エッセイ


竹林の風 ― 岬町こと始め ③

投稿日時:2017/06/11 20:52


 亡父は何故この竹林の土地を購ったのだろう。父が逝って以降の13年間を含む35年間、僅かの対価を支払い、この土地を分譲したN不動産にその維持・管理を委託してきた。東西に細長い80 坪の土地は周囲を竹林に囲まれているが、分譲時に一度抜根を施したのだろうか、内側は平坦な原っぱになっている。春と秋に一度ずつ、N不動産はこの原っぱの草刈りを行う。晩春、五月中下旬頃になると、地下茎を伝わって原っぱに生えてくる筍を抜き(これは、あるいはN不動産の副収入になっていたのかもしれない)、同時に未だ背の低い、生え始めの雑草を刈り取ってしまう。そして秋には、春に刈り残し、或は根から再生した草の背の高く伸びきったのを刈って片づけ、綺麗な原っぱに戻したところを写真に撮って実家に送ってくる。これは放置された別荘地に市が課している最小限の維持・管理であるように、毎年初に委託申込の受付を促すために送ってくるN不動産の案内には、記載されている。

 因みに、この場所に家を建てて最初の晩春に筍がどの程度の密度と頻度で生えるものか、実体験した時のことを記しておこう。五月の初旬に四日ばかり滞在していたのだが、竹林に囲われた家の周りには、想定もしていなかったような場所から筍は生えてくるのだ。園芸用の小さなスコップを持って頭を出したばかりの筍の太い胴回りの土を掘り下げていく。そして地下茎に行き着いた辺りで、筍を前後左右に揺らしながら深く折れる節目を探っていく。こうして筍が観念しそうな程合いを見計って、強く胴を捻じ伏せると「ポキッ」と音を立てて、いわゆる筍が掘れるのである。三泊四日の滞在で、都合十二本を獲っただろうか。昨日は何も生えていなかった場所に、翌朝、突然、筍は頭を出すのだ。無論放っておけば、それは凄い勢いで竹になる。早朝、朝露に濡れる叢を見渡しながら、昨日は何もなかった地面の微かな勃興に眼を凝らしながら、それを見つけるとスコップを片手に掘りに庭に出ることになる。竹とのいわば生存競争のようなもので、決して油断はできない。茹でた筍に舌鼓を打つ、というのは副次的な余禄、だと言っていいほどの「闘い」なのだ。こうして、竹に囲われた土地を35年間に亘り維持・管理してくれたN不動産を決して恨んではいけない、とその時に再認識した(たとえ副収入があった、として…でもある)。

 さて、売却を含むこの土地の処分を未だ検討していた際に、一度、現地を訪れたことがあった。N不動産に車での案内を頼むと、分譲した土地はもう関係ありません、とばかり断られてしまったので、仕方なく外房線の最寄の駅から6キロの道のりを内陸に向けて歩くことにした。晩春の駅に降り立つと、上り・下りともに1時間に1本程度の各駅停車しか止まらないだけあって、乗降客も疎らで、駅前には、そんな乗降客の出迎え・見送りの自家用車が数台止まるほどの車寄せがあるばかりだった。そんな駅に降り立つと、亡父が土地を購入した際に残した五万分の一の地図を頼りに駅前から歩き始める。

 駅前の通りの入口には「○○商店街」という立派なアーチが掛っているが、商店街とは名ばかりで数軒ばかりの商店しかない道を抜けると、県道に出る。県道には確かに古い米屋とか雑貨店などがいくつか並んでいる。地図によれば、これを道なりに西に向かえば、目的地に辿りつける。県道は片側1車線の細い道で、歩道はない。住民の足代わりとなっている軽自動車が、道の隅の歩行者の脇を、あたかも歩行者など気付いていなかのように、傍若無人にエンジン音を唸らせながら高速で走り去る度に、ヒヤリとさせられる。運転手の大半は老人で、ハンドル捌きも怪しげなので、ふらつきながら走る車に、いつ轢かれてもおかしくない恐怖に都度駆られるのだ。街並みを抜けると、県道は、なだらかに曲折しながら、植えたばかりの稲の苗が水田の煌めく晩春の陽の下で、心地よい風に戦ぐ風景の中にただ延びていく。こうして新緑に満たされた道を、時に車に脅かされながらとぼとぼと歩いていく。時々、岬中学の学生と思しき少年がヘルメットに制服姿で、自転車に乗って軽快に追い抜いていく。彼らは、こうした余所者にも必ず「こんにちは」と声を掛けていく。都心には見られない教育である。あるいは、余所者への警告なのかもしれないが。
 こうして田畑や林を抜けながら1時間余り歩いたところで、県道を左に逸れると大きな杉木立に覆われた道筋を辿っていく。まるで軽井沢辺りの林道を歩いているような心地になりながら歩いていくと、左右に大きな豪農と思しき屋敷が続き、やがて杉木立が切れる辺り、その土地を切り売りしたと思しき分譲地が現れる。いかにも都会から移住してきた人の住まうようなログハウスなど、数軒の新しい家を通り過ぎて、その家の一軒の細い脇道を右に折れていくと竹林が見えてくる。後に建築を依頼した建築会社が、土地図面をもとに登記を調査してくれたところでは、竹林の北側に住まう豪農が南側の土地の一部をN不動産に売却し、これを3区画に分けて別荘地として分譲販売したものだということが分かった。亡父はその一番北側の竹林に接した土地を買ったのだ。
 細い脇道を右奥に入って、遺された土地図面と見較べて見ると、北側から続く鬱蒼とした竹林がどうも父が買った土地らしい。年2回の草刈りが施されているとはいえ、35年間放置されてきたその竹林は入口さえ見当たらず、落ち葉が堆肥のように積った悪い足場に気をつけながら、蜘蛛の巣を被りながら竹の間から中に入ると、確かに草刈りの施された平坦な土地が開けている。初夏に近い日差しの田舎道を歩き続けて汗だくになったシャツに、竹林を吹き抜ける涼しい風が心地よく冷気を遺していく。竹に覆われた空を見上げれば、陽差しも竹林に程良く遮られ、風が吹く度に竹の葉枝の戦ぐ音、そして時に竹同士が叩き合って立てる甲高い音が心地よく響いてくる。この始末に負えない厄介者の土地に今まで抱いていた蟠りが、この時すうっと引いて、竹林の風に心の静寂を得る心地よさに満たされていった。
 父が遺したこの場所に来てみるまでは、建物を建てることなど想定もしていなかったのに、こんな場所に余生の読書を過ごす寂れた棲み家があっても悪くはないな、とふと思った瞬間であった。


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