エッセイ


僻地のヘソ ー 岬町こと始め ⑤

投稿日時:2017/06/13 21:42


 この地は夷隅川の蛇行によって浸食された低い丘に囲まれた盆地が内陸に向けて伸びている。その寿司屋の主人によれば、平坦な田圃道がいつまでも続くので、学生や社会人の陸上部の長距離練習コースとして使われる事が多いのだ、という。書庫兼書斎の周辺には、一軒のコンビニも、銀行のATM、雑貨店、スーパーの類は一切ない。食料・雑貨を求めるには6キロ離れた駅前にある「全日食」系列のスーパーまで行かなくてはならない。車を運転しない身にとっては、かなり不自由な場所といえるだろう。
 一方で、ここに書庫兼書斎を設けたのは、そんな不自由さに敢えて身を置くため、だった筈なのだ。時間を忘れ、読書や執筆に没頭するためには、手間の掛った贅沢な食事も必要なければ、竹の風に戦ぐ音、野鳥の囀り、開け放した窓のカーテンを抜ける涼しい風、竹林の木漏れ日溢れる窓辺、(これに敢えて加えさせて頂ければ地元酒蔵の吟醸の一本でもあれば)…それ以外の一体何が必要だというのだろう。無論、(今の時点では)定住する積りはない。都会の喧騒に飽きれば、活字を追い掛け、文章を認めるために、ここにやって来ればいいだけの話しなのだ。
 といいつつ、社会的動物としての人間の一員である限り、束の間の棲み家の周囲に一体何があるのだろうか、ということが気に掛って仕方がない。それが慎ましいながらも「生活」というものなのだろう。「いすみ市岬町○○」と住所を入れてネットで検索をかけてみると、まず出てくるのが、すぐ近所にあるこの寿司屋である。
 そもそも、過疎とも言うべき田舎町に何故、この寿司屋があるのか。四十歳を少し過ぎた主人はこう説明する。
 東京・銀座の某有名店で修業を積んで、いざ自分の店を持ちたいと思った時に、まず田舎にあるこの実家を考えた。すぐ目の前にある強化プラスティックの組立工場で働く父は、職住接近を実現すべくこの場所に家を建てた。修業が終わり独立して店を持てる見通しがたつと、家賃の高い東京よりも、この「隠れ家」的な田舎の実家に店を作ることに一種の差別化を図れるのではないかと考えた。某有名店のナンバー2まで腕を磨いた彼には、既にしかるべき固定客もいたし、修業した店の仕入の責任者だった彼には、築地の仲買との間に培われた貴重な信頼関係もあった。但し、彼の母親はそれに強硬に反対したそうだ。こんな田舎に店を作って、客が来る筈がないだろう、という至極に尤もな反論だった。しかし、そんな母親の危惧を裏切るように、彼は自らの意思を貫き、そしてその目論みは見事に的中した。
 東京の店の常連客が休日を利用して房総への遊興がてら立ち寄ってくれたのを皮切りに、噂が噂を呼んで、次第に固定客は増えていった。また、出張の出前の握りもやっているので、今でも一流企業のパーティー等への出張依頼も少なくはない。有名人が衆人環視を避けてお忍びで来ることもあるのだ、という。
 書庫兼書斎の建築が進み、節目節目にこの地を訪れると、この辺鄙な場所にある寿司店の不可思議は増幅の一途を辿るのだが、思い立って工事騒音のお詫び方々訪ねてみれば、カウンター越しに聞く主人の話しはむべなるかな、であった。海の幸がふんだんな土地柄にも拘わらず、仕入は築地一本に絞る、というのも理が適っていた。都心の一流店に決して引けを取らないネタと腕がある。主人の言う通り、同じクオリティなら、都心の店よりは四割方安いだろう。その四割は、ひとえに「地代」である。外房を訪ね、知名度だけで名を馳せる店で不味い食事をするよりは、知己のある確かな店に立ち寄る、というのが都会人の筋だろう。土日は入れない程に店は盛況であるし、出張出前があるので、唐突に訪ねても店が開いているとは限らず、予約を捌くのが大変なほどの人気である。
 この店には様々な人々が集まる。外房線の海辺にある近隣の駅の街に住み都心に通勤するサーファーや、近隣住民の法事客、そして大半は東京に住んで、外房に遊びがてらこの寿司屋に立ち寄っていく客たち。この寿司を食べるついでに外房を訪ねる客さえ少なくはない。主人も語るように、同席した客には余り立ち入って尋ねはしないが、カウンター越しの知らない客同士の会話を繋ぐのも、また主人の得意技の一つである。かくして、この店はある意味ではこの土地のヘソともいうべき場所になっている。
 主人によれば、廃屋古民家再生居住への転入者に対する市の財政支援政策等も効を奏し、この数年、都心からの移住者やウィークエンダーが増えてきている。大半は「土いじり」が目的らしい。確かに、近くの中華屋(この店も東京近郊から夫婦で移転してきて、自ら野菜を栽培し無化調の中華料理を供している)に来る客も、週末を利用して家庭菜園に手を掛けにきている夫婦連れのような客が多い。手作りのパン店や酪農家のやっているチーズ屋などが、この辺りにはあちらこちらに散在し、金・土・日の三日間だけ営業し、決して過剰生産のない適度な収入を得ているのである。
 ある日、いつものように「いすみ市岬町○○」とネットで検索をしていると、小半時歩いた場所に無農薬食材を販売・供するするカフェがあることを知った。初夏の新緑の林の中の、鶯鳴き競う田畑の小道を抜けていくと、「○○フィールド・カフェ」という看板に巡り合う。丘の小道をゆっくりと上っていくと、高台に拡がる草原に、宿泊施設やカフェの入った数棟の古民家を改造した建物群が見えてくる。緑の牧草の中庭には、サステイナブルをテーマにした「田植え合宿」にやって来た若い子供連れの十数家族が、芝生に敷物を拡げて円座になって食事を楽しんでいる様子。古い木造の風通しのよいカフェでは、有機栽培野菜を使ったヴェジタリアンのプレートを頼む。多くの客たちは屋外のテラスのテーブルで食事を楽しんでいる。
 手作り陶器のプレートを食べ終えてふと目を凝らすと、テーブル隅の小壜に、この裁断したぼろ切れで食器を拭うと、皿を洗う汚水が減らせる、と書いてある。なるほど、サステイナブルである。食事を終えて、テラス側の庭に出ると、植えたての稲の苗が田の水面に輝くのが見渡せて、その先には灌木の新緑が連なっている。木に繋がれた羊がニ頭、首輪の半円を描きながら田の裾の叢の牧草を食んでいる。ふと、木の枝に渡したロープに吊るされた洗濯物の素朴な植物染めの衣類が風景に馴染む風景を目に、ああ、これはいつかアメリカ映画で見た、アーミッシュの生活そのものだな、と思った。
 こうして「何もない場所」のように思える場所にも、その場所なりの「ヘソ」がある。何もない場所には、何もないことを大切にするための「ヘソ」が存在しているのだ。


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