エッセイ


川面の桜、桜道、露地桜

投稿日時:2013/03/30 06:42


 中野がこれ程桜の多い街とは思わなかった。いや、中野に限らず、杉並だろうが練馬であろうが、ましてや三多摩だろうが、この季節になると「街にこれほどの桜があるとは」…と、誰もが思うに違いない。日頃自然に接する機会の少ない東京で、春の息吹が急に膨らむこの僅かの時節に、いつもは路地裏の塀の影に隠れていたりする一本のソメイヨシノが、街の舞台の主役に躍り出るのだ。しかも大勢の仲間たちと、一斉に。
 先ずは近所の神田川沿いまで足を運ぶと、上流の淀橋方面に向かう。川面に延びた古木の枝にたわわに咲き誇る満開の桜は水面に映り、僅かに散り始めた花弁は、小さな流し雛となってやがて海へと還っていく。逝くものを悼むがごとく、散る桜にこそ川面は似つかわしい。九年前の父の葬送に眼に焼きついたのは、既に葉桜と散りかけた、早稲田夏目坂上・来迎寺の門前のソメイヨシノの大木であった。
 川沿いの桜と言えば、数年前に目黒川の桜を堪能したが、桜を愛でにやってくる人々が違っていた。目黒川沿いには洒脱なブティックやレストランが並び、若いカップルや家族連れが多い。しかし、完全な住宅街を流れる神田川沿いの遊歩道には、ヘルパーさんに車いすを押してもらってやってくるシニア達ばかりだ。日頃は不自由な生活を送っている彼ら・彼女たちも、桜を背景にヘルパーさんに撮ってもらう写真に、菩薩のような笑みを浮かべている。
 神田川が甲州街道とぶつかる淀橋まで歩いて折り返すと再び中央線のガード下を抜けて落合に向かう。奇妙なことなのだが、新宿区と中野区の区界にあたる神田川の淀橋側には、新宿区側にしか桜並木がない。中野側は川が南東になるためマンション造成のため桜が伐られ灌木に植え替えられたのだろうか。いや、ひと昔まで増水による氾濫の続いた護岸工事の一環、であったのかもしれない。
 しかし東中野駅近く、柏橋の辺りから中野側の遊歩道も幅を増すに従い、両岸から神田川に桜の枝がしな垂れかかり、圧巻となっていく。両岸からまるで神田川に桜の精が吸い込まれていくかのように川面を桜で埋め尽くしていくのだ。「東中野縁起」に描いた柏木に棲んだ売れない作家達も、この一時の春の風景にはふと我に帰り、心を和ませたに、相違ない。
 やがて小滝橋まで川を下ると、まだまだ高田馬場まで続く川桜に名残惜しみつつ、道を左に折れ早稲田通りを西へと向かう。荷風が昭和20年春の数か月、偏奇館を焼き出され、身を寄せた「国際文化アパート」跡を過ぎると、斜め右手に折れて落合斎場から哲学堂方面に向かう。西武新宿線の新井薬師駅を抜けると、これも桜並木で有名な中野通りに出る。
 ここから中野駅に向かって数キロ続くソメイヨシノの古木並木が、実に見事に通りの両側を埋め尽くしている。いまやオフィスビルやマンションの立ち並ぶ街並みではあるが、通り沿いには洋菓子屋や家具やなどが並ぶ洒落た商店街が健在である。やや中野に向かうと、右手に北野天満宮、そして左手に新井薬師がある。薬師裏の広大な公園にもソメイヨシノが数多く植えられていて、既に樹の下では酒宴が始まっている。例年になく早い開花に慌てた的屋さんたちも数十軒暖簾を並べて旨そうな匂いを漂わせている。
 新井薬師には、こんな時でも地元の敬虔な信者が「身代わり菩薩」を丁寧に洗う姿が目につくが、そんな静かな境内を、やはり見事なソメイヨシノが神々しく包み込んでいる。薬師堂や山門を覆う薄紅色のソメイヨシノは微かな春風に揺れてながら天の声を運んでいるようだ。
 さて、8キロは歩いただろうか。同行二人、聖なる桜を楽しんだ後は俗の道を下る。山門を出ると新井薬師の商店街を右に折れ、やがて中野駅北口の飲食街へと足は向いていく。瞳に焼き付けた美しき桜の風景の数々を肴に、格子戸を開け放った安酒屋にて一献傾けることとしようか。露地に挟まれたKというその店は南北に入口のある古手のモツ焼屋だが、もう七十になよろうかという愛想のいい気の利く婆さんと、店の前で「客のおこぼれ」を気長に待つ高尚な野良猫たちが有名だ。8人掛けのテーブルに腰を下し、「ハイ辛」(地元産の風味の強いジンジャエール割)で乾杯!
 ふと、開け放った入口の格子戸から一陣の風が吹いたと思えば、杯にひらひらと薄桃色の桜の花びらが、…てなことぁ、ないか。あははは……。



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