エッセイ


お笑いとアイキャッチャー ―『夫婦善哉』を携えて ④

投稿日時:2016/01/06 06:21


 亡くなった義父は豪傑であった。労働基準監督官として三菱重工ビル爆破事件では警察よりも早く瓦礫の中を駆けずり回り (監督官は捜査権を持っているのである)、過労による労災認定の草分けとなった電通過労自殺事件の摘発に尽力した義侠でもあった。昨年、九十歳の正月にも二人でオールドパーを一本明けてしまう程、老いて尚、酒豪だった。社のOBにこうした豪傑は少なくないが、縁あって義理の息子となった僥倖は、しかしその突然の死によって終わった。

 そんな喪失感を埋めるのも、この旅のひとつの目的であった…のかもしれない。まだ見たこともない「なんばグランド花月」で腹の皮の捩れる程に笑い、角座で燻銀のような松竹の芸人に浸った。本当は国立文楽劇場で難波の伝統芸の華を見たり、松竹新喜劇で藤山直美の泣笑いの芸を愉しみたかったのだが、これは季節柄、叶わなかった。それにしても吉本興業と松竹芸能の盛衰は残酷なほどのコントラストだった。吉本興業は今や千数百人の芸人を抱え、大阪のみならず東京にも複数の劇場を擁している。一方で、「角座」といえば名跡ながらも今や数十人の小劇場。「どつき漫才」で一世風靡した、庄司敏江も七十半ばを過ぎて相方も亡くし、そのピンの芸は痛々しい程哀しかった。

 「なんばグランド花月」の漫才である芸人の台詞が印象に残る。

「僕ら、こんなんヒト笑かしてますけどね、大阪で一番おもろいのはオバチャンでっせ。わてらよう勝てしません。ほんまでっせ。」

 なるほど、最近人気の本 『おかんメール』 に登場するような、お節介ながらも愛情溢れ、不器用だがひた向きで、奇妙に一途なるが故に周囲の笑いを誘わざるを得ない、それが大阪のオバチャンの可笑しさの真髄なのであろう。確かに、藤山寛美にも悲哀のある笑いがあったが、藤山直美にはオバチャンの貫録がある。よく 「吾妻男に京女」 と言う (まさに②で紹介した親友夫婦がこのケースだ) が、どちらかと言えば竹のように撓う芯の強さが関西の女性の特色で、男は「どうしようもないやさ男」というのが理想の相性なのかもしれない。『夫婦善哉』 の蝶子と柳吉のように…。

 単なる 「お笑い」 に限らず、大阪のユーモアは街中の至るところにそこはかとなく活きづいている。「ビリケン」 や 「くいだおれ太郎」 などは最たる例だろうが、道頓堀の眼を引く巨大なアイキャッチャーから、顔のある魚や海老天の看板に至るまで 「面白くなければ大阪ではない」 と言わんばかりである。捻りや余韻ではない、直截で健全なユーモア、それが大阪の笑いの本質なのかもしれない。

 最近亡くなったが 「キーヤン」 こと花紀京が好きだった。飄々としていて何処か可笑しい。今回は、「なんばグランド花月」 で巡り合えた、病み上がりの坂田利夫が出色だった。新喜劇を演じて、共演者が思わず吹き出してしまうほどのアホを、これだけ自然に演ずる (断言するが本当のアホではない) 才能は他の追随を許さない。彼の笑いに救われて、今回の旅の目的のひとつは十分に達せられたと言っていい。

 街を歩いていて四方八方に「相席屋」という居酒屋の看板が目に付くことに気が付いた。広告を読むと、男性1,500円、女性0円の席料で、見ず知らずの者同士が相席で酒を酌み交わす居酒屋らしい。今回は経験しなかったが、生粋の大阪人だけが集まる呑み屋では、隣り合った見ず知らずの客同士のコミュニケーションが自然と生まれるという。大阪・西成が本拠地の 「串カツ 田中」 が今や関東も席捲しつつあるが、これも一種の 「大阪流コミュニケーション」 の伝播なのであろう。楽しみなことである。

 …と、帰郷して赤坂の会社の正面出口を出てふと見上げた正面のビルの二階にその「相席屋」の看板を見付けた時には、少なからず驚かされたのであった。



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