エッセイ


行き場のない土地 ― 岬町こと始め ②

投稿日時:2017/06/11 08:27


 十三年前に父は逝き、行き場のなくなった外房の竹林が相続財産として遺された。
 私は一人っ子なので、実家とこの土地を母とニ分の一づつ相続登記した。私自身も数年後に定年を迎える身となり、それなりに身辺を整理する時節を迎えた。先ずは、辺鄙で利用価値のない竹林の土地(但し登記上は「宅地」である)の売却を考える必要がある。父の遺品の中から出てきた、この土地の売買記録から、N不動産に電話をしてみることにした。バブルが潰え去るとともに、N不動産も外房の別荘地デベロッパーとしての役割を終えたものらしく、既に東京の事務所も閉鎖して、大原の本社で細々と現地の不動産業を営んでいるようだった。
 直接N不動産に電話で聞いてみると、バブル崩壊後、外房の別荘地は価格の下落も去ることながら、人気も衰え、とても買い手がつく状況ではない、と人ごとのように言う。既に売却済みの分譲地については責任は負えない、というニュアンスである。まあ、当時の営業マンが父にどのようなセールストークを使ったかなど、息子の私が知る由もないので、N不動産を介した売却は難しそうだ、と諦めることにした。
 どうせ売却できないのであれば、合法的に第三者に所有権を移転する方法はないか、と考えてみた。一番分かり易い方法は、市に土地を寄贈するということだろう。それなりに利用価値のある土地なら話は別だが、一般の小規模宅地を市に寄贈したところで、市としても固定資産税収入が減るだけで何のメリットもないため、応諾しない、とネットに書いてあった。そうなれば、最後の手段だ。固定資産税の未納を続ければ、土地は差し押さえられ競売に掛けられるのではないか。こちらも既にネットを見ると回答が出ている。固定資産税の未納差し押さえは私が所有する他の資産から始まり、対象固定資産の差し押さえは一番優先順位が低い。つまり、この土地が差し押さえられて競売に掛けられる頃には、私は無一文になってしまう、ということになる。
 こうして殆ど、絶望に近い状況に陥った矢先、母が「千葉の土地を売ってくれる、という人から電話があった」というので、半信半疑、実家を訪ねてきたその人に母と一緒に話しを聞くことにした。
 来訪者は痩せた目つきに落ち着きのない初老の女性だった。私から名刺を差し出すと、女性はコピー紙にワープロを転写したものを名刺サイズに切ったような名刺をくれた。女性の会社は「不動産業」ではなく「コンサルタント会社」であり、所有する土地の近辺の土地の所有者と連名で「委託契約」を結び、まとまった土地単位で広告を出し、実際の売買に際しては地元の不動産業が手続きを行う、という説明だった。委託主は業務委託料として広告代金や他の所有者との交渉に係る交通費等の実費を支払う、と契約に定めがある、という。
 そもそも怪しげな名刺に加えて、不動産免許も持っていない業者がどうして土地の売買仲介ができるのだろう、という疑問が膨らみ、私は即座に断った。女は出された茶菓子を慌てて頬張ると、最後に煙草を一服吹かして帰っていった。
 その後、再び似たような電話が母のところに掛ってきた。私が折り返し話しを聞くと、前回の女性とほぼ同様の内容を説明するので、改めて断ったのだが、これは何か変だと思って、消費者センターのホームページを検索してみる。すると、バブルの頃に購入しながら転売できない別荘地の持ち主を、登記簿で調べ、広告で買主を探すと称し、広告掲載料が10万円しかかからないような媒体紙に広告を掲載し、100万円を請求するような詐欺が横行している、しかも外房方面の売れない別荘地をターゲットとしているケースが多い、とある。それほどに、転売できない別荘地を持て余している所有者が多いのであろう。
 さて、定年を控えた私には一方で解決しなければならない問題があった。それは、過去2回の海外赴任の結果、倉庫に約三千冊の蔵書と、預け入れたままになっている家具類が眠っているのである。転出する際に預け入れた家具に、帰任の際に持ち帰った家具は小さなマンションには入りきらず、一時的に倉庫に保管することになる。これが二回も重なって、年間の保管料は数十万円にも上っていた。処分するなどして保管料を削減しなくてはならない。
 しかし、私にとって本は捨てるに偲びない掛けがえのない宝物である。この癖は、どうやら編集者であった父親譲りのものらしい。母は父のこの蔵書癖が余程気に入らなかったものらしく、父の没後、母は父の厖大な蔵書の殆どを「紙ごみ」として処分してしまった。ついでに、実家に置いてきた私の貴重な石川淳全集まで処分されてしまい、相当に落胆したものだった。
 この三千冊の蔵書の半分以上は未読である。それは老後の楽しみのためにとってあるのだ。と、その瞬間、ふと父の言葉を耳元に聞いたような気がした。処分しきれない、岬町の竹林に簡単な書斎兼書庫を建て、そこに現在倉庫に眠っている家具と蔵書を収蔵すればよかろう、と。家具類はベッドやソファー、テーブルを始め、一式揃っているので、家電を除いて新たに買い足すものはない。一挙両得というものである。
 こう思いついて、岬町の竹林に簡単な書斎兼書庫を建てる決心をした。


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