エッセイ


祭りが迎えてくれた

投稿日時:2012/09/16 06:00


 引越しから10日が経った。移動のために内容物を全ての収納物から一旦出して収めた段ボールは古びた東中野のマンションの一室を満たし、立錐の余地もない。待て待て、論理的には一時的に体積が二倍になっているだけの話で、丁寧に中身を収納物に収めていけばやがてこの堆積物は氷解するのだ、と自分に言い聞かせてはみるものの、暫くはその威圧感に耐えなくてはならない。これが、幾度経験しても引越しが好きになれない最大の理由だろう。
 25年ぶりの「第二の故郷」には随分と様変わりした容貌を見せられ、少なからず当惑させられた。新宿副都心のオフィス街が丸ノ内線上を北西へと拡大し、隣町の中野坂上には高層ビルが立ち並び、既に「山手下町」の面影はない。今度は大江戸線上に、この東中野にもオフィス化の波が押し寄せているとみえて、段ボールの開梱に疲れて近所の店に晩酌を求めれば、そこはサラリーマン達の溜り場となっている。ただの住宅街だった四半世紀前には想像もできなかった光景だ。
 横濱市部より移り住んでみると、近場で何でも揃うところが楽だ。歩いて2分の場所にはイオン系の生鮮コンビニがあり、PBの安いミネラルウォーターも数本抱えてすぐに我が家に持ち帰ることができる。駅も3分、大型スーパーも5分。それでいて極めて静かな場所なのだ。その「不思議」の源泉については追って考察することになるだろう。
 こうして夏休みの一週間は、梱包、搬出、搬入、開梱、と瞬く間に過ぎてしまったが、ようやく物が納まるところに納まりはじめ(大半は書籍の山ではあるが)、段ボールも三分の二はその姿を消した。漸く生活に目配りできる状態まで回復したことになる。
 今年は耐え難く長い夏が続いているが、彼岸を翌週に控え、街には子供の頃親しんだ神社の秋祭りの提灯が並ぶようになった。録音された笛太鼓の音色が商店街に響きわたり、空き地に自治会の天幕が張られると、神輿を組み立てる町衆の姿が目につく。こうなると、居ても立ってもいられなくなるから、不思議なものだ。宵を待って神社に出かけた。
 小学校の頃の遊び場だった神社の境内に足を踏み入れる。ここで隠れんぼや缶蹴りをして、蝉や蜻蛉を取り、正月は家族で初詣をし、祭りを楽しんだ、その鎮守の杜は四半世紀を経ても変わることがない。寧ろ時間が止まったように、眩いばかりの出店がたち並んで、あの頃と変わらずに親に手を牽かれた子供達がその中を覗きこんでいる。僅かな小銭を握りしめて仲間達と、その小宇宙を彷徨いながら楽しんだ自らの子供の頃に、姿が重なる。
 こうして鎮守の秋祭りにやってきて、漸く故郷を取り戻したような気分に浸る。幼馴染たちの顔をひとつひとつ、思い起こしながら。


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