エッセイ


「月に吠える」― 岬町こと始め ④

投稿日時:2017/06/13 20:44


 さて、余り金を掛けずに書庫兼書斎をどのように建てるか。まず相談したのは高校時代の友人、建築学科を出てゼネコンに勤務する一級建築士である。本当は図面でも引いてもらえないかという下心があってわざわざ酒に誘って相談したのだが、「地元の建設会社を探すことだ」というにべもない回答。大手の建設会社に頼むと結局は中間マージンを取られて高くなるし、ましてや設計事務所なぞに依頼すれば設計料もばかにならない。ニ級建築事務所でいいから、きちんと設計への要望を聞いて実現してくれる、現地で評判のいい建設会社を探すことが結果的には廉価でいい家を建てる秘訣だ、という。流石に、この業界で生きている専門家のアドバイスであった。
 建築費を安く上げるために、余程プレハブにでもしようかと思っている、とも言えば、住居仕様のプレハブは決して安くはないし、空調もないようなプレハブなら蔵書が痛むだけで結局は後悔するよ、と言われ、浅はかな下心と思惑は脆くも潰え去る。しかし「地元の建設会社」といっても千葉につてのある訳でもなく…と思っていたら、ある大手の情報関連会社が「注文住宅」の建設会社選定のお手伝いをするサービスをしている、という広告に目がとまった。
 早速、新宿にあるその会社のオフィスを尋ねてみる。担当者の女性は決して建築のプロではないが、流石に大手情報会社だけあって業者選定のノウハウの壺を心得ている。地面図や概算予算を含めた条件を確認した上で、早速、千葉の支店に連絡をして、このような規模の建築で地元で評判の良い建設会社を三社紹介してくれるという。2週間後に千葉の支店でその三社と直接面談することになった。
 蘇我駅から歩いて15分程のショッピングモールの中にその千葉支店があった。三社の担当者(内、二社は直接社長が現れた)が事前に提示してあった条件でラフな設計図を持って、当方の要望を聞きながら、いろいろなアドバイスをくれる。その中で、社員数名の小さな二級建築士事務所ではあるものの、こちらの要望に丁寧に応えてくれる社長の誠実そうな姿勢に好感を持った一社を選定することにして、その後も、そのT建設会社を契約や打合せのために数回に亘り訪れることになった。
 社長、設計担当者、現場責任者が何度か現地を訪ね、図面をもとに近隣の土地所有者の調査を含めて設計・建築の準備を始めてくれる。一番手間を掛けたのは隣接地との境界の特定であった。35年前にN不動産が分譲した時には境界の特定に必要な「境界杭」が打たれていたものの、長い年月を経て杭は腐葉土に埋まり、何らかの拍子に抜けてしまうこともあるようだ。図面をもとに漸くいくつかの境界杭を掘り出してくれたが、どうしても一本見つからず、そこについては図面をもとにした推量で済ませるしかなかった。
 同時に、隣接する土地の所有者を土地登記簿で調査してくれる。北側はこの分譲地のもともとの地主、東側は分譲以前からの所有者(この土地との境界には既に隣人により簡単な柵が設けられている)、そして南側にはこの土地と同じく東西に長い土地が二葉並んでいる。興味深かったのは、一番南側の土地は私と同様に当初の購入者から相続したものだったが、真南に隣接する土地はN不動産から購入した人から十年程前に購入した人だった、という事実だった。それが判明するのは、登記簿には所有の原因が「相続」か「売買」か記載があるためである。
 T建設会社の社長のアドバイスで、境界確認に立ち会って頂けないかという要請の手紙を、この南側の所有者の登記簿記載の住所に送付することにした。購入して十数年経っているので、宛先不明で戻ってくることを前提としながらも、随分と丁寧な文面で認めたのだが、結局回答の手紙も電話もメールもなかった。「隣人」となるかもしれない人が、私のような不可抗力ではなく、何を目的にどのような経緯でこの土地を購入したのか、非常に興味深いことであったのだが、結局、これを解き明かす術は与えられなかった。(同じ中央線の更に西側にある駅の、登記簿に記載された所有者の住所を直接訪ねてみる、という方法はあるにはあったのかもしれないのだが…。)
 さて境界もある程度確定し、設計図も完成したところで施主として一番心配になったのは「竹」の問題だった。竹の生える土地に家を建てるときに一番留意すべきことは、床下に生えた筍が床を突き破って家に侵入すること。ネットにはその被害と対策が沢山載せられている。竹は地下茎で横に拡張するので、竹林の近隣に家を建てる時には、先ず敷地の中の地下茎を一旦全て抜根し、建物の周囲の地下にフェンスを巡らせる、等という面倒な事が書いてある。T建設会社のT社長も流石にこうした「竹林の中の家」を建てた経験はなく、彼自身も竹対策については暗中模索の様相であった。
 T社長が出入りの造園会社の方に相談したところ、先ず兎に角、敷地の抜根は必要だろう、と言う。その後は基礎のコンクリートに通常より15センチほど厚みを持たせて、間違っても下から筍が基礎を押し上げないようにしたらどうだろうか、というのが実施設計時の彼の最終提案であった。造園会社の方のアドバイスもあるので、その提案を受け入れることにした。しかし、後に聞くところでは、この造園会社の方もさほど竹の扱いに慣れている訳ではなく、「竹の抜根は想像以上に大変だった」ということで、結局は抜本的な解決策は分からぬまま見切りの工事となったのである。だから、これからも「何が起こるか分からない」し、筍に対する防御は目を離せない、ということになってしまった。
 こうして、竹と戦いながら、思い出すのは、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に収められた「竹」という詩の一節である。
  かたき地面に竹が生え、/地面にするどく竹が生え、/まっしぐらに竹が生え、/
  凍れる節節りんりんと、/青空のもとに竹が生え、/竹、竹、竹が生え
 おそらく朔太郎がこの詩に詠んだ竹の生命力の強さを、岬町の書庫兼書斎に起居しながら、これからも痛いほどに経験するに違いない、という予感がするのだ。目の離せない隣人である。
 


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