横濱スケッチ2

横濱税関(クィーン)

 1865(慶応元)年のクリぺの横濱地図を見ると、埠頭(現在の「象の鼻」)の真正面にあったのは「運上所」すなわち税関であった。この事実ひとつとってみても、開港後の幕府の対外政策は正鵠を得たものだと分る。異国からの来訪者にとって先ず対峙するものはイミグレーションと税関であることは現代も変わらない。
 1934(昭和9)年竣工の、このサラセン式ドームを冠する塔をもつ建物は、クィーンと称される通り、横濱来航の外国船にとっては、まさに「美しき威厳」のシンボルであった。
 このスケッチの後、2003年には外観を残したまま内側に増築が行われたが、それは優雅な外観を決して損わうことのない慎ましいものだった。この横濱税関の向かって右手に建てられた県警本部の無表情で武骨な人を寄せ付けない灰色の直方体と較べれば、港べりの建物の持つべき異邦よりの来訪者に対する「親愛さ」というものを、クィーンは知らしめてくれているといえるだろう。

日本郵船横濱支社

 1936(昭和11)年に建てられた、16本のコリント式円柱列をもつ古典主義様式の建物である。同じ様式としては丸の内の明治生命本館を思い起こすが、和洋折衷のなかに威厳を保ったこの建物がこの場所にあることで、船による海外との物流・旅客の流れが横濱に集約していた昔日が懐かしく思い起こされる。
 2003(平成15)年から、日本郵船が氷川丸の移管を受ける06年まで、この建物の左側には日本郵船博物館があって、海事好事家には格好の遊び場所だった。博物館はオフィス・スペースと天井続きになっていたのだが、羨ましいくらいにその天井は高く、世界を相手に商売をしている会社のオフィスというものは流石に違うものだ、と思った。
 紆余曲折を経ながらも、この美しき白亜の殿堂が、未だに海岸通りに姿を残していることはいち私企業の努力を超えた地域の声援をその背景に思わざるを得ない。
 

赤煉瓦倉庫

 このスケッチをした時点では、未だ商業施設として再開発されていない。ただそれを前提に整地が行われていた段階だ。これほどエキゾチックなプレイ・スポットになることなど想像もしなかった。明治後期に建てられた一介の保税倉庫だが、その屋根の傾斜の美しさや、何より赤い煉瓦づくりのファサードの質感が実に魅力的だ。設計は妻木頼黄(つまき・よりなか)。そう、横濱正金銀行の設計者でもある。
 商業施設として内装工事を開始する前に内部が公開された。薄暗い倉庫内はここが商業施設になりうるだろうか、と思わせたが、何故か煉瓦の温かい包容力が心地よかった。
 いまや誰もが知る観光スポットだが、いまひとつ記憶に留めておくべきことがある。スケッチの右側、一号館は関東大震災でその三分の一が倒壊した。実は二号館の西側、すなわち裏手の赤レンガパークには、同じく震災で倒壊した旧税関事務所の煉瓦づくりの土台の遺構が発掘されて残されている。変形した敷地に建っていた煉瓦づくりのモダンな洋館の内部を、銘板に遺された旧い写真をもとに想像するのは、実に楽しい。と同時に、この倉庫がいかに強固な設計のもとに建設されたか、を改めて識ることになるのである。
 横濱の玄関口にあたる桜木町駅から赤煉瓦倉庫に向けて「汽車道」という遊歩道がある。これは、1911(明治44)年に開通した横濱臨港線の一部が1987(昭和62)年に廃止された後、1998(平成10)年に遊歩道として整備されたものだ。現在も、歩道にレールが埋設されており、臨港線の跡を歩きながら辿ることができる。
 1989(平成元)年に開催された「横濱博」では、この廃線の内、日本丸駅から山下公園駅までの間で特別列車が運行され、胸をときめかせながらその乗客となった。
 臨港線は、鶴見駅から分岐し、東海道線に並行する貨物駅の東横浜から山下埠頭に向かう支線であったが、1920(大正9)年から1960(昭和55)年まで、新港埠頭より出港する旅客船のために、この鉄道の分岐線である「横濱港(よこはまみなと)駅」まで旅客を運んだ。その時の新港埠頭での主役は、他ならぬ、シアトル航路に就航していた氷川丸だった。
 この新港埠頭こそ、現在、赤煉瓦倉庫のある場所である。幼い記憶の中に、父に連れられて、海外に旅立つその知人を見送りにこの新港埠頭に来た記憶がある。知人が船上から投げる紙テープを受取り、出船にあわせてテープが千切れ、何百という紙テープの束が宙を舞う美しさに別れの寂しさを感じたのを今でも忘れない。現在も、横濱港駅跡は、その「汽車道」の先端に遺されている。
 その臨海線の軌跡を、凱旋門のように覆っているのが、、このナビオス横浜(海員会館)というホテルである。もともとは海員の宿泊施設だった(現在も)が、一般に利用できるようになった。シーメンズ・クラブという洒落たバーがあって、夜景を眺めながら、ちょっとマドロス気分に浸れる場所だ。そのバーの入口からは汽車道、すなわち旧臨港線の軌道を見下ろすことができる。まるで、時間そのものを俯瞰しているようだ。
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