エッセイ


11月の朝顔

投稿日時:2016/11/21 23:39


 横濱に住んでいた頃だから、もう六、七年も前の初夏のことになろうか。家人が友人と入谷の朝顔市を訪ね一鉢を購い持ち帰った。竹づくりの支柱に蔓を捲きつけたその鉢植えの朝顔は大層元気がよくて深いブルーの大輪を咲かし続けた。その生育の勢いは留まることを知らず、西陽の当る横濱のマンションのベランダで繁茂し続け窮屈そうに見えたので、縦長のプランターに植え替えたところ、二畳ほどの縦柵一杯にここぞとばかり蔓を拡げ始めた。

 冬場には流石に葉を落し若い蔓先は枯れるのだが、晩春には根元の生きた蔓から、新芽をつけ、前年同様に新たな蔓を柵一面に拡げ、夏から秋にかけてオーシャンブルーの大輪の花を咲かせていた。

 朝顔は種で育つものとばかり思っていたので、流石に驚かされたが、調べてみれば、これは「琉球朝顔」と呼ばれるノアサガオの一種で、もともとサツマイモ属にある朝顔の中で、元種回帰ともいえうべき芋の性格を持ち、種ではなく根で増える多年草であることを知った。

 それと知って、東中野に越して以降、桃園川緑道や善福寺川畔を歩いているうちに、晩秋、在来種が既に薄緑色の葉を黄変して種をつける時期にでさえ、鬱蒼とした緑の葉を力強く繁らせ、少し背筋の寒くなるようなオーシャンブルーの花を道際の家の庭で咲かせていることに出くわすことも少なからず、琉球朝顔の生命力に改めて感慨を深くしたものである。

 しかし、子供の頃――とは、つまり小学校で朝顔の数個の種を宛われ自宅で栽培しながら夏休みの観察記録を書かされた時代であるが――より「朝顔」なる植物の儚さを擦りこまれた身にとっては、この琉球朝顔には、正直なところ違和感を覚えざるを得なかった。「儚さ」どころか、地に根を下し、夏日を全身に浴びて蔓を伸ばし厚手の葉を繁らせ、晩秋に至るまで見事な花を咲かせ続け(しかもひとつの花房に複数の花を咲かせる)、加えて根に栄養を蓄え毎年茎から芽を生む逞しい程の生命力を持つこの植物は、果たしてあの「朝顔」と呼べるのだろうか……。

 結局、わが家の琉球朝顔は三年間狭いプランターに根を張って、毎年縦柵に蔓を張り続けたが、4年前に東中野に転居する秋に、可哀想なことに根元から蔓を断つことでその命を捨てることになった。引越の際にプランターの土を処分しながら、張り巡らされた根の隈なきことに改めて驚かされたものである。

 転居後、都心に残された少ない自然に誘われるように、桃園川緑道や神田川畔を歩く内に、神田川を遡り、杉並で善福寺川を和田堀、大宮八幡宮まで遡る道に未だ多くの自然が残されていることに気付かされた。特に、中野富士見町を過ぎ、善福寺川との合流地点からこれを遡ると、真鴨や鷺が川面に餌を求める長閑な風景に巡り合うことができる。時として上流の和田堀に棲むカワセミの翡翠色が猛スピードで視界を遮ることさえあるのだ。

 自宅の傍の神田川から、この善福寺川流域まではかなりの距離があって、和田堀、大宮八幡宮まで辿りつく頃には既に陽が西に傾きかける頃合いが多いのである。ある晩秋、川沿いの公孫樹やソメイヨシノの紅葉を楽しみながら、大宮八幡宮に近い善福寺川畔の歩道を歩いていると、夕暮れの暗がりの川沿いの柵に野生の朝顔が最後の力を振り絞って咲いている姿に巡り合った。

 既に朝夕の寒気に葉は黄色く枯れ始めながらも、薄空色の小さな花を咲かせている。蔓の先で咲き遂せた花は既に薄茶色の薄皮に包まれた黒い種を宿している。思わず、リュックからジップロックの小袋を取り出してその乾いた種を弾き採っていた。

 それから、数年、ゴールデンウィークを過ぎた初夏を感じるような日に、ベランダのプランターにこの朝顔の種を蒔くことが習慣になった。あの、小学校の頃の観察記録を思い起こしながら。善福寺川畔で種を採取した翌年は、種蒔が遅れたせいか小さな花しか咲かせなかった。調べてみると、種蒔の時期が遅れると開花が遅れる分、花も小さくなると書いてある。翌年からは、前年に採取した種を早めに蒔くようにしたのだが、やはり咲く花は親指と中指で作る円環程の大きさにしかならない。種苗業者で育てられた市販の種とは違う、野生種の宿命かもしれない。

 そんな、儚い朝顔に、日中の猛暑を控えた夏日の早朝のひと時、清々しい一輪にこころ和まされる数年を過ごしている。

 今年、ある妙な事件に遭遇した。種蒔の教科書にあるように、例によって、ゴールデンウィークの過ぎた頃、前年採取した朝顔の種を十数個一晩、水に漬け、人差し指の一関節程の穴に数個づつ埋めて、毎日水を与えて発芽を待つうちに、数本の苗が芽生え、適度な場所に植え替えて、支柱を張ると、いつものように蔓を伸ばして薄空色の小さな花を夏中楽しませてくれた。

 ところが、既に発芽を終えた筈の土の一部を、別の鉢に移して、他の植物の種を植え発芽を待って水を遣っていたところ、秋も始まる九月中旬になって、突然、あの蜻蛉の羽のような朝顔の芽が生えはじめたのである。時期が時期だけに、育ちはしまい、と思いつつも、やがて芋のような葉をつけて蔓を伸ばし始めたので、割り箸を刺して様子を見ていたら、いつの間にか、土から僅か10㎝ほどの葉の付け根に蕾ができている。当初は半信半疑だった、この「生まれ損ねた」朝顔を応援する気持ちで、秋の冷気にも、敢えて陽当りのいい場所に鉢を据えて水を与え続けた。

 やはり、朝顔の蕾が開くのは朝の気温が影響するのだと思う。根元の最初の蕾は寒い日が続く中、開くことなくそのまま腐ってしまったようだ。しかし、数日小春日和が続いたある朝、ほんの僅かに開いた朝顔の小さな花を目にした。十一月も中旬のことである。

 虞らくあの神田川畔に咲く琉球朝顔は未だ栄華を誇っているに違いない。方や、種苗という限られた時間の中で、時宜を違えたこの薄倖の朝顔の健気な開花に、別の力を得た気がした。11月、晩秋を迎えんとするこの時期に咲く、ふたつの朝顔のはなしである。



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