心の琴線に触れる風景というのは、或いはその人の心象風景なのかもしれない。人の心の中にも曠野がある。ジェラールの父親の出身地であり、ジェラール本人が自らの骨を埋めた、ランスの衛星村ブザンヌから村の外縁を眺めた、冬の風景。綺麗に刈り取られた牧草地の真ん中に小さな灌木の何本かが肩を寄せ合って立っている。ジェラールはこの風景を眺めながら、曠野の彼方に世界を、そして極東のこの国を夢見ていたのだろうか。
アントニ・ガウディは優れた自然科学者だった。その奇抜なデザインは精緻な自然観察眼に支えられ、さまざまな生物の形を範としている。サグラダ・ファミリアの聖堂の内部を覆う柱は樹木をモチーフにしていると言われるが、私にはセロリの茎に見えて仕方がない。天井を支える力学的配慮から枝分かれする、その部分に節のようなものがあるからだろうか。丸窓から天の光が降り注ぐこの巨大なセロリの茎を見上げているうちに、自分がセロリ畑を走り回る微細な蟻になった幻惑に囚われてくる。ガウディのデザインには、自然との対峙の中で不易流行を悟った芭蕉に通ずるものがあるのかもしれない。