1981年8月、不慮の事故で急逝した「暮らしの達人」向田邦子の住まい、リビングの片隅に残された七段の書類整理棚に、「う」と書かれた抽斗があった。「う」は「うまいもの」の「う」。仕事柄、各地を旅し、あるいは贈られた名品の内、仕事の合間に取寄せ食したいものの栞がびっしりと詰まっている。さしもの向田邦子のお眼鏡、否、舌に適うKuniko's Choiceの逸品である。
一昨年であったか松本市内を歩き回った際にふと巡り合ったのが、山葵漬けの老舗「八百源漬物店」だった。程よい粕の甘みの中の忖度ない山葵の辛味が山葵茎の加減で演出されていて、おおいに舌鼓を打ったものだが、後に調べると、果たしてこれも「う」の抽斗の一品であった。恐るべし、である。
さて、東中野の自宅から歩き回れる範囲で、古代・中世の古道や河川をテーマに幾つかの道行をして、やはり一番心和むのは、その地域のひとびとの生活に密着した地元商店街の個店の表情である。道行の記録の中でも折に触れてご紹介したが、その後も時に訪れては楽しむ、わが「う」の抽斗について纏めておこう。
最初は、桃園川緑道の道行で縦断した高円寺パル商店街にある「とよんちのたまご」である。日本でどれだけ奮発して高額な卵を求めても、鮮度と臭みのなさにおいてドイツに勝るものはない。デュッセルドルフに駐在していた際に、週末になると路面電車に乗って30分、近郊の村の教会の中庭で開かれる朝市に出掛け、手に入れる卵と鶏肉ほど新鮮で匂いのないものはなかった。鶏の飼料が違う。放し飼いでストレスがない。売る卵と鶏肉はその日の朝に仕込む。この3つで十分だ。
「とよんちのたまご」こと豊和養鶏場は千葉・九十九里にあり、放し飼いではないがゆとりある鶏舎で鶏を自然飼料で育て、朝採りした卵を店頭に置くために鮮度がいい。卵掛けごはんでは、溶かずにそのまま熱々のご飯の上に掛け、盛り上がった黄身と白身のそれぞれの旨さを味わうようにしている。これに、親友が教えてくれた「燻製しょうゆ」を垂らせば、もう最高である。「とよんちのたまご」は都内では、下北沢、武蔵小山とここ高円寺にしかない。店舗を拡げないことも、品質を維持する上で必要なことのひとつかもしれない。
次にご紹介するのは、大宮八幡宮から鷺宮八幡に至る古道の風情をそのまま残した、松山通り商店街(阿佐ヶ谷北)の「あの店」である。「すでに、これは詩である」と言った「海のかおり・さわやか風味、生つきところてん・みつ豆用寒天」の幟が気になって、後日改めて訪ねてみた。この店は実はこんにゃく・寒天工場で、卸を商売にしている「都留食品加工有限会社」である。豆腐屋と同じく、朝早い仕事のようで、土曜の昼前に尋ねても店頭に人はおらず、インターホンで呼び出す。働き者で芯の通ったおばさんに寒天を3本出してもらい、ついでに店頭の赤豌豆の缶詰と黒蜜を求めた。
みつ豆と言えば、缶詰の果物や牛皮を加えたものだが、賽に切った寒天と赤豌豆に黒蜜を垂らしただけの「豆カン」をこよなく愛したのは、安岡章太郎であった。「豆カンには『俳味』がある。」と彼はエッセーに書いている。「俳味」とは辞書にはない、彼の造語である。しばらく、その意味を捉えかねていたのだが、ある日俳句の評論を読んでいて思い至った。俳句の諧謔は、一見何の関係のない二つの事物の取り合わせ、にある。これが五七五の中で融合して妙味となる。「俳味」とは実に見事な「豆カン」のメタファーではないだろうか。
こうして、都留食品加工の寒天も必需品となった。安岡章太郎を読んで30年余り、随分とあちこちの豆カンを求めたが、この「海のかおり・さわやか風味」に勝る寒天は見当たらない。
ぜひ一度、「松山通り商店街交友会」のホームページを訪ねてみて欲しい。年3回、3、5、11月の日曜日に「ゆうやけ市」というのを開催しているらしい。もともと古道なのでさほど車の往き来も多くはないが、半日歩行者天国にして、店の軒先に目玉商品を並べその場で味わってもらう手法は、わが元町のフードフェアと同じようだ。遠路はるばる大勢の客が押し寄せるほどの客ズレもしておらず、地元密着型の商店街の味わい深いイベントとなっている雰囲気がHPから伺えて、懐かしい。
その松山通り商店街の二軒、ラーメン「汁やきりん」とジェラテリア「SIN CE RITA(シンチェリータ)」の存在である。桃園川緑道が松山通りと交差する場所のすぐ脇にシンチェリータがあって、店頭に小さなベンチが置いてあったのが、そもそも夏日の好天に焼けた身体を冷やす目的の最初の訪問だった。そんな状況も手伝ってか、ここのジェラートには嵌ってしまった。素材の持つ香りと甘さが引き立つように、実に控えめに抑えた味付けがその理由である。だから、酸味のある果実のジェラートは、本当に酸っぱい。甘さに媚びるということがない。
こうしてシンチェリータに通うようになって、ふと隣の「汁やきりん」から漂ってくる鶏だしの白湯の匂いにそそられた。既に老躯には辛いこってり系のラーメンではないか、という一縷の不安と疑念を抱きながらも暖簾を潜ると、僅か8名ほどのカウンターに既に客がひしめいている。一押しの鶏塩白湯麺は、つけ麺だしと見紛う濃さに鶏だしを煮詰めたものだが、臭くなく鶏だしの旨味が白く凝縮している。店の名に「汁や」と銘打つ自慢のつゆと言っていい。ゆで卵がタダでつくので、殻をむき無骨に割ってこの濃いつゆとともに頂くと、鶏たたきに近い新鮮な裂き身と白髪葱とのコラボにも絶妙なものがある。
汁はやや塩気が強く感じられるものの、この煮詰めた鶏白湯の味を引立たせるには必要十分で、決して邪魔ではない。ふと隣のお客さんを見ると、本シリーズ②でご紹介した「ハイ辛ボール」を飲みながら休日のモツ煮を楽しんでいる。ここにも、「ハイ辛」か。
よくよく観察していると、「汁やきりん」→シンチェリータのコースを辿るカップルが殆どだ。昔から甘味屋さんのメニューにラーメンがあるのも頷ける。シンチェリータの店先のベンチに腰かけてジェラートを梳くっていると、目の前は老舗の「八幡煎餅」(「川からの贈りもの」参照)、その隣が親子でやっている中央花壇という花屋である。つり銭がなくなると、道を隔てたこの三店舗で小銭を融通していたりするのも、情緒溢れる商店街での微笑ましい光景だ。
こうして、道行で巡り合った古き良き商店街の店が、わが「う」の字の抽斗の栞となる。街を歩く度に、この栞は積み重なっていくことだろう。道という「線」が、店という「点」として、暮らしに彩りを添えていく。これも、人生を豊かにしてくれる、道行の余禄のひとつといえるかもしれない。