唐変木の書棚より2

『祐介・字慰』 ― 尾崎 世界観 著

 私は「クリープハイプ」というロックバンドもそのボーカル&ギターの尾崎世界観も全く知らなかった。毎週金曜夜9時過ぎにNHKラジオでやっている高橋源一郎の「飛ぶ教室」に尾崎世界観がゲスト出演していて、高橋源一郎が絶賛しているのをたまたま聴いてこの本を手に取ったに過ぎない。
 主人公の祐介(尾崎の本名)は売れないミュージシャン。スーパーでバイトをしながらチケット責任販売縛りのある小さなライブハウスでバンドを組んで半ば持ち出しで演奏活動を続けている。いつかスポットライトを浴びる日を夢見ながらも進展のない耐乏生活に鬱屈する毎日。怒りですぐキレては小さな暴力事件を起こし、あるいは巻きこまれ、数少ないファンの女性とは心通わぬセックスを繰り返す。……と書いてみるとただの屈折した青春物語のようなのだが、実はそんな汚れた日常を常に客観的に見つめている「もうひとりの祐介」がいる。彼はその実、とても純粋、無垢で心優しく豊かな感受性を秘めている。現実の彼が堕落した現実に身を委ねれば委ねるほど、それと距離を保った彼の純粋な感性が際立っていくのだ。私はこの物語を読みながら、中原中也の「汚れちまった悲しさに……」の詩を思い起こしていた。
 例えば、厳しい現実を突きつけてくるライブハウスの主人に祐介は無論暴力的な反発を抱くものの、説得力ある説示に半ば感化されその人柄に惹かれてさえいる様子が伺える。バンド仲間、数少ない観客、ピンサロ嬢の彼女といった登場人物との関係性の中で祐介は常にこのアンビヴァレントな感性の中を揺れ動き、それが祐介自身のユーモラスな魅力を引き立たせている。また、パッチワークのように細分された状況描写の連続から、祐介という人物像を立体的に描き出していく尾崎世界観の描写力、表現力にも唸らされる。
 物語の終盤、祐介はある事件に巻き込まれ、満身創痍のまま半裸体で街を彷徨することになるのだが、その惨めな自身の姿を尾崎世界観はこう表現している。
「その姿は、子供のころに見た特撮ヒーローものの怪獣によく似ていた。主人公をギリギリのところまで追い詰めた挙句、結局は当たり前のようにあっさりとやられてしまう。いつもそんな怪獣の方に感情移入していた心優しい少年は、大人になった今、生まれて初めてブルマーを穿いて見知らぬビルの非常階段に立ち尽くしている。」
 激しい暴力を受け半ば放心状態に陥りながら、この後、祐介は「幽体離脱」のような経験をすることになるのだが、これは他者と心理的な距離を取ることによってのみ自らの純粋性を保全しようとする若者の感性に強い共感を呼び起こすに違いない。
 1月20日に決定する第164回芥川賞候補に、尾崎世界観の『面影』がノミネートされている。本著を読んで、その受賞を確信する者の一人ではあるが、芥川賞の如何を問わず、今後も独自の「世界観」をこの著者には追求してもらいたい、と節に願ってやまない。第二の辻仁成とならんことを。
                      (2021年1月14日)

『サガレン ― 樺太/サハリン 境界を旅する』― 梯 久美子 著

 かつて、旧住居跡にあったブリュッセルの「ルネ・マグリット美術館」(現在は別の場所に移転)を訪ねて驚かされたことがある。彼の超現実主義的絵画のモチーフを構成するオブジェの殆どがこの家の中に存在している、ということである。マグリットは妻が日々調理するキッチンにキャンバスを据えて作品を描いた、と言われている。超現実的着想の導火線は日常目にする身近な具象の中に存在している、ということを思い知らされたのだ。
 宮沢賢治の詩集『春と修羅』に収められている「青森挽歌」は、前年に亡くなった妹・とし子の死を偲んで花巻から北方へと旅立った賢治がその旅路で綴った詩であるが、その冒頭近くに「わたくしの汽車は北へ走っているはずなのに/ここではみなみへかけている」という一節がある。東北本線を北上しながら生起したふと自らが南下しているのでは、という錯覚を多くの評者は、とし子への喪失感を方向感覚の喪失として表象したものと考えている。しかし、著者は北上する東北本線が青森・夏泊半島の小湊駅を過ぎて浅虫温泉を通過する辺りの区間で「現実に」南下していることに着目するのだ。事実「青森挽歌」に描かれる情景描写はこの近辺の風景に近似している。
 実は両親の故郷を青森に持つ私自身、幼少の頃上野発の寝台特急に乗って帰郷する朝方、浅虫温泉の近辺を通過しながら同じような幻惑に囚われた経験がある。これは多分、宮沢賢治の辿った旅を実際に擦ってみなければ発見し難い真実のひとつであろう。難解な賢治の詩を、目に見えない抽象的な暗喩あるいは象徴の集積と捉えるのではなく、賢治が現実に目にした風景より感得された「心象風景」として読み直すことで、新たな宮沢賢治論へ誘なおうというのが本著の主題と言っていいのかもしれない。因みに「サガレン」とはこの時、宮沢賢治の旅の目的地であった樺太・サハリンの当時の呼称である。愛する妹・とし子の死を受け入れ難い賢治は、とし子の死より8ヶ月後の大正12年7月から8月に掛けて樺太南部を彷徨しながら多くの詩を残した。
 こうした主題を核とする第二部の前に「鉄道オタク」でもある著者は樺太南部から島の4分の3を北上縦断する鉄道旅の紀行文を第一部として記している。現ロシアとの間で幾度も国境線の変更のあったこの島の不幸な歴史を辿りながら、著者を乗せた寝台特急は北上していく。2017年冬(第二部の旅は2018年夏)、実際に経験した鉄道旅行での見聞、そして過去にこの極地を同様に旅した、林芙美子、北原白秋、そしてチェーホフらの遺した紀行文から、隠された歴史を綿密な調査によって掘り起こしていく見事な筆致は、まさにノンフィクション作家としての面目躍如といえよう。
 旅はよく人生に喩えられる。人生もまた旅ならば、宮沢賢治という詩人の人生を辿るのも旅の一つの大きなテーマとなろう。紀行文という体裁をとりつつも詩人・作家たちの人生の内奥に肉薄する優れた評論でもある、というのが本著の拓いた新境地ではないだろうか。旅といえば、その土地に所縁の作家の一冊を携えて行く、そんな楽しみ方を教えてくれる一冊である。
                     (2021年1月5日)

『二ノ橋 柳亭』 ― 神吉 拓郎 著

 冒頭の一編「ブラックバス」を読んだだけで、この作家が「短編の名手」であることを確信した。神吉(かんき)拓郎という作家と今まで巡り会わなかったことを悔やみさえした。神吉の珠玉の短編集として編まれた文庫版『ニノ橋 柳亭』を新聞書評の片隅に見つけなければ彼との邂逅は生涯なかっただろう。それ程に、既に1994年に65歳で鬼籍に入った作家の知名度は高くないかもしれない。81年「ブラックバス」「ニノ橋 柳亭」で直木賞候補、83年作品集『私生活』で直木賞を受賞したにも拘らず、である。
 何処とも何時とも知れぬある別荘地の湖畔の灌木に隠れた秘密の釣り場。そこでブラックバスとの駆け引きを楽しむ孤独な青年。戦争に行って帰らぬ叔父との釣りを巡る交歓の記憶。その叔父の悲恋の残り香。淡々と短い文章と会話で構成される短編の中に、隠されたドラマの断片が無駄なく散りばめられていく。そして「その時」が敗戦を迎えたあの暑い夏の一日であること、そして青年に刻まれた深い戦争の傷跡を余韻に残すかのように掌編は終わる。削ぎ落とした痩身の短編の中に無限に広がる想像のドラマを読者自身の心に呼び起こす、そんな珠玉の短編のいくつかが本著に収められている。
 こうした無駄のない構成力は放送作家として出発した神吉の持ち味であるのかも知れない。その意味で、向田邦子や久世光彦の作品に通ずるものがある。そして彼らに共通するもう一つの要素は、東京の山手に育った洒脱さにある。麻布に生まれ旧制麻布中学から旧制成城高校へと進んだ神吉は向田や久世と同様に戦前の山手・中産階級の趣味や倫理観を内面化しており、それが作品のモチーフや主人公の美意識の中に活かされているといっていいだろう。
 たとえば表題作の「ニノ橋 柳亭」は文字通り麻布十番・ニノ橋先の路地裏にある小さな割烹の話だ。食味評論家が雑誌で紹介したこの店を巡る謎が、そこに描かれる料理と共に読者の想像を掻き立てる。そう、この読者の想像力こそ神吉がこの短編に込めた最大のテーマであることを読み終えて始めて知ることになるのだ。そこには美食ブームに湧く巷間への皮肉と、本物を愛することの真髄が、神吉によって暗示されている。
 神吉は俳句にも造詣が深かったらしい。短編小説に集約され研ぎ澄まされたエッセンスは、ジャコメッティの塑像のように俳句へと凝縮していったに違いない。諧謔と想像力を掻き立てる神吉の作品は「水枕 ガバリと寒い 海がある」で有名な西東三鬼の俳句を思わせるものがある。戦争の惨劇を、傷を負いつつさらりと躱してしまう深みと哀しさは、飽くまでも作品の余韻の中に隠されている。
 神吉拓郎の隠れたファンは少なくないようだ。その一人、大竹聡編による『神吉拓郎傑作選1・2』も神吉の広い裾野を知る上では好著かもしれない。
                        (2020年12月18日)

『ヒキコモリ漂流記』 ― 山田ルイ53世 著

 芸人の書いたライトノベルズなどと思ったら大間違いだ。これは山田自身が経験した壮絶な「ひきこもり体験記」である。神童と呼ばれた少年期を経て、地元兵庫の中高一貫有名進学校に進んだ後、中学2年生から20歳に至る6年間のひきこもりを経験する。中卒から一念発起し大検合格、国立大に入学するも中退、という波乱万丈の半生。高卒の公務員の父親、男三人兄弟の真ん中、非行に走った兄、大人の顔色を伺いながら「神童」を自演する小賢しい子供、見栄で進学した有名校、金持ちの集まるスノッブな校風への違和感、几帳面過ぎる性格、父親の浮気と家庭不和……ひきこもりの遠因は様々準備されていたと考えられるが、直接的な引き金は、案外単純なものであるところが実に可笑しい(著者の筆力の魅力をここで満喫して欲しい)。
 たとえひきこもりを体験したことがない読者でも、山田の壮絶な人生経験のいくつかに近似した経験を自ら顧みて「自分ももしかすれば、あの時……」と感ずるであろうし、ましてやひきこもり体験者は深い共感を呼び起こされることだろう。かくして山田に自己投影して追体験するように本著に惹き込まれていくに違いない。そして読後に残るものは、果たして「山田のように踏み外さずによかった……」であるのか「山田のように自分も立ち直れるだろうか……」であるのか。
 山田は最後に、ひきこもり体験についての現在の感想を尋ねるインタビュアーたちが一律に「そのような6年間があって、今の山田さんがあるのですね」という言葉を投げかけてくることへの反感を記し、あの6年間はその後の自分の人生にとって全く意味の無い時間だった、と切り捨てる。ただ、人生にはそんな無駄な時間があってもいいのでは、とも。ひきこもりの辛い体験をしようがしまいが、結局人生なんて人それぞれ相対的なものだから、自ら軌道修正し、あるいは総括するしかない、という諦念から生まれた考え方かもしれない。
 現在、NHKが「ひきこもりキャンペーン」で様々なドキュメンタリーやドラマを放映してこれらを観る機会が多いが、ひきこもりにも個別の事情に応じた様々な位相が存在し、これを一括りで語ることの難しさを教えてくれる。山田が最後に語りかけたかったのもその一点なのかもしれない。ただ、総じてこうした番組を観て感じるのは、ひきこもりの当事者たちが共通して皆ないい笑顔を持っている、ということだ。果たしてひきこもりを体験したことのない(今まで無難にその危機を回避してきた)私たち自身が、彼らに負けない笑顔を持っているだろうか。本著がひきこもりを「我がこと」として考えるための一助になることを望みたい。
                          (2020年12月2日)

『パリ・ロンドン放浪記』 ― ジョージ・オーウェル 著

 多くの読者はジョージ・オーウェルのことを『動物農場』や『一九八四年』で全体主義のディストピアを描いた空想作家だと思っているかもしれない(私自身もそうだった)。しかしそんな見方を一変させてくれたのが(本グループでも既に紹介済みだが)川端康雄『ジョージ・オーウェルーー「人間らしさ」への讃歌』という優れた評伝だった。中流上層階級に育ち、パブリック・スクールのイートン校を卒業しながらも、多くの仲間たちがケンブリッジ、オックスフォードに進学するのを横目に見て、自ら志願し父と同じ植民地経営の一翼を担う官吏(インド警察の警官)として19歳でビルマに赴任するところから「マージナル・マン」としてのオーウェルの生涯が始まる。
 帝国主義を嫌悪しつつもその体現者たる職業に在る矛盾に始まり、退任後の放浪生活での最下層の人々との交流、スペイン内戦への参画、といった極限に身を置くことで得られた実体験は、世の中の矛盾に瞠目する観察者としての眼を育てた。そう、つまり彼は優れたルポライターであったのだ。彼の遺した社会評論(それは書評、文化評論から政治批判まで広範に亘る)は「平凡社ライブラリー」に4冊の「オーウェル評論集」で抄訳されているが、川端康雄の評伝で引用されているそれらの断章は実に魅力に満ちたものだ(例えば「象を撃つ」や「絞首刑」といったビルマ時代の経験をベースにしたエッセイ)。そこには支配するものとされる者との間の微妙なこころの機微の交歓、犯罪者や下層民の醸し出す人間性のディテールが見事に筆写されている。
 とりあえず岩波文庫から出ている『パリ・ロンドン放浪記』を紐解いてみることにしよう。これはオーウェルが4年半勤めたインド警察を退職後、作家修行を兼ねて24歳から3年近く放浪したロンドン、パリの貧民街での貧窮体験をもとに書かれた作品である。パリではレストランの皿洗いをしながら極貧生活を続けて、最下層に生きる人々の苦境に負けぬ知恵と生命力をユーモラスに描きだし、ロンドンでは貧民救済施設を転々とする放浪者たちと一緒に生活しながら、彼らの生態と秘められた人生の裏側を浮き彫りにしていく。(私自身も学生の一時期経験したことだが)残り一週間を一千円で生活しなければならない、といった極限に身を置いた経験のある者には、何処か哀しくも懐かしい体温の宿った作品である。
 ロンドンの貧民街にいたボゾという大道絵師の話が印象的である。ペンキ屋をしていた彼は恋人の死で酒浸りとなった挙句、足場から落ちて障がい者となり大道に絵を描いて僅かな投げ銭を得ている。彼は教養もあって自分の貧しい境遇を決して恥じてはいない。ボゾは言う。金があってもなくても同じ生活ができる。本を読んで頭を使っていれば同じことだ。ただ、こういう(貧乏な)生活をしているからこそ自由なんだ、と自分に言い聞かせる必要はあるがね、と。様々な人生を抱えて「転落」した最下層の人の中にもこうした「哲学」が育まれるのだ、ということにオーウェルはこころ打たれる。
 例えば、ピカソのようなアブストラクト絵画を描く画家でさえ、その具象デッサンは精緻で見事である。いわばこうした細部に目を凝らし描く力があってこそ初めて抽象絵画が生まれ得るのだ。『動物農場』『一九八四年』の寓話を描き得たオーウェルもまた、社会の諸相を具体的に描き尽くした筆力こそがその基礎にあるといっていいだろう。社会派小説家を目指していた開高健が、自伝的小説『青い月曜日』の中で、オーウェルを高く評価しているのは、決して奇遇ではない。まさに、開高もオーウェルを目指していた一時期があったはずだ。私にはオーウェルが「絞首刑」で描いた死刑犯罪人と、開高が「ベトナム戦記」で描いた公開処刑されるベトコン少年とが重なって仕方がない。
 コロナ禍の今、私たちが漠然と抱いている全体主義再来の不安の中で『一九八四年』が多く読まれているということだが、その具象素材としてのオーウェルのルポルタージュにも是非目を向けてもらいたい。
                        (2020年11月20日)

『類』 ― 朝井 まかて 著

 森鷗外、49歳の時に書かれた『妄想』は、その4年前に千葉県夷隅郡大原町日在(ひあり)に買い求めた別荘「鷗荘」(おうそう)が舞台になっている。白髪の老人に自らを仮託した鷗外が、ドイツ留学時代の哲学的遍歴の果てに陸軍軍医総監という世俗的成功の仮面と実存との齟齬に揺れた自らの半生を、外房の海岸を臨む小屋で「回想」するというフィクションだが、60歳で生涯を閉じるその晩年近く、鷗外は子供達を連れてこの鷗荘に屢々遊んだ。幾度かの建て替えを経て、鷗荘の跡地には現在二階建ての白堊の瀟酒な洋館が建っているが、この地で平成3年にひっそりと80歳の生涯を閉じたのが、鷗外の三男坊、森類である。
 鷗外には最初の妻・登志子との間に長男・於兎、再婚した妻・志げとの間に長女・茉莉、次女・杏奴(次男・不律は早世)、三男・類の子らがあった。類は鷗外49歳の時の子、異母兄・於兎とは21歳の年齢差があり、また登志子との確執もあった事から、晩年の鷗外は類を溺愛した。類にとって鷗荘はそんな父との数少ない貴重な記臆の場所だったのだ。
 文豪の末子として生を享けた類は、父親の篤い庇護と(遺された著作権収入を含めた)財産に護られ何の苦労もない、生活力の全くといっていい程無い凡才として育つ。未亡人志げはそんな類の才能を何とか引き出そうと最大限に努力するのだが、類には天賦の画才も文才もましてや商才も無い。常に文豪の息子という世間の色眼鏡に晒されながら、時にその無才ぶりを愚弄されつつも、鷗外に恩を受けた多くの人々が類に手を差し伸べるのだが、その才能が芽を開くことはない。
 親子・親族の確執と悲哀をテーマに描く朝井まかてが森類を題材にした小説を書いたのもムベなるかなと思わせる。実は4年前、鷗荘の近くに書庫兼書斎を得てその存在を知ってより、山崎國紀『鷗外の三男坊ーー森類の生涯』を紐解き、更に唯一と言っていい森類の著書『鷗外の子供たちーーあとに残されたものの記録』を読んで、私自身、森類に魅了された者の一人なのであった。森類の記す文章の素直さ。人を疑うことも、他人と競うことも自らを取繕うことも知らぬ衒いのない実直な森類の文章は読む者の心を打つ。そしてそれが時に仇となって、その後作家となった二人の姉、茉莉や杏奴との確執を生むことになるのだが……。朝井まかては、そんな森類の人間的な魅力と姉弟間の確執を見事に描いていく。私を含めて多くの人々は、例え鷗外のような偉大な親ではなくとも「親とは乗り越えられないものだ」という意識を少なからず抱いていることだろう。そんな親に対する諦念と敬愛の入り混じった複雑な心理を、姉弟の鷗外、志げへの尽きせぬ思慕を軸に、恰もそれを競うかのような姉弟の愛憎ドラマがなぞっていく。
 偉大なる父親を負った波乱万丈の生涯を送る内に遺産の大半を失った森類が、唯一遺された財産である、この潮騒の届く日在の鷗荘の土地に終の住処として白堊の洋館を建てたのはその死の僅か2年前であった。鷗外の『妄想』に投影された鷗外自身の自己追求の厳しい老境の姿とは正反対に、父の愛情の追憶に満たされ、祝福された幸福な晩年だったに違いない。
                         (2020年10月30日)
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