エッセイ


雲上の宴

投稿日時:2016/01/31 20:38


 高校時代の親友が、阿佐ヶ谷「豚八戒」二階の火鍋を予約してくれた。「豚八戒」は「ちょはっかい」と読む。石垣島出身のご主人とハルピン出身の奥さんが営む創作餃子の店である。阿佐ヶ谷の南口を右に折れ、高架沿いを三鷹方面に歩いていくと、左手に延びる細い露地に並んだ長屋風の呑み屋街の角縁にあって、一階はカウンターのみで僅か六、七人も入れば一杯で、寒空の下にも人の列は途絶えることを知らない。

 昨年晩秋に夫婦四人で食事をした際に、この店の行列の話をふとしたら、健啖家の親友は社用で使ったことのある二階を早速押えてくれたようだ。実の処、一年待ちもざらだという。八畳ほどの和室はテーブルを囲んで多くて八人、一日一組限定の予約である。「…しかし、階段が急で…」と記す親友のメールを見て、事前に少し調べてみることにした。

 そういえば、西遊記に出てくる「ちょはっかい」とは「豚」ではなく「猪」ではなかったか。実はこの店には他にも多くの謎が隠されている。その一つがこの「階段」。店は間口が狭く厨房を入れても建坪で十畳ほどの細長い作りだから、二階に上る階段は一階のカウンターの客の背中から頭上に延びていて、まさに脚立のような木の仮段である。幅も僅か四十センチ程しかない。身体を斜めにして漸く二階に上がり、三和土に土足を脱いで座敷に上がると、薄暗い照明の中に怪しげな中国風の装飾が施され、三和土の脇には関羽を祭った、部屋の狭さの割には大きな神棚が赤く染められている。

 テーブルの上には既に、カセットコンロに載せられた火鍋と鍋用の野菜類が並べられており、胡麻ダレと刻んだ香菜の入った二つの壷だけでなく、黒酢、食酢、醤油に自家製のラー油等が掌に取りたくなるほど趣味のいい食器に収められている。関公の神棚の脇には昔の船に備えられてあった伝令筒が首を擡げ、一階調理場との遣り取りはこれを使い、酒や作りたての餃子はその脇にある「手動の」木造昇降機で二階へと届けられる仕組みになっている。

 下調べをして最も危惧したのは、酒に酔ってこの階段を踏み外すのではないか、ということだった。一晩貸切で、山と積まれた火鍋の食材を前に、心置きなき親友夫婦と酒酌み交わし、強かに酔わぬ訳はないし、一階の階段下にあるトイレに幾度となく立たぬ訳もない。つまり、その都度酔客は墜落の危険に晒されることになるのである。店に上るなりこの素朴な疑問を「一日の長」である親友に投げ掛けると、彼はただ、「大丈夫、今迄階段を落ちた客は一人もいないそうだ」とだけ言ってニタニタと笑っている。

 やがて品書きに五種類載る餃子が一皿ずつ昇降機で座敷に届き、注文を受けてから奥さんが手で包むというその餃子の淡麗で奥深い味わいを愉しみながら、麦酒から紹興酒へと酒は繋がれ、野菜以外の火鍋の食材、羊肉に鶏、豚ロース、海老をはじめとした海鮮、豚ミンチに海老の混ざったつみれ等が運ばれてくる頃には一度目のトイレへと発つことになる。自らの酔い具合を確かめながら急な階段を一歩一歩踏みしめながら慎重に階下に降りていくと、いつもにこにこしながら客との会話を楽しんでいる鬚面の主人もカウンターの客達も愛想よく、緊張した面持ちの「天井人」を迎え入れてくれる。

 この店には「狭さ」故の独特の雰囲気が備わっていることにその時、気づくのだ。主人と奥さんの細やかな心配りは、料理だけではなく、食器にも装飾にも息づいていて、凝縮された空間の中でそれは客という「余所者」さえを暖かく包みこんでいく。そう、優しさを感じさせるあの餃子のように。重厚長大の真逆の中に、この国が置き忘れてきたものを想い起こさせてくれる何かが、この店には満たされている。

 降りてきた時の緊張の六割程度の注意を払いながら、静々と階段を上って座敷に戻ると、親友はしげしげと顔を覗きこみながら「どうだ、リセットされただろう」と笑顔で声を掛けてきた。確かに、そうだ。例えどれだけ酒を飲んでも、あの細く頼りない階段をゆっくり下り、また上るうちに酔いはほどほどに鎮静している。そしてその「命がけの努力」は幼い頃に絵本で見たある光景をふと蘇らせた。それは、巨人の棲む雲の上まで育った巨大な豆の木をよじ登るジャックの心持ちである。

 …と自分の気持ちをトレースした瞬間に、この店のもうひとつの謎が解けたのだ。そうか、ここは雲の上、孫悟空に変身した人びとの宴であったか。

 その後も見事な白湯と赤く辛いながらも薬膳の香り心地良い鍋汁に新鮮な具材の火鍋を堪能し、夢のような四時間半を過ごした。殆ど記憶を失くすばかりに泥酔しながらも最後に降りる階段から落ちることなく、阿佐ヶ谷駅へと向かい、中央線を逆方向に帰る親友夫婦と別れて家路についた。一夜明け、どうも昨夜のことは未だに夢の光景のように思えて現実感がない。ただ、別れ際に親友の言った一言が脳裡にこびり付いて離れない。

 「帰りがけに親爺に聞いたら、この春から暫く店を閉めるそうだ。これが、最後になるかもしれん。」

 雲上の宴、儚きが故に生涯残り続ける貴重な思い出となりそうな気がした。立春を前にした冬空をふと、飛ぶ鳥の影が差したようだ。



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