1992年、イベント担当部門での私のキャリアは充実したものだった。前例のないビジネス・モデルを開拓していくスタッフ達は奇想天外で、管理上危うきこと夥しいが、いずれも憎めぬ好人物揃いだった。大ボラに付き合って数千万円もの穴をあけられ、ハラハラもするが、常習犯の詐欺師にまんまと騙されたような一種の快感さえ感ずることさえしばしばであった。
Yさんもそんな愛すべき人物の一人であった。アマチュア交響楽団のコンサート・マスターながら酒乱であり、しかも女に溺れた。しかし、それも彼の純真無垢な心根と淋しがり屋の故であり、出世はしなかったが誰からも愛される人柄だった。私の釣りの師匠でもあり、夏はキス、冬はカワハギを狙う葉山でのボート釣りは忘れ得ぬ思い出である。
このYさんをモデルに、まともで面白みのない主人公が、純真さの故に生まれる狂気の先輩と接しながら硬貨の表裏の如く支え合う物語を描きたかった。テオとは、狂気の画家ゴッホを支えた弟である。
物語中、矢内原は肺癌で没する設定になっているが、この時点でYさんは健在であった。その後、検診で肺癌がみつかり還らぬ人となったのは、小説の脱稿後数年経ってから、私が既にNYに旅立った後のことである。結果的にこの作品が彼へのレクイエムとなった。
私自身もYさんの亡くなった齢を迎えてしまった。ひとは皆、その忘れ難き故人の背中を追って生きているのかもしれない。
☛「テオの末裔」
アメリカ自然史博物館にできた"Butterfly Conservatory"は、数十種類もの熱帯産の蝶を見られる温室である。週に一度、アフリカや南米にある"Butterfly Firm"から蛹を取り寄せここで孵化させる。莫大な労力と費用をかけてニューヨークでは見られない(勿論、日本でも)生きた蝶の幻想的な姿を見ることができる。
『テオの末裔』の最後に記した蝶の逸話は、実はYさんではなく、それ以前に、やはり肺癌で亡くなったIさんの逸話を頂いた。国立がんセンターの病室に捕虫網を持ちこんで寝ながらそれでカーテンの開け閉めをしていた姿が忘れられない。Iさんは有能な経理マンだったが、両切のピースを毎日ひと缶吸うヘビースモーカーだった。そして彼も、Yさんの釣り仲間のひとりだった。お二人のご冥福をお祈りしたい。