唐変木の書棚より2
『秋葉原事件 ―― 加藤智大の軌跡』 ― 中島 岳志 著
血盟団事件など超国家主義によるテロリズムの論考もある中島岳志が事件より3年を経て、第一審での裁判記録や関係者の取材をもとに記した、加藤智大の犯行に至る内面の変遷に迫るこのノンフィクションが、あるいはそんな中で唯一事件の真相に肉迫するものかもしれない。
エリート志向の異常とも言える母親の教育介入によって抑圧された感情を、言葉ではなく暴発的な行動に繋げることによって建前と本音を使い分けるようになった加藤智大は職業を転々とし、都度然るべき評価を受けながらもこうした暴発的行動から自ら社会的関係を遮断していく。最後には、低学歴・醜態・非正規といった自虐ネタで特定少数のコミュニケーションの成立するネット掲示板に唯一の居場所を見出すことになる。そしてスレッド上の「なりすまし」により唯一の居場所としてのネット上でのアイデンティティさえ喪失してしまう。
私自身もfacebook上で「なりすまし」の被害に遭ったことがあるが、これほど気持ちの悪いものはない。もし貴方のアバターが誰か第三者によって勝手に操作されネット上でとんでもない言動を繰り返したとしたら、貴方はどう感じるだろうか。ましてやネットを唯一の居場所と考えていた加藤智大にとってそれは許されざることだったに違いない。「なりすまし」による自己同一性の危機に陥った加藤智大は「ネタ」(コミュニケーション手段としての虚構)と「ベタ」(現実)との区別がつかなくなる。そして彼を無視した仲間の注目を再度集めるための「ネタ」としての無差別殺傷実行の「言質」が「ベタ」と化していくのだ。
これはネットという仮想現実空間に身を委ねている現代人がいつ填まってもおかしくない陥穽である、という警鐘でもあろう。加藤智大を唯一救い得たのは、まさに彼が遮断し続けてきたリアルの人間関係であった。少なからず友人に恵まれた彼が自らそれを絶ってしまったことに、彼を無差別殺傷へと追い詰めた本当の理由がある。
表層的には進学校に進みながら脱落し、非正規雇用を転々としたことや経済的な逼迫、そして最後は派遣切りなどがマスコミでは本事件の動機とされたが、中島岳志の考察はより人間の本質に迫ったものと言えるだろう。ただし、それもあくまで一つの仮説に過ぎない。加藤智大が獄中で告白すべきは全ての建前を排した、そうした本音であるべきではなかったのか。
最後に中島岳志の「文庫版あとがき」より引用する。
「加藤にとって、社会から切り離され孤立することは、生きる動機の喪失を意味した。〔中略〕(社会と繋がるための)誰かが現れることは、彼にとって「ミラクル」だった。〔中略〕私たちは、そのような社会に生きているということを、もう一度、客体視しておく必要がある。そして、この加藤のリアリティを直視することから始めなければならない。〔中略〕だから、私は加藤智大のことを、ずっと忘れない。加藤が「しまった」「もっと生きていればよかった」と心底悔しがるような社会を作ることが、この本を書いた私の責務だと思う。」
そして今朝(7月27日)の朝日新聞朝刊で中島岳志は加藤智大の死刑についてコメントを寄せている。事件から14年が経過しても加藤のリアリティをもたらした格差・貧困といった課題は解決されることなく、社会は変わっていない。それどころか、安倍晋三襲撃事件に至る一連の事件の原点にこの秋葉原事件があることに、再度警鐘を鳴らしている。「加藤君」と中島が呼んでいることがとても印象に残るコメントであった。そう、死刑は何も解決しないのだ。
『2034 米中戦争』― E・マッカ―マン/J・スタヴィリディス 著
中国、イランの同盟に加え、この機に乗じた同盟国ロシアもNATOの弱体化につけ込んでポーランド侵攻(ウクライナではない!)を強行し、戦争はエスカレートし拡大していく。米中の戦闘は最終的に戦術核の使用による都市爆撃の応酬に至る。そして最後はインドがその仲介を図り停戦が実現するところで物語は終わる。
中国によるサイバー攻撃によるアメリカの最新鋭戦闘力の無力化、中国による台湾併合、ロシアによる海底ケーブル破断によるアメリカ全土に及ぼすパニック、中国共産党による内部責任転嫁と当事者の抹殺、登場人物間を彩る人間模様、などこのサスペンス・ドラマは結末に至るまで止まることなく、読者に時間を忘れて物語に没入させてくれる。
原作は2021年に発売されるや忽ちアメリカでベストセラーとなり、私も原典を購入して読み始めようと思っていた矢先、その12月にはこの翻訳が日本でも緊急出版された。まさに、現在の世界情勢を先取りしたタイムリーで旬な小説であると言うことができるだろう。勿論、この物語の「引き金」は中国であってロシアではない。しかし多くの国際政治学者が指摘するように、ロシアのウクライナ侵攻は米中対立の前哨戦に過ぎない、という見方もできるのだ。
本著の中で、インドが軍事的な強制力を背景に、エスカレートする米中戦争を仲裁し停戦に導く場面があるが、アメリカの安全保障担当大統領補佐官が、「同盟国日本もインドと同様米中紛争に距離を置いてきた」と発言している。ロシアによるウクライナ侵攻に対するインドの姿勢を、今、私たち日本人は歯痒い思いで見ているが、本来は日本もインド同様、中立的立場でこの紛争に対峙すべきなのではないのか。アメリカ、EUと歩調を合わせる事が、日本の安全保障にとってもあるいは平和憲法の精神からしても、唯一の取るべき道ではない筈だ、ということにも気づかせてくれる。これは一例に過ぎないが、第三次世界大戦の危機を目前にした現在、日本の立ち位置を改めて考えさせてくれる示唆に富んだ一冊である、と言えるだろう。
ドヤに暮す人たちへの聞き書きを読んで気付かされるのは、彼らは決して「特殊」な生き方をしてきた訳ではない、ということだ。腕利きの職人を極めた人もいれば、叩き上げから中小企業の社長に上り詰めた人や、元翻訳家の米国籍を持ったハーフもいる。一見順風満帆な生活が、アルコールやギャンブル依存、生来の適合障害といった、些細な人生の間隙に嵌って変調を来した挙句、この街にやってくる。それぞれのライフ・ストーリーを辿っていくと、その人生の一つ一つが決して「他人事」とは思えない。そうした人生に支援の手を差し伸べる支援施設のスタッフ、ドヤの帳場(管理人)、角打ち酒屋の主人などは、彼らと適度な距離感を保ちつつも、自らの内に抱えた「危うさ」すなわち自身も彼らと同じ地平に立っている強烈な自覚に基づく「共感と畏怖」という相反する感情に支えられて生きている、という構図が詳らかになっていく。
ホームレスの支援組織の代表者が語った一言を引用しておこう。
「自分(野宿者)を追い出した社会に戻ることを自立と呼ぶなんて、おかしなことでしょう。野宿者の中には、景気の調整弁として解雇された人もたくさんいるわけです。そいう人が社会復帰する努力をしないと、生きてる価値がないなんて評価される。僕たちの生活は、野宿者のように富をほとんど持たない人が存在することによって成り立っている側面があるんです。価値がないどころか、追い出して申し訳なかったと謝るべきなのは僕らの方なんです。」
ホームレス支援を行う寿町のバプテスト教会の神父もまた、彼らを前に安穏とした生活を送っている自らを恥じるように、
「(ホームレスに)『お前は何者だ?』と問われたら、頭を下げて『すみません』と謝るしかないのです。」
と語るのである。
横濱・元町に住む私にとって寿町はまさに「隣町」である。地元の住民と同様に、私も最初は寿町に対して一種畏怖の念を抱いていた。だが、ある日、好奇心旺盛な近所の先輩に誘われて、満を持して寿町を飲み歩いた経験がある。巷間に持たれるイメージとは全く異なり、街往く人々の人懐こさ、飲み屋のスタッフの暖かさに心和まされたことが未だに記憶を去らない。寿町は様々な人生の辛酸を舐めた人たちが交錯する場所であるが故に、寛容であり多様性を許容する風土が培われている、と言っていいだろう。生産性や効率性といった画一的な物差しの上で生きてきた私たちにとって、逆にその画一性から故意または無意識に逸脱した人たちの形づくるコミュニティがいかに心に安らぎを与えてくれるものであり、またコロナ禍で価値観の転換が求められるこの時代に新たな可能性を示唆してくれるものであるかを、しみじみと考えさせてくれる一冊である。
『交通誘導員ヨレヨレ日記』―柏耕一著 他 三五館シンシャ日記シリーズ
こうしたいわばエッセンシャルワーカーたちの仕事の内実をドキュメント風に紹介したものが「三五館シンシャ・日記シリーズ」である。いずれの著者もライターとしての経験があり、副業としてあるいは病気などの転機で正規雇用を外れ、非正規雇用者としてそれぞれの専門性の中で数々の挫折を経ながらも奮闘努力を重ねていく、という読み応えのあるノンフィクションとなっている。特に柏耕一を最年長としてシニア世代、ほぼアラフィフの著者が多く、非正規雇用の直面する問題や高齢化を迎えた日本社会の断面を掘り下げる描写も少なくなく、その筆力に圧倒される。いずれも非正規雇用のエッセンシャルワーカーとして、人間関係に潜む一種の職業差別に抗いながらも、自らの専門性に対する矜持とやりがいに希望と充実感を見出して迎える結末は、非正規雇用に懊悩する人たちにとっても一条の光明を与えてくれるかもしれない。職業に貴賎はない、ということを実感させてくれる。
実はこの「三五館シンシャ」を立ち上げた中野長武社長自身がロスジェネの辛酸を味わった張本人である。大卒後出版社への就職を希望しながら叶わず、ようやく拾ってくれた三五館という小さな出版社で18年出版人教育を叩き込まれ、その倒産を機にこの会社を自ら立ち上げた。まさにその中野長武社長の意に叶った一冊がこの柏耕一『交通誘導員ヨレヨレ日記』であり、これに続く「日記シリーズ」だったのである。こうした編集者としての熱意がなければ生まれ得なかったこの貴重なシリーズをこれからも読み続けていきたい。
『掃除婦のための手引き書』 ― ルシア・ベルリン 著
まさに波乱と毀誉褒貶に満ちた生涯であった。その中でルシア・ベルリン自身の経験した、様々な体験、持病に基づく偏見、性的虐待、家族持ち同士の不倫、友人の裏切り、母・叔父同様のアルコール依存、人種的偏見、宗教的確執、職業的偏見……などが、短篇小説の形でパッチワークの如く彼女の哀しく逞しい人生の諸相を彩っていく。最後には彼女の命を奪う遠因となる脊椎湾曲症という宿痾と、性的倒錯者である祖父や宗教的偏見に固まった祖母、そしてアルコール依存の母と叔父、目まぐるしい生活環境の変化の原因となった父、といった家族の宿命に打ちひしがれながらも、彼女は常に自らをユーモアを交えて客体化し、苦難の先の光明を見詰めている。それは彼女が青春を過ごしたラテンアメリカの、例えばサンバの持つ哀しさと明るさの表裏一体を思わせるものがある。
2015年、埋もれた作家のルシア・ベルリンを発掘したリディア・デイヴィスは濃厚に凝縮されたルシアの作品はどの部分を録っても魅力的だ、と書いている。私もそれに倣って、「あとちょっとだけ」という作品の末尾を引用して終わることにしよう。
メキシコのあなたの部屋の、夕方のあののどかな光輝のようだった。あなたの顔を照らす日の光が見えた。
『青色の深い帽子』― 丸山 健二 著
「夏の流れ」は平凡な家庭を持つ刑務官の平穏な日常と、死を目前とした死刑囚との交錯を描いたものだが、死刑執行に立ち会う職務を負った刑務官の日常が人間の生死の上に成り立っている、という奇妙な自己撞着の幻惑と緊張感を読者に与える作品である。講談社文芸文庫『夏の流れ』には、本作を含む初期の7つの短篇が収められているが、一度これらに魅了されれば、『丸山健二全短篇集成』全5巻に食指を伸ばさざるを得なくなる。
その第3巻にあたる『青色の深い帽子』は、1974年から77年、丸山31〜34歳に発表された円熟期の16篇を収める。因みに、『戦後短篇小説再発見』のシリーズに収められた丸山健二の作品は「バス停」(第1巻「青春の光と影」)と「チャボと湖」(第14巻「自然と人間」)の2篇であるが、何れも本第3巻に含まれている。
「バス停」は、農村を出て都会に働きに出た若い女性が里帰りする話である。母親を含め村人は彼女が都会の工場で働いていると思っているが、実は女性は水商売に身を持ち崩しており、一旦離れた農村の閉鎖的で野暮な生活に対する嫌悪と同情が交錯する複雑な心理が描かれている。「チャボと湖」は、病弱な少年が二階から見下ろす隣家の庭で、独身の中年婦長が飼う五羽のチャボの鳴き声で近隣が迷惑する話である。チャボの庭に現れる一匹の蛇が、かつて母親に連れられてその不倫の現場に立ち会わされた少年の記憶に繋がる。近隣の苦情が重なり、ある日婦長は狂乱の挙句、庭のチャボに熱湯を掛けて殺してしまう。少年にはふと婦長の姿が母親に、そして自らがそのチャボに重なって見えるのだ。
表題作「青色の深い帽子」は幼稚園の運動会で一人娘の演技に目を細める父親と娘の祖母の場面で始まる。父親は子供の母親を離縁し実母と三人で暮らしている。その離縁の理由が、不治の病を得た妻を親族郎党で追放したことにあると次第に明らかになる。その離縁した妻が病を押して青色の深い帽子にサングラス姿で運動会に現れる。娘と母に内緒で父親はその妻を車で連れ出すが、老人のように皺枯れた元妻は別人のようで、帽子を脱ぐと髪の毛が殆どなかった。「どうしようもないんだ」と父親は苦しい言い訳をして元妻と別れるが、数週間後彼女の死が知らされる。
70年代という時代背景のせいか、丸山健二の短篇には「都市と農村」を背景にした作品が多く見受けられる。丸山の関心はあくまで人間関係に込められた感情の確執にあるが、そうした状況が70年代の都市化に最も顕著であったから、と言えるのかもしれない。まさに『戦後短篇小説再発見』の目論んだ戦後社会の縮図を丸山が描き出していた、と言えよう。
15歳の年齢差はあるにせよ、同時代を生きた身には、これらの短篇には何処か「懐かしさ」がある。つまり自らの記憶に重なる部分が少なくないのである。ムラへの嫌悪感と郷愁、音も筒抜けな近隣の騒音、幼児の頃の親の不審行動、家族や親族の持つ無言の圧力……丸山の短篇を読みながら、自分もこうした「風景」を通り抜けてきたという既視感を持つことが、彼の小説の持つリアリティの力なのかもしれない。
『金沢』 ― 吉田 健一 著
「冬の朝が晴れていれば起きて木の枝の枯れ葉が朝日という水のように流れるものに洗われているのを見ているうちに時間がたっていく。どの位の時間が経つかというのではなくてただ確実にたって行くので長いものでも短いものでもなくてそれが時間というものなのである。」
浅薄な批評家は吉田が幼少の言語発達期に父親の赴任のため長期の海外生活を余儀なくされたために日本語的文体を体得できなかったと指摘するが、これは正しくない。端的に言えば因果関係に基づく論理構成を一切放棄するところに彼の文体に込めた意図が存在するのだ。まさに時間と空間の束縛より解き放たれ、内向的で自足的な充足感を読者にもたらしえる文体の発明、と言っていい。無論、これを忌避する読者も少なくない。
『金沢』という「小説」の主題と構成がこの文体と不可分であることに気付かされる。神田の裏通りに屑鉄問屋の店を構える内山という男が、別荘として金沢・犀川沿の高台の古民家を借りる。出入りの骨董商に引き連れられて金沢の様々な屋敷で饗応を受けるのだが、現実と幻想との区別もつかない幽玄の世界に都度いざなわれる。これを「小説」と呼ぶことさえ躊躇われるように、何らかの物語が進展するでもなくただ飄々と金沢という街と文化・風俗に主人公は身を委ねつつこれに酔う。登場人物の関係性も不分明ならば、その会話にも禅問答に似た遠謀熟慮と思しき飛躍がある。例えば季節の移ろいについて語り合う饗応先の主人と内山の会話。
「消えるのは我々ですか、」と内山は言った。「それが別に惜しい訳ではないけれど。」
「山や野原からすればですね、」と主人が言った。「人間がいればそれでいいんでしょう。それがいたことにならないような人間もそういつまでもいるということはない。……」
読者はエッセイとも小説とも判然としないこの文体によって紡ぎ出される「雰囲気」の中に、しかし着実に取り込まれていくそんな魔力をこの小説は持っている。本著は現代の「方丈記」とも称すべき古典と言っても過言ではない。無論、遁世した鴨長明とは異なり主人公は俗世にあるものの、時空を超越した幻想的な観念世界に縦横無尽に生きている。これが一種の厭世観に支えられているという意味においては、これらに共通する部分があるのかもしれない。
吉田健一のひと癖ある文体には、何処かウオッシュタイプのチーズに似た魅力があるようだ。
講談社文芸文庫編『戦後短篇小説再発見』全18巻
「序」に示された編集方針がまた泣かせる。戦後の激しい社会変化の渦中、日本文学が短篇小説という凝縮された表現様式で、旧弊より解き放たれた寄るべなき日本人の生を如何に描き出してきたか。作品の選定基準も、一人の作家につきひと作品。しかも400字詰原稿用紙60枚程度を目安に厳選した、という。選者には、井口時男、川村湊、清水良典、富岡幸一郎という当代一流の文芸評論家を据えたとなれば、比類なき戦後短篇小説のアンソロジーに相違ない。
当初10巻117篇のシリーズであったが、後に8巻84篇が第二期として追加された(一作家一篇の原則は第一期との重複を1回に限り許容されることになる)。映えある第1巻「青春の光と影」の冒頭に掲げられた短篇が、太宰治「眉山」と来れば、後は推して知るべしであろう。因みに、第2巻以降、全巻のテーマは以下の通り。
<第2巻>「性の根源へ」 <第3巻>「さまざまな恋愛」 <第4巻>「漂流する家族」 <第5巻>「生と死の光景」 <第6巻>「変貌する都市」 <第7巻>「故郷と異郷の幻影」 <第8巻>「歴史の証言」 <第9巻>「政治と革命」 <第10巻>「表現の冒険」 <第11巻>「事件の深層」 <第12巻>「男と女ー青春・恋愛」 <第13巻>「男と女ー結婚・エロス」 <第14巻>「自然と人間」 <第15巻>「笑いの源泉」 <第16巻>「『私』という迷宮」 <第17巻>「組織と個人」 <第18巻>「夢と幻想の世界」
いずれも上記4名の選者がそれぞれ単独でテーマに沿った短篇小説を選定しており、各巻末の「解説」で作品選定の「謎解き」をするのも興味深い。「何故この作品がこのテーマ?」というものもあれば、ズバリ直球というのもあるが、ある意味で短篇小説の「読み方」の指南書、とも言えるのかもしれない。また「戦後短篇小説」の潮流が描いた社会の諸相を深掘りした作品群であることを考え合わせれば、これは優れて日本の戦後社会史の露出した断層を目の当たりにしている、とも言えるだろう。
勿論、読み知った作家の作品もあれば、初読の作家との出会いもある。ただ、短篇小説という特殊性から、初出の文芸誌より後、書籍として収録されていない作品も少なからず存在しており、これらの短篇を丹念に文芸誌より発掘した選者の力量にも感服の念に絶えない。初めて巡り合った作家の短篇に感銘し他作品を渉猟することも、本シリーズを読む愉しみの一つかもしれない。
残念なことに、本シリーズは現在、絶版となっており古書でしか入手できない。本シリーズの完結した2004年には既に「戦後」という概念自体が時代の遺物となってしまった故であろうか。ある意味で混迷を深めてきた現在、少なくとも現在の日本社会を方向づけた「戦後」というベクトルを改めて振り返ることは決して無駄なことではなかろう。約半年間、車中に本シリーズを開きながら、得られた感銘は少なくない。是非とも復刊を望みたいものである。
『清冽 ― 詩人茨木のり子の肖像』 ― 後藤 正治 著
みずから水やりを怠っておいて
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分で守れ
ばかものよ
この評伝を読んで思うことは、私たちの心を打つ彼女の詩の数々が、何ら衒うことも卑屈になることもなく、普通のいち主婦として日常に感じたままの平易な、しかし深い連鎖を持った言葉で響いてくるのは、茨木のり子自身の「品格」のなし得たことだ、ということだ。大正15年生まれなので、敗戦時に数えで二十歳。「わたしが一番きれいだったとき」という詩で、戦争に翻弄された自らの青春を回顧し、その苦い経験をもとに、日常感覚に根差した自己表現を紡いでいくという彼女の姿勢がそれを結実させた。「もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない」で始まる「倚りかからず」の詩にそれは示唆されている。女性として、いや人間として自立するということは、戦争の下で抑圧されてきた日常の「普通の感性」を自らの支柱として自らを語ることに他ならない。
現在、ウクライナで起きていることを含めて、私たちの日常世界は「常識」では理解できない不条理で満ち溢れている。そうした不条理に「普通の感性」を対峙させることこそ、時代や偏狭な風潮に安易に流されない「自立した生き方」なのではないだろうか。今、茨木のり子が多くの人びと、特に女性の支持を集めている理由は、そこにあるのかもしれない。
文庫版の解説に梯久美子が書いているように、後藤正治という作家によって茨木のり子の評伝が書かれたことは最大の僥倖といえよう。まさに茨木のり子の感性をそのまま掬い取ったような素直な文体と、響き合う構成に、とても清涼な読後感を得ることができた。日常の不条理に疲れたときにふと手にして欲しい一冊である。
『寿町のひとびと』 ― 山田 清機著
ホームレスの支援組織の代表者が語った一言を引用しておこう。
「自分(野宿者)を追い出した社会に戻ることを自立と呼ぶなんて、おかしなことでしょう。野宿者の中には、景気の調整弁として解雇された人もたくさんいるわけです。そいう人が社会復帰する努力をしないと、生きてる価値がないなんて評価される。僕たちの生活は、野宿者のように富をほとんど持たない人が存在することによって成り立っている側面があるんです。価値がないどころか、追い出して申し訳なかったと謝るべきなのは僕らの方なんです。」
ホームレス支援を行う寿町のバプテスト教会の神父もまた、彼らを前に安穏とした生活を送っている自らを恥じるように、
「(ホームレスに)『お前は何者だ?』と問われたら、頭を下げて『すみません』と謝るしかないのです。」
と語るのである。
横濱・元町に住む私にとって寿町はまさに「隣町」である。地元の住民と同様に、私も最初は寿町に対して一種畏怖の念を抱いていた。だが、ある日、好奇心旺盛な近所の先輩に誘われて、満を持して寿町を飲み歩いた経験がある。巷間に持たれるイメージとは全く異なり、街往く人々の人懐こさ、飲み屋のスタッフの暖かさに心和まされたことが未だに記憶を去らない。寿町は様々な人生の辛酸を舐めた人たちが交錯する場所であるが故に、寛容であり多様性を許容する風土が培われている、と言っていいだろう。生産性や効率性といった画一的な物差しの上で生きてきた私たちにとって、逆にその画一性から故意または無意識に逸脱した人たちの形づくるコミュニティがいかに心に安らぎを与えてくれるものであり、またコロナ禍で価値観の転換が求められるこの時代に新たな可能性を示唆してくれるものであるかを、しみじみと考えさせてくれる一冊である。
『駱駝祥子(ロート・シャンズ)』 ― 老舎 著
『半島』 ― 松浦 寿輝 著
中年ではなくとも人生には必ず訪れるそんな瞬間に読むべき一冊なのかもしれない。幻想小説、あるいは形而上学的推理小説とも呼ばれる松浦寿輝の小説は、博覧強記の著者に相応しく凡ゆる作家の様式美とエンタテイメント性を兼ね備えた読み応えのあるものだ。本著は2007年を最後に絶版となっていたが、来年早々、講談社文芸文庫から再刊行されることが決まっている。何かの呪縛に人生の方向感覚を喪失した時、この本が自分なりの答えを喚起してくれることを祈念して已まない。
(2021年12月12日)
『マリリン・モンロー 最後の真実』 ― ドナルド・スポト 著
多くのマリリン・モンローのファンのみならず、波乱万丈に満ちた「ある女性の生涯」のドラマを満喫したい読者にとって、「最後の真実」に巡り合える必読の一冊であると言えよう。
(2021年9月28日)
『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』 ― 戸部 良一 他共著
以上の試論のみで、私の論旨はほぼ尽くされたことだろう。つまり、この国の行政組織、更にはリモートワーク等の感染対策の責務を負う企業組織を含めて、この国の組織は、敗戦を喫した日本軍の組織と「未だに」何ら変わる事がない、ということである。歴史修正主義者や反知性主義者たちが、歴史的事実や客観的根拠を隠蔽・偽装しつつ、日本のあるべき方向性を示すこともできず、先の戦争と同じ構造の中でいかに「国民に犠牲を強いている」かを、改めて本著を熟読し、考え直して欲しい、と強く念ずるものである。まさに本来の意味での名著、といえるだろう。
(2021年9月26日)
『百歳以前』 ― 徳岡 孝夫 / 土井 荘平 共著
『百歳以前』という少し変わったタイトルは「百歳を前に」といった程の意味だろうが、何処か「図らずも91歳まで生きてしまって……」という羞恥心を感じさせる言葉だ。多分この恥じらいこそが「男おひとりさま」の矜持とも言うべきものだろう。元新聞記者と元商社マンという過去の鎧を脱ぎ捨て、それぞれが培ってきた経験と哲学を老成の時代に交流させることによって、新たな友情が育まれていく。シニア・ライフを迎えた男性には、いかなる老後のハウツー本よりも、心に迫るリアリティを感じさせる一冊となるのではないだろうか。
(2021年9月23日)
『素晴らしきラジオ体操』 ― 髙橋 秀実 著
これは例えば、ラジオ体操第一の最初の「背伸びの運動」で上に伸ばした両腕を下ろす際の“間“の事を言っている。今も、国民を魅了し続け、日々早朝6時半の体操に向かわしめるラジオ体操の魅力の本質は、そんな所にあるのかもしれない。まさに、体操を通じて垣間見る日本人の文化論、とも言うべき一冊である。また、創始者たちの愉快な人物描写にも目が離せない。
(2021年9月16日)
『天子蒙塵』 ― 浅田 次郎 著
「蒼穹の昴シリーズ」と呼ばれる一連の中国近代史小説の最新作。清朝末期を描いた『蒼穹の昴』は正直なところ第一巻の半ばで挫折してしまった。浅田次郎の「壮大な構想」に思い至ることもなく、余り興味を持てない清朝の科挙や宦官が登場する「導入部」に倦んでしまったのである。その私が本著を敢えて手にしたのは、満洲国建国に至る日中の確執、正確に言えば「眠れる獅子」中国に巣食い侵略を進めていった帝国日本の「暴走」に興味を抱いているからであった。この『天子蒙塵』は正に、紫禁城を追われた後、関東軍により満州帝国の皇帝に担ぎ上げられていくラスト・エンペラー・溥儀を「軸」に物語が展開していく。
『蒼穹の昴』の時とは異なり、読み始めて、あっという間に「浅田マジック」に絡め取られてしまった。張作霖の爆殺後、対日戦線の首領として期待されながら関東軍の策謀を見抜いて敢えてこれを静観し、その葛藤の余りアヘン中毒と化した張学良の欧州留学の船上から物語は始まり、溥儀の皇妃(第二夫人)であった文繍(ウエンシウ)の離婚訴訟に関する記者のインタビューにより溥儀の人物像を周縁から炙り出していく。そしてまさに『蒼穹の昴』の冒頭に少年として登場する梁文秀(リアンウエンシウ)、李春雲(リイチユンユン)を始め溥儀とその周辺に関わった様々な中国人、日本人の眼を通して多層的・多角的に物語を展開し、深掘りしていくという例の「浅田マジック」である。
実は本著を読む前に松本清張の長編『昭和史発掘』を再読したばかりだった。共産党弾圧から始まり、五・一五事件、二・二六事件へと至る軍部の独走と強権政治に向かっていく日本国内の昭和史と本著の中国近代史はまさにパラレルに連動している。『昭和史発掘』の重要な登場人物、永田鉄山と石原莞爾も、本著の中で「生身の人間」として描かれている。松本清張が、発掘した様々な史料を通して透かし彫りしていく客観的な彼らの姿としてではなく。これが(史料を駆使しながらも)歴史上の人物を想像の中で活写していく浅田・近代史小説の真骨頂といっても過言ではあるまい。
『この三つのもの』 ― 佐藤 春夫 著
松本清張が『昭和史発掘』の一章を割いて、芥川龍之介の自殺とともに、わざわざ谷崎潤一郎、佐藤春夫間の「妻君譲渡事件」に充てた(「潤一郎と春夫」)のは一体何故だろう。龍之介の「漠然とした不安」が、来るべき二・二六事件とその延長線上にある関東軍の暴発と大陸侵略を予感した作家の鋭い時代感覚を示唆する一方で、それは何か唐突な感を否めない。
谷崎と佐藤は師弟とも親友とも言うべき堅い紐帯で結ばれている。売れない三文詩人・作家の佐藤を推挙して世に送ったのは既に作家として名を為した谷崎であったし、全く正反対とも言える性格の二人は相互に尊敬し補完し合う関係にあった。その谷崎の最初の妻・千代を、鮎子という娘を含む両親族と本人の同意の下に佐藤に「譲渡」(谷崎と離婚の後、佐藤と再婚する)するという一見不可解な「事件」(と世間は捉えた)の顛末を記したのが本作品である。
無論、各当事者間には表出しえぬ感情の確執は存在した筈であるし、これを第三者として諸資料に基づき客観的に記載したものが、松本清張の「潤一郎と春夫」であるとしても、そこに不思議と本作品の引用が多い事実を鑑みるに、佐藤はかなり事実に忠実に本作品を著した、と少なくとも松本清張は判断していることが判る。
若き谷崎はお初という向島芸者に心惹かれていた。自由奔放で男勝りな初は谷崎の結婚申し入れに対し、年齢が上であることに加え結婚で縛られることを忌避してこれを断るが、それでも頑なな谷崎に自分の妹の千代との結婚を勧める。惚れた女への一念で、谷崎は同じ性格の姉妹と思い込み、碌に面識もない千代との結婚を受け入れてしまうのだが、結婚してみて千代が初とは全く正反対に、夫に盲従的で典型的な日本人妻である事に気づき即座に愛を失う。だがそうこうする内に、鮎子が生まれ、今度は初に性格の似た千代の妹・せい子(義妹として同居していた)との不倫関係に陥り、当初より谷崎の千代に対する加虐的な所業を目の当たりにし、千代への同情を寄せていた佐藤がこれを仲介する役回りを負わされる事になる。
谷崎は生涯一貫して初やせい子のような男性を手玉に取るほどの自我に目覚めた女性への憧憬を捨てられなかった。せい子をモデルにした『痴人の愛』を始め『卍』『蓼食う虫』といった性的倒錯や不倫を描いた作品は、こうした谷崎の異性衝動に支えられている。一方で、本作品の佐藤は、谷崎同様の自由奔放な女性との結婚を繰り返しながらもその自由恋愛観(相手の不倫)に苦悩し、潤一郎と千代の仲介をしながら実は千代のような逆境にめげぬ忍耐強さを持つ従順な伴侶を求めている自分に気付かされていく。谷崎は千代との離縁の手段として佐藤を利用しようと考えている。しかし、谷崎と佐藤の関係は単に相互に利己的なものではなく、ある意味では、谷崎は真摯に千代と佐藤の幸福を願い、佐藤も千代と谷崎の望ましき関係を模索し、嫉妬や愛憎の感情を超越しようとしている所にこの「静謐な三角関係」が生じる基盤がある。 詩人でもある佐藤春夫はこの作品のタイトルにハイネの詩を引く。
「まことの恋と友情と智恵の石と/この三つのものを世間では宝だと言いそやす。/私はずいぶんと捜すことはしたのだ。/が、ついぞ一つもお目にはかからぬ」
まさに佐藤なりに「恋」と「友情」と「智恵の石」を同時に真摯に追い求めた痛烈な経験の結晶した作品だといえよう。因みに佐藤の有名な「秋刀魚の歌」は谷崎の下にある千代と鮎子の面影を独り身ながら偲んで詠んだ詩である。
冒頭の問題提起に立ち返ってみよう。松本清張は『昭和史発掘』の核心を本章に続く二・二六事件に置いて陸軍内の統制派と皇道派の内部抗争が皇道派の暴走を生んでいく過程を丹念に追っていく。そこに描き出されていくのはお互いの主義主張を議論で戦わせることなく、怪文書で身内を扇動し仮想敵を作り上げた挙句、無言の暴力で仮想敵を抹殺しようとする暗黒のテロリズムの泥沼である。そしてその陸軍のエトスは二・二六事件以降も関東軍の暴走という形で日中戦争へ、そして太平洋戦争へと連鎖していく。もしも、そこに谷崎と春夫が何年にも亘って培ってきた「間隙を埋める努力」さえあったらなら、……という清張の思いを読み取ることは難しいだろうか。そして、それは今の時代にこそ、求められているものなのかもしれない。
(2021年7月25日)
『昭和史発掘』「京都大学の墓碑銘」「天皇機関説」― 松本 清張 著
この一編を読んで昨今起きている「日本学術会議」の任命拒否問題を思い起こさぬ読者はいないだろう。実は私が40年の間隙を経て『昭和史発掘』を再読している理由はここにある。そう、80年余の歳月を経て日本は再び「あの時代」をなぞっているのだ。松本清張の史観はその直観の鋭利さと史料の読み込みの先の深い想像力のなせる業にある。昭和40年代に何故、松本清張はこの長大な近現代史に情熱を傾けたのだろう。それは、松本清張がこの「暗黒の時代」の再来を予期していたからではないだろうか。彼の歴史的直観は、当時にして既に戦後の高度経済成長の先にある、日本の民主主義の荒廃と終焉を視野に捕らえていたからこそ、昭和以降を生きる私たちに「警鐘」としてこの作品を遺したに違いい。……と、私は考えている。
(2021年5月19日)
『渋沢栄一』 ― 鹿島 茂 著
未だ色褪せる事なき、マハトマ・ガンディーの教えの一つに「七つの社会的大罪」がある。
『警視庁草紙』 ― 山田 風太郎 著
私が推理小説、時代小説に手を染めぬのは偏に作為的な物語構成に何らリアリティを感じないからで、その意味では山田風太郎は予てより遠い存在だったのだが、朝日新聞夕刊に連載されていた『あと千回の晩飯』を読んで唯ものならぬ気骨とユーモアを感じていた。そんな私がふと手にした『戦中派虫けら日記』並びに『戦中派不戦日記』を読んで、不遇な家庭環境下、戦中の肉体的・精神的飢餓状態にもめげず苦学医学生として働きながら戦禍に翻弄される山田の青春を追体験するように惹き込まれた。それは、戦争を全く知らない私に本当の意味での戦争の悲惨さと愚かさを痛感させてくれた「戦争の生きた記録」であった(無論、山田は出版を前提として一部フィクション化していると指摘はされているが……)。
『ナニカアル』 ― 桐野 夏生 著
『族譜・李朝残影』 ― 梶山 季之 著
『水の中の八月』 ― 関川 夏央 著
『鯖』 ― 赤松 利市 著
赤松利市が新聞の人物紹介欄で取り上げらたのは半年ほど前のことである。偏屈さを思わせる深い皺の刻まれた貌に、鋭い眼光を隠すかのような色丸眼鏡の風貌の写真、人生の成功と破綻の様々の浮沈を経て家族も捨て住所不定となり、漫画喫茶で書き上げた初の小説が山本周五郎賞候補となったのが62歳。翌年大藪春彦賞を受賞して漸く定住の場所を得た、という記事を見て早速購入したのが、この『鯖』であった。
最後に、赤松は相当の釣り好きのようだ。釣り、魚好きの読者には垂涎ものの一冊である。
(2021年1月19日)
『祐介・字慰』 ― 尾崎 世界観 著
例えば、厳しい現実を突きつけてくるライブハウスの主人に祐介は無論暴力的な反発を抱くものの、説得力ある説示に半ば感化されその人柄に惹かれてさえいる様子が伺える。バンド仲間、数少ない観客、ピンサロ嬢の彼女といった登場人物との関係性の中で祐介は常にこのアンビヴァレントな感性の中を揺れ動き、それが祐介自身のユーモラスな魅力を引き立たせている。また、パッチワークのように細分された状況描写の連続から、祐介という人物像を立体的に描き出していく尾崎世界観の描写力、表現力にも唸らされる。
物語の終盤、祐介はある事件に巻き込まれ、満身創痍のまま半裸体で街を彷徨することになるのだが、その惨めな自身の姿を尾崎世界観はこう表現している。
「その姿は、子供のころに見た特撮ヒーローものの怪獣によく似ていた。主人公をギリギリのところまで追い詰めた挙句、結局は当たり前のようにあっさりとやられてしまう。いつもそんな怪獣の方に感情移入していた心優しい少年は、大人になった今、生まれて初めてブルマーを穿いて見知らぬビルの非常階段に立ち尽くしている。」
激しい暴力を受け半ば放心状態に陥りながら、この後、祐介は「幽体離脱」のような経験をすることになるのだが、これは他者と心理的な距離を取ることによってのみ自らの純粋性を保全しようとする若者の感性に強い共感を呼び起こすに違いない。
1月20日に決定する第164回芥川賞候補に、尾崎世界観の『面影』がノミネートされている。本著を読んで、その受賞を確信する者の一人ではあるが、芥川賞の如何を問わず、今後も独自の「世界観」をこの著者には追求してもらいたい、と節に願ってやまない。第二の辻仁成とならんことを。
『サガレン ― 樺太/サハリン 境界を旅する』― 梯 久美子 著
実は両親の故郷を青森に持つ私自身、幼少の頃上野発の寝台特急に乗って帰郷する朝方、浅虫温泉の近辺を通過しながら同じような幻惑に囚われた経験がある。これは多分、宮沢賢治の辿った旅を実際に擦ってみなければ発見し難い真実のひとつであろう。難解な賢治の詩を、目に見えない抽象的な暗喩あるいは象徴の集積と捉えるのではなく、賢治が現実に目にした風景より感得された「心象風景」として読み直すことで、新たな宮沢賢治論へ誘なおうというのが本著の主題と言っていいのかもしれない。因みに「サガレン」とはこの時、宮沢賢治の旅の目的地であった樺太・サハリンの当時の呼称である。愛する妹・とし子の死を受け入れ難い賢治は、とし子の死より8ヶ月後の大正12年7月から8月に掛けて樺太南部を彷徨しながら多くの詩を残した。
こうした主題を核とする第二部の前に「鉄道オタク」でもある著者は樺太南部から島の4分の3を北上縦断する鉄道旅の紀行文を第一部として記している。現ロシアとの間で幾度も国境線の変更のあったこの島の不幸な歴史を辿りながら、著者を乗せた寝台特急は北上していく。2017年冬(第二部の旅は2018年夏)、実際に経験した鉄道旅行での見聞、そして過去にこの極地を同様に旅した、林芙美子、北原白秋、そしてチェーホフらの遺した紀行文から、隠された歴史を綿密な調査によって掘り起こしていく見事な筆致は、まさにノンフィクション作家としての面目躍如といえよう。
旅はよく人生に喩えられる。人生もまた旅ならば、宮沢賢治という詩人の人生を辿るのも旅の一つの大きなテーマとなろう。紀行文という体裁をとりつつも詩人・作家たちの人生の内奥に肉薄する優れた評論でもある、というのが本著の拓いた新境地ではないだろうか。旅といえば、その土地に所縁の作家の一冊を携えて行く、そんな楽しみ方を教えてくれる一冊である。
『二ノ橋 柳亭』 ― 神吉 拓郎 著
何処とも何時とも知れぬある別荘地の湖畔の灌木に隠れた秘密の釣り場。そこでブラックバスとの駆け引きを楽しむ孤独な青年。戦争に行って帰らぬ叔父との釣りを巡る交歓の記憶。その叔父の悲恋の残り香。淡々と短い文章と会話で構成される短編の中に、隠されたドラマの断片が無駄なく散りばめられていく。そして「その時」が敗戦を迎えたあの暑い夏の一日であること、そして青年に刻まれた深い戦争の傷跡を余韻に残すかのように掌編は終わる。削ぎ落とした痩身の短編の中に無限に広がる想像のドラマを読者自身の心に呼び起こす、そんな珠玉の短編のいくつかが本著に収められている。
こうした無駄のない構成力は放送作家として出発した神吉の持ち味であるのかも知れない。その意味で、向田邦子や久世光彦の作品に通ずるものがある。そして彼らに共通するもう一つの要素は、東京の山手に育った洒脱さにある。麻布に生まれ旧制麻布中学から旧制成城高校へと進んだ神吉は向田や久世と同様に戦前の山手・中産階級の趣味や倫理観を内面化しており、それが作品のモチーフや主人公の美意識の中に活かされているといっていいだろう。
たとえば表題作の「ニノ橋 柳亭」は文字通り麻布十番・ニノ橋先の路地裏にある小さな割烹の話だ。食味評論家が雑誌で紹介したこの店を巡る謎が、そこに描かれる料理と共に読者の想像を掻き立てる。そう、この読者の想像力こそ神吉がこの短編に込めた最大のテーマであることを読み終えて始めて知ることになるのだ。そこには美食ブームに湧く巷間への皮肉と、本物を愛することの真髄が、神吉によって暗示されている。
神吉は俳句にも造詣が深かったらしい。短編小説に集約され研ぎ澄まされたエッセンスは、ジャコメッティの塑像のように俳句へと凝縮していったに違いない。諧謔と想像力を掻き立てる神吉の作品は「水枕 ガバリと寒い 海がある」で有名な西東三鬼の俳句を思わせるものがある。戦争の惨劇を、傷を負いつつさらりと躱してしまう深みと哀しさは、飽くまでも作品の余韻の中に隠されている。
神吉拓郎の隠れたファンは少なくないようだ。その一人、大竹聡編による『神吉拓郎傑作選1・2』も神吉の広い裾野を知る上では好著かもしれない。
『ヒキコモリ漂流記』 ― 山田ルイ53世 著
たとえひきこもりを体験したことがない読者でも、山田の壮絶な人生経験のいくつかに近似した経験を自ら顧みて「自分ももしかすれば、あの時……」と感ずるであろうし、ましてやひきこもり体験者は深い共感を呼び起こされることだろう。かくして山田に自己投影して追体験するように本著に惹き込まれていくに違いない。そして読後に残るものは、果たして「山田のように踏み外さずによかった……」であるのか「山田のように自分も立ち直れるだろうか……」であるのか。
山田は最後に、ひきこもり体験についての現在の感想を尋ねるインタビュアーたちが一律に「そのような6年間があって、今の山田さんがあるのですね」という言葉を投げかけてくることへの反感を記し、あの6年間はその後の自分の人生にとって全く意味の無い時間だった、と切り捨てる。ただ、人生にはそんな無駄な時間があってもいいのでは、とも。ひきこもりの辛い体験をしようがしまいが、結局人生なんて人それぞれ相対的なものだから、自ら軌道修正し、あるいは総括するしかない、という諦念から生まれた考え方かもしれない。
現在、NHKが「ひきこもりキャンペーン」で様々なドキュメンタリーやドラマを放映してこれらを観る機会が多いが、ひきこもりにも個別の事情に応じた様々な位相が存在し、これを一括りで語ることの難しさを教えてくれる。山田が最後に語りかけたかったのもその一点なのかもしれない。ただ、総じてこうした番組を観て感じるのは、ひきこもりの当事者たちが共通して皆ないい笑顔を持っている、ということだ。果たしてひきこもりを体験したことのない(今まで無難にその危機を回避してきた)私たち自身が、彼らに負けない笑顔を持っているだろうか。本著がひきこもりを「我がこと」として考えるための一助になることを望みたい。
『パリ・ロンドン放浪記』 ― ジョージ・オーウェル 著
帝国主義を嫌悪しつつもその体現者たる職業に在る矛盾に始まり、退任後の放浪生活での最下層の人々との交流、スペイン内戦への参画、といった極限に身を置くことで得られた実体験は、世の中の矛盾に瞠目する観察者としての眼を育てた。そう、つまり彼は優れたルポライターであったのだ。彼の遺した社会評論(それは書評、文化評論から政治批判まで広範に亘る)は「平凡社ライブラリー」に4冊の「オーウェル評論集」で抄訳されているが、川端康雄の評伝で引用されているそれらの断章は実に魅力に満ちたものだ(例えば「象を撃つ」や「絞首刑」といったビルマ時代の経験をベースにしたエッセイ)。そこには支配するものとされる者との間の微妙なこころの機微の交歓、犯罪者や下層民の醸し出す人間性のディテールが見事に筆写されている。
とりあえず岩波文庫から出ている『パリ・ロンドン放浪記』を紐解いてみることにしよう。これはオーウェルが4年半勤めたインド警察を退職後、作家修行を兼ねて24歳から3年近く放浪したロンドン、パリの貧民街での貧窮体験をもとに書かれた作品である。パリではレストランの皿洗いをしながら極貧生活を続けて、最下層に生きる人々の苦境に負けぬ知恵と生命力をユーモラスに描きだし、ロンドンでは貧民救済施設を転々とする放浪者たちと一緒に生活しながら、彼らの生態と秘められた人生の裏側を浮き彫りにしていく。(私自身も学生の一時期経験したことだが)残り一週間を一千円で生活しなければならない、といった極限に身を置いた経験のある者には、何処か哀しくも懐かしい体温の宿った作品である。
ロンドンの貧民街にいたボゾという大道絵師の話が印象的である。ペンキ屋をしていた彼は恋人の死で酒浸りとなった挙句、足場から落ちて障がい者となり大道に絵を描いて僅かな投げ銭を得ている。彼は教養もあって自分の貧しい境遇を決して恥じてはいない。ボゾは言う。金があってもなくても同じ生活ができる。本を読んで頭を使っていれば同じことだ。ただ、こういう(貧乏な)生活をしているからこそ自由なんだ、と自分に言い聞かせる必要はあるがね、と。様々な人生を抱えて「転落」した最下層の人の中にもこうした「哲学」が育まれるのだ、ということにオーウェルはこころ打たれる。
例えば、ピカソのようなアブストラクト絵画を描く画家でさえ、その具象デッサンは精緻で見事である。いわばこうした細部に目を凝らし描く力があってこそ初めて抽象絵画が生まれ得るのだ。『動物農場』『一九八四年』の寓話を描き得たオーウェルもまた、社会の諸相を具体的に描き尽くした筆力こそがその基礎にあるといっていいだろう。社会派小説家を目指していた開高健が、自伝的小説『青い月曜日』の中で、オーウェルを高く評価しているのは、決して奇遇ではない。まさに、開高もオーウェルを目指していた一時期があったはずだ。私にはオーウェルが「絞首刑」で描いた死刑犯罪人と、開高が「ベトナム戦記」で描いた公開処刑されるベトコン少年とが重なって仕方がない。
コロナ禍の今、私たちが漠然と抱いている全体主義再来の不安の中で『一九八四年』が多く読まれているということだが、その具象素材としてのオーウェルのルポルタージュにも是非目を向けてもらいたい。
『類』 ― 朝井 まかて 著
鷗外には最初の妻・登志子との間に長男・於兎、再婚した妻・志げとの間に長女・茉莉、次女・杏奴(次男・不律は早世)、三男・類の子らがあった。類は鷗外49歳の時の子、異母兄・於兎とは21歳の年齢差があり、また登志子との確執もあった事から、晩年の鷗外は類を溺愛した。類にとって鷗荘はそんな父との数少ない貴重な記臆の場所だったのだ。
文豪の末子として生を享けた類は、父親の篤い庇護と(遺された著作権収入を含めた)財産に護られ何の苦労もない、生活力の全くといっていい程無い凡才として育つ。未亡人志げはそんな類の才能を何とか引き出そうと最大限に努力するのだが、類には天賦の画才も文才もましてや商才も無い。常に文豪の息子という世間の色眼鏡に晒されながら、時にその無才ぶりを愚弄されつつも、鷗外に恩を受けた多くの人々が類に手を差し伸べるのだが、その才能が芽を開くことはない。
親子・親族の確執と悲哀をテーマに描く朝井まかてが森類を題材にした小説を書いたのもムベなるかなと思わせる。実は4年前、鷗荘の近くに書庫兼書斎を得てその存在を知ってより、山崎國紀『鷗外の三男坊ーー森類の生涯』を紐解き、更に唯一と言っていい森類の著書『鷗外の子供たちーーあとに残されたものの記録』を読んで、私自身、森類に魅了された者の一人なのであった。森類の記す文章の素直さ。人を疑うことも、他人と競うことも自らを取繕うことも知らぬ衒いのない実直な森類の文章は読む者の心を打つ。そしてそれが時に仇となって、その後作家となった二人の姉、茉莉や杏奴との確執を生むことになるのだが……。朝井まかては、そんな森類の人間的な魅力と姉弟間の確執を見事に描いていく。私を含めて多くの人々は、例え鷗外のような偉大な親ではなくとも「親とは乗り越えられないものだ」という意識を少なからず抱いていることだろう。そんな親に対する諦念と敬愛の入り混じった複雑な心理を、姉弟の鷗外、志げへの尽きせぬ思慕を軸に、恰もそれを競うかのような姉弟の愛憎ドラマがなぞっていく。
偉大なる父親を負った波乱万丈の生涯を送る内に遺産の大半を失った森類が、唯一遺された財産である、この潮騒の届く日在の鷗荘の土地に終の住処として白堊の洋館を建てたのはその死の僅か2年前であった。鷗外の『妄想』に投影された鷗外自身の自己追求の厳しい老境の姿とは正反対に、父の愛情の追憶に満たされ、祝福された幸福な晩年だったに違いない。