュリー・アンドリュースの歌声の虜になっていたことが大きい。子供の頃、ピアノ教室の発表会でボーイ・ソプラノでミュージカルの主演を演じたことがあった。声変わりによって「全てを失う」哀しさは、ウィーン少年合唱団と同じである。美しいソプラノ(そして、バック・テナー)への憧れは今でも潰えない。
この映画は、銀行勤めのバンクス氏の男女二人の子供の nanny としてやってきたメリー・ポピンズが、「魔法」を使って、束縛された生活から二人を救ってくれる話である。この「魔法」とは、A spoonful of Sugar helps the medicine go down の曲でもわかるように、はやり「空想の世界」のことである。この映画が教えてくれたことは、主人公のメリー・ポピンズだけでなく、煙突掃除のバート(Chittyのポッツ氏を演じたディック・ヴァン・ダイク)、そして鳩の餌売りの老女など、イギリスという階級社会の中で、慎ましくも心豊かに生活する人々の存在であった。「魔法」はその人々の知恵なのである。
因みに、先の "Chitty Chitty Bang Bang" は、異なる製作会社であるにも拘わらず、1964年製作のこの "Mary Poppins" の大勢のスタッフが参加して製作されたものであった、という事実は後に知ったことである。
そして、最後のバイブルが映画 "The Little Prince" である。日本封切は1974年なので、16歳、花の高校2年生であった。永く原作の映画化を許諾しなかった Antoine De Saint-Exupery の遺族だったが、その心配とは裏腹に、この作品は原作に忠実に、その世界観を描き出している。狐役のジーン・ワイルダーも素晴らしいし、何より、後に伝説となる振付師ボブ・フォッシーの蛇役が極めて印象的である。彼のダンスはマイケル・ジャクソンにも多大な影響を与えた、と言われているが、後年、NYに駐在していた時に、10年以上前にこの世を去っていたボブ・フォッシーの振付で構成された "Fosse" というミュージカルが上演されて話題となり、見事、トニー賞を射止めた時に初めて、彼の伝説を目の当りにした。
Saint-Exupery の主要な作品は殆ど読んだが、彼は果敢なる飛行士であり軍人でありながら、子供の頃から常に現実とのギャップに悩み、空想に生きた人間だった。このギャップこそが、彼を空へと向かわせ、アフリカの荒野への不時着や、最期は軍人として戦闘機とともに地中海に沈むまで、危険と背中合せの人生を生き、そして、その故に彼の眼差しは優しく、本質を射抜く力を持っていた。サン=テグジュペリと言えば必ず引用される冒頭の一節は、まさにそんな彼の生を象徴しているだろう。
この映画が上映された、1974年夏、ある予備校の夏期講習に通っていた。2週間ばかりの短期集中講義だった、と記憶している。座席は受講番号で定められており、二人掛けのテーブルの横には、同じ学校区の女子高生が座っていた。罌粟の花のような彼女はいつもニコニコと笑顔が美しく、折に触れて話しかけてくれるのだが、晩生で朴訥な会話しかできない自分が、実に不甲斐なかった。講習会も終盤となり、思い切って彼女をデートに誘おうと、この映画のチケットを2枚買って、緊張した面持ちで最終日に臨んだ。それまで皆勤だった彼女は、この最終日に限って欠席した。優秀な彼女にとっては、多分、講義のレベルが低すぎたのだろう。
「本当に大切なものは、目に見えない」―青春の苦い一頁とともに、この一節は心の抽斗に仕舞われている。