エッセイ


原初としての歌と踊り ― 多様性の百花繚乱

投稿日時:2016/04/28 08:20


 欧米に十年近く暮らし、バレイ、オペラ、ミュージカルに親しく接しながらも、いわゆる「身体芸術」の虜になったことはなかった。唯一、ニューヨークで幸運にも目にした「沈黙の詩人」マルセル・マルソーのパントマイムの舞台に強烈な感動を覚えたことを記憶している位だろうか。

 しかし、ヤン・リーピンだけは見ておきたかった。雲南省の少数民族ペー族(白族)出身で、正式な舞踊教育を受けていないにも拘わらず、「孔雀の精霊」によって一世を風靡した舞踊家であり演出家でもある彼女の出演する「最後の舞台」を見に行ってきた。

 「シャングリラ」というのは、イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した『失われた地平線』に登場する桃源郷で、チベットのカラカル山麓に設定された架空の地名である。中国南端、ベトナム、ラオス、ビルマに国境を接する雲南省には、25に及ぶ少数民族が住み、それぞれの多様な伝統文化を保持している。ヤン・リーピンは、これら少数民族に伝わる歌舞を「原生態」として残すために、この「ジャングリラ」を構成・演出した。

 舞台は、ワ族、イ族、ペー族、タイ族、そしてチベット族と、それぞれの少数民族が原色の民族衣装を纏い、永年に亘って培ってきた歌と踊りで構成されており、まさに色彩と躍動の百花繚乱である。それは、祭礼の歌舞であったり、農作業の歌舞であったり、そして男女の出会いの歌舞であったり、人間の根源的ともいえる原初の活動が生き生きと描かれている。そしてイ族の若い男女の群が舞う「打歌」には、何処か日本の「はないちもんめ」に似た懐かしささえ感じるのだ。

 ヤン・リーピンは、舞踏家・演出家以前に、優れた文化人類学者であり民俗学者である。柳田國男が喪われつつある日本の民俗を愛おしみ、ひとつひとつ言葉で編みつつ遺していったように、ヤン・リーピンは近代化で喪われつつある、陸の孤島つまり最後のユートピアである雲南省の少数民族の多様性を「原生態芸術」として遺そうとしている。公演から離れて村に帰る若い踊り手たちの後任をスカウトしに雲南省の各地を巡り、そして自らの舞踏学校を設立して育成にも励んでいる。それは、ペー族としての出自を持つ彼女自身のリエゾン・デートルであるとともに、多様性の文化の平和的共存への強い願望とも言えるだろう。

 「百花斉放」は中国共産党のスローガンだった筈だが、文化大革命により少数民族の伝統文化は抑圧され、その影響が今に残っていることは、雲南省昆明で起きたウイグル族によるテロでも伺い知ることができる。ヤン・リーピンの舞台に政治的なメッセージは一切存在しない。しかし、活き活きと自らの民族の歌舞を舞う多くの踊り手たちのパワーは、そうした抑圧に対するマイノリティの存在主張に支えられていないとは言い切れないだろう。

 そしてフィナーレには、月のシルエットに浮かび上る、ヤン・リーピンの「孔雀の精霊」。これが、今年58歳になる彼女が舞う最後の舞台となるだろう。その痩身から湧き出る生命の息吹と自然の持つ強靭なしなやかさの醸し出す美しさに、いつか感涙を落としている自分に気付いたのは、既に幕が下りた後のことだった。

(掲出写真は、写真撮影を許可されたカーテンコールで撮影したものです。)



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