エッセイ


食ハ大阪ニ在リ ―『夫婦善哉』を携えて ③

投稿日時:2016/01/03 08:19


 『夫婦善哉』 には 「正弁丹吾亭」 以外にもいくつもの店が登場する。織田作之助をそのまま引用してみよう。

 「柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、『うまいもん屋』 へ屢々蝶子を連れて行った。彼に言わせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ホンマ) にうまいもん食いたかったら、『一ぺん俺の後へ随いて……』 行くと、無論一流の店へははいらず (後略)」

…に続くのが、高津の湯豆腐屋、夜店のドテ焼、粕饅頭、戎橋 「しる市」 (泥鰌汁・皮鯨汁)、道頓堀東詰 「出雲屋」 (まむし)、日本橋 「たこ梅」 (たこ)、法善寺境内 「正弁丹吾亭」 (関東煮)、千日前 「寿司捨」 (鉄火巻・鯛皮の酢味噌)、「だるまや」 (かやく飯・粕汁)、と余念ない。

 この柳吉の 「うまいもん」 に対する考え方は、ミナミ界隈を渉猟していると、概ね大阪人一般を代表しているように思える。そんな中でも、具体的な情景描写とともに登場するのが 「楽天地横」 の 「自由軒」の 「玉子入りのライスカレー」 であって、柳吉の吃音の口上を借りれば、「自由軒(ココ)のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、まむしてあるよって、うまい」…となる。早速、現在は 「なんばグランド花月」 にほど近い 「自由軒」 本店の暖簾を潜る。

 店の趣は戦前そのもので、老いた女将が帳場で全てを差配する。丁度昼頃で客は満員。入口から縦に隙間なく長く並べられたテーブルの両側にびっしりと客が埋もれ、肩擦りあう中、配膳の女中さんに注文すると、女将がそれを書き留める。テーブルの四側には東西南北が振られ (実際の東西南北とは一切関係ない)、上がってきた注文は女将の指示で 「西三、四番さん」 に割り当てられる、という寸法だ。全く無駄がない。メニューは、『夫婦善哉』 に登場する、カレーをご飯によく 「まぶして」 ある卵カレーばかりかと思っていたが、「別カレー」 という 「普通の」 ライスカレーもあり、「ハイシライス」やオムライスを始めメンチカツ等の揚げ物やサーロインステーキまで、多士済々の大衆洋食屋であった。全国に名を轟かせた 「自由軒」 本店の雰囲気は、まさに織田作之助の愛して止まなかった大阪そのものに違いない。

 さて、「正弁丹吾亭」 の関東煮に憧れて登阪した身としてみれば、その変節にめげてばかりはいられない。道頓堀を日本橋近くまで歩いて行く内にしもた屋の看板に、『夫婦善哉』 にも登場する 「関東煮・たこ梅」 を見つけ小躍りして暖簾を潜った。そこには、30年前東京・京橋にあった 「正弁丹吾亭」 の支店と同じ関東煮の湯気が立ち上っていた。名物の 「たこの甘露煮」 に一撃を受けた後、関西風の薄色の出汁にどっぷりと煮込まれた大根、豆腐、鰯のつみれ、袋、それに大好物の鯨のサエズリに舌鼓を打ち熱燗に酔いしれる。この店には父親の代より開高健も通ったと言われ、煮鍋脇の年季の入った木のカウンターで、時の流れが止まったような錯覚に浸った。

 こうなれば、作品の題名にもなった「夫婦善哉」も訪ねずばなるまい。織田作之助は、作品の構想には、まず落ちを考えたといわれ、それが運命に翻弄される柳吉、蝶子が 「夫婦善哉」 を食べるシーンだった。二人の危うい関係性が 「善哉」 という食べ物を介しながらほんのりと甘いものになっていく、そんな余韻の残るラストシーンとなっており、本作で一世を風靡した織田作之助の真骨頂であるといっても過言ではない。善哉を食しながら、改めて柳吉と蝶子の台詞を採録しておこう。

 「 『こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯づつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山 (ギョウサン) はいっているように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや』 蝶子は 『一人より女夫の方が良えいうことでっしゃろ』 ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた(後略)」

 そして善哉を啜りながら、次第に織田作之助の世界にのめり込んで行く自分に気付かされた。



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