エッセイ


「寅さんは二度死ぬ」

投稿日時:2013/08/04 10:10


 映画 007シリーズのタイトルは、プロットはともかくそのテーマソングも含めて含意が深い。一番好きなのは  "For your eyes only" だが、これはもともとは Confidential に近い意味で、「読後焼却すべし」と原作が訳されている通りなのだが、同時に、映画の最後のシーンで、ジェームズ・ボンドが敵に奪われそうになったミサイル誘導装置を博士の娘メリナ(キャロル・ブーケ)と奪い返し、エーゲ海に浮かぶゴムボートの上で二人だけの時間を楽しむシーンと重なっている。ヘリコプターのカメラでこのボートがどんどんズームアウトしていくシーンにシーナ・イーストンの謳う "For your eyes only" が被さるラストでは、この歌詞はメリナの心を代弁して聞こえる。

 シリーズの一つ前の11作目は "You only live twice" で「007は二度死ぬ」と苦肉の邦題がつけられたが、正確な英語の意味は「貴方だけに許されたもうひとつの命」ということになる。こちらの主題歌はナンシー・シナトラが謳うところの歌詞だが、印象に残るのは、"One life for yourself and one for your dream" がその二つの命の意味するところとされていることだ。実は、こうして二つの命を与えられたのは二枚目のジェームズ・ボンドだけではない。我が愛する渥美清こと「フーテンの寅」その人である。

 映画の 『男はつらいよ』 は1969年8月に第1作が封切られたが、それ以前に、1968年10月から1969年3月まで全26回にわたり午後10時台の45分枠のテレビドラマとして、フジテレビ系列で放送されている(残念ながらVTRは初回と最終回しか残されていない)。登場人物等の設定は、映画のそれとほぼ同様である。その最終回で、寅次郎はハブ狩りでひと儲けしようと弟分の雄二郎(佐藤蛾次郎)とともに奄美大島に出掛けるが、そこでハブに噛まれて敢無く死んでしまう。スタート当初には低迷していた視聴率も、番組終了間際には20%まで跳ね上がり、寅次郎の死に対し、視聴者から抗議の電話がフジテレビに殺到した、と言われている。

 こうした経緯から、映画版の 『男はつらいよ』 がスタートし、全48作、足掛け27年の長い「寅さん」の旅路が始まることになった。テレビドラマ版と同様、その全ての脚本と殆どの監督を山田洋次が担当しており、寅次郎の人物の設定は山田の自伝的独白にもある通り、渥美清との共同作業であった。渥美清は、浅草のストリップ劇場の大衆演劇からスタートし、売れない芸人として結核になり片肺を切除する貧しい生活の中で、失われつつある的屋の口調を諳んじ寅次郎の原形を演じた、と言われている。いくつかの伝記を読むにつけ、渥美清は想像以上の堅物だが、堅物故に、常にどのようにして観客を楽しませるかに徹していた、いわば職人のような芸人であった。

 結果的に、映画 『男はつらいよ』 シリーズは、山田洋次と渥美清という「共同制作者」のもと、最長シリーズとしてギネスの認定を受けるほどの長丁場となった。1996年8月4日、渥美清は残されたひとつの肺を癌に冒され、68歳でついに他界することになるのだが、後年の渥美清の体力の衰えを目の当りにした山田は、甥の光男と恋人の泉のエピソードをプロットの軸に移し、彼の撮影の負担を軽くしていった。第42作 『男はつらいよ・ぼくの伯父さん』 以降、この傾向は強くなっていく。

 シリーズを通じ、山田洋次の寅さんに対する優しい眼差しは一貫しているが、特にそれを感じるのは 『男はつらいよ・寅次郎忘れな草』 (第11作、1973年8月4日封切り)でのリリー(浅丘ルリ子)の登場である。どちらかというと、性格的にも世間体からも堅気にはなれない寅次郎の、一方的で迷惑だが憎めない想いの結果「破談」となってしまう、それまでの寅次郎のマドンナに対し、リリーは、自らも放浪の酒場歌手として、寅次郎の愛を受け止め抱き抱えようとする。過去10作で一方通行の恋ばかりっだった寅次郎自身に「生きる夢」を与えるために、山田洋次が設定したマドンナだった、といえよう。

 リリーはこれ以降、『男はつらいよ・寅次郎相合傘』(第15作、1975年8月封切り)、『男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花』(第25作、1980年8月封切り)、そして遺作となった『男はつらいよ・寅次郎紅の花』(第48作、1995年12月封切り)に都合4回登場し、シリーズ最多登場のマドンナとなる。女優業を引退していた浅丘ルリ子の「忘れられていた強烈な個性」と、この映画にかける情熱も、死にかけていた寅さんを活き活きと蘇らせた一因になっていたに違いない。

 その遺作となった 『男はつらいよ・寅次郎紅の花』 は、幾度か結婚したものの破綻し、奄美大島に家を借りて永住の地としようとするリリーのもとに寅次郎が偶然転がり込む話だ。二人の間には今度こそ、夫婦になろうという気持ちの交換が生じるものの、結局、寅次郎の気持ちは鞘に収まらない。結局、奄美大島のリリーの家を出て、ボランティアで尽力した大震災後の復興を訪ねに神戸に戻って地元の人々に迎えられるシーンで、山田監督は、まるであの "For your eyes only" のラストシーンのようなズームアウトで人々に囲まれる寅次郎へと別れを告げるのである。

 山田洋次は既に次作(第49作)のシナリオも準備していたと言われているが、この「最後に人々の輪の中に消えていく」寅次郎のラストシーンを観た観客は、既にその病状の進行をうすうす知らされていたが故に、誰もがこれが渥美清の遺作となることを確信していたに違いない。それは 『男はつらいよ』 を見慣れた観客なら、山田監督がかつてこのような大胆なズームアウトを使ったことなどないことをよく知っているからだ。こうして、寅さんこと渥美清は最後まで、山田洋次とそして観客たちの愛に包まれて、鬼門へと入っていった。

 それから17年目の夏である。この「寅さんの命日」に生を享けたことを、何か不思議な運命のように感じている。実は、先にご紹介した、リリー初登場の 『男はつらいよ・寅次郎忘れな草』 の封切り初日(1973年8月4日)、私は偶然、新宿ピカデリーの前で初回上映を待つ列の中にいた。その暑い夏の昼前、これから舞台挨拶をする渥美清と浅丘ルリ子が目の前で立ち話をしていたのを覚えている。あれから、40年が経った。今思い起こせば、やはりその日も、私の誕生日、そして寅さんの命日、であった。

  こうして、寅さんは二度、死んだ。そしてわれわれの心の中に「永遠の命」を得た。それにしても、いずれも奄美大島が「終の地」だったことは、果たして偶然なのだろうか…。



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