エッセイ


「彼」の歳になってしまった

投稿日時:2016/08/04 06:35


 とうとう「彼」の没年と同じ齢を迎えてしまった。大学時代、「パニック」「裸の王様」「巨人と玩具」「日本三文オペラ」といった、初期の社会派作品群を貪るように読み漁った。そこには未だ「戦後」の匂いが残っており、戦後十余年を経て生を享けたこの身にとっては、個人と社会の新しいあるべき関係を予感させてくれるものだった。いや寧ろ、まさに自らが生まれた、この作品群が書かれた時代の匂いを、原風景として脳裡に蘇えらせたといってもいいのかもしれない。それは戦後十余年を経て、国家という束縛から解き放たれた個人と社会の関係を、未だ模索する戦後日本の赤児の「匂い」である。

 その頃「彼」は何を考えていたのか。昭和5年生まれ、戦中の極貧の餓えを凌ぎながら好きな文学のみを糧とし、ふとした縁で寿屋宣伝部に入り、二足の草鞋で小説を認め、芥川賞を受賞した頃、新宿中村屋近く「バッカス」という酒場にあった、このカウンターに凭れながら、28歳の「彼」は何に思いを巡らせていたのだろう。

 「彼」は寿屋宣伝部を辞めると、オリンピックに向けた戦後復興で豹変する東京そして日本社会を様々な角度からルポで切り取り、「新しい時代」の方向性を見極めようと試みる。そして「祭りの最後」を見届けたその足で、戦後冷戦の東西の間隙に燃え上がった炎=ベトナム、へと飛び込んでいくのだ。米兵と共に最前線でベトコンに包囲され、「17/200」という九死に一生を得て帰国した「彼」は、そのPTSDを癒すかのように、その後、釣、旅、酒のエッセイ執筆に明け暮れる一方で、「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇」の闇三部作を、それこそ強迫観念に憑かれた如く、絞り出すように寡作に書き継いでいく。「彼」はこの三部作をまとめたうえで、「漂えど沈まず」と冠した一作とする積りだったと言われるが、その早すぎる死により構想は未完に終わった。結局「彼」は戦後の日本の「行く末」を見極められぬまま、すなわち日本における個と社会の関係に明確な結論を導くことなく、この世を去ることになった。それは「彼」の未熟さや深謀遠慮の故ではなく、時経るに、より混迷を深めていったこの国の深淵に当惑した結果だ、と考えている。

 「彼」にも、ヘミングウェイにもロバート・キャパにも「戦い」があったが、武器を持たずとも死ぬか生きるかに近い「戦い」は誰の人生にも存在する。「彼」の没年を迎え、自分にとっての生死を賭けた「戦い」の苦味を改めて噛みしめてみる。武器はなくても人は死ぬ。言葉の暴力、権力の横暴、人格否定、愛情の翻弄、絶望、貧困、孤独、絶縁……。齢を重ねて生きているうちに、自らが被害者であると同時に加害者でもあることに気付く、ものだ。おそらくその「戦い」が激しければ激しい程、人は言葉を喪い、深くこころに沈殿する。

 「彼」が心に負った深い傷を癒すように釣、旅、酒に没頭したことは極めて自然の摂理であるといえよう。「玉、砕ける」に登場する、文化大革命で農村に軟禁された作家・老舎の「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」(中国人の是是非非を明確にしない態度のこと)がそれをインスパイアしたのではないだろうか。政治的な質問を投げかけた「彼」に、老舎はそれには答えず、田舎料理のレシピの話しを永遠に続けた、という逸話がこの作品には記されている。

 58歳。早すぎる死だと思う。だが一方で、人生には「早すぎる死」も「遅すぎる死」もない、と思う。「戦い」は実は勝つことが究極の目的ではない。「いかに戦ったか」を最後に自らが納得できるかどうか……これが人生そのものの究極の目的、というものだろう。敗者には敗者の論理があってしかるべきだ。「勝者」も「敗者」も平等に生まれた人間なのだから。そして人生における真の勝敗は、死の瞬間に定まる。

 58歳を迎えた時のカウンターに凭れる30年前の「彼」と、そしてその歳を迎えた今から30年前の「私」の、向いている方向は、果たして同じだったのだろうか。少なくとも、自分は「彼」に倣ってそう生きてきた、と確信したい。「彼」が逝って、17年になる。

 「節目」となる誕生日に想うことである。



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