横濱スケッチ4

クリフサイド

 10歳も上の世代にもなると、東京から第一京浜で車を飛ばして横濱に遊びに来た、という話を聞くことがある。行先は本牧のゴールデンカップスだったり、元町のクリフサイドだったり。だいたい青春の思い出で目がきらきらと輝き出す。それより上の世代だと、ひそひそ話で、本牧辺りの「ちゃぶ屋」ということになる。
 このダンスホール、一時は相当な賑わいだったらしい。戦後のソシアルダンスがブームだった頃だ。元町から代官坂を昇っていくと、その坂の途中に唐突にエスニックな建物が出没する。昭和21年の開業であるという。
 残念ながらダンスを嗜まないので中に入ったことはないが、往年の輝きはその贅沢な造りの外観からも偲ばれる。
 元町商店街では毎年10月末にハロウィンを開催している。この時、元町の商店主の方々がクリフサイドで仮装パーティーを開く。元町の霧笛楼はもともと鈴音というブロイラーの卸売を家業としているが、そこの社長さんがこの日になるとニワトリの着ぐるみでこの仮装パーティーに参加される。その写真を見て大笑いしたことがある。広々としたダンスホールにニワトリと魔女と野獣が楽しそうに並んでお酒を飲んでいたのだ。実に愉快な人々である。

根岸競馬場一等観覧席

 競馬場というと特別な思いに囚われる。実は子供の頃遊び場にしていた横濱の片田舎の広大な空き地が、競馬場跡だったのである。高校の裏手に赤土のトラック跡がただ円形を描いて残っているだけだった。冬になれば水溜りに氷が張り、霜柱で靴は泥だらけになった。
 だから競馬場跡というのはやはり廃墟のイメージに繋がっている。この根岸競馬場跡も典型的な廃墟だ。
 1930(昭和5)年の竣工。ホテル・ニューグランドなどの設計で知られるJ.H.モーガンの設計である。競馬場自体は1865(慶応元)年に作られ、日本初の競馬場である。馬場跡は根岸森林公園となっており、公園を挟んで向こう側にはJRAの「馬の博物館」がある。
 日本の競馬は嗜まないが、NYでもデュッセルドルフでもよく晴れた春の週末には近くの競馬場に足を運んだ。日本のようにギトギトしておらず、客も半ばハイキング気分、日光浴を楽しみながらのんびりと仲間と歓談している。この根岸競馬場の観覧席にもそんな社交場としての雰囲気が佇んでいる。
 山手側から競馬場に向かう通りが山元町商店街。競馬場に向かう客を相手に栄えた商店街である。競馬場がなくなって久しいが、この商店街には未だに味わい深い老舗が軒を連ねている。

横濱地方気象台

 元町に台風がやってくると、夜中、布団に包りながら思い起こしていたのは、丘の上に聳える地方気象台の雄姿だった。海風に抗いながら、屋上に供えられた風向計が千切れんばかりに回転している。そんな心象風景の中に、1927(昭和2)年竣工のこの建物はぴったりと嵌る。
 派手な装飾ではないが、壁面の凹凸などさりげないアール・デコ様式が気に入っている。現在、平日に公開されているので中にも入ってみたが、美しく塗られた白壁の天井が優雅なアーチを描き、そこに黒光りする木の階段が昇っていく空間設計は実に見事だ。
 更に、2009(平成21)年には、この旧館の左翼に安藤忠雄設計の新館が建設され、新旧建築のハーモニーが生まれた。
 既に気象庁は止めてしまったが、ソメイヨシノの開花予想に使われた横濱の標準木を知っている。気象台よりほど近く、元町公園に咲き乱れる桜の一本であるが、いずれが標準木なのかは極秘なのだそうだ。この気象台から気象予報官が元町公園まで出向いて、その桜の蕾の重さを量ったりするのを想像するのも、春を迎える身としては、また楽しい。

 旧くは「彼我(ひが)公園」と呼ばれていた。これは外国人と日本人が共同で使用することができたためである。つまり異文化の交流の場であった。開港直後は港崎(みよざき)遊郭があった場所。山手に家族の待つ温かい家庭を持ちながら、やはり男は外に出ると職場の手近なところで一杯引っ掛けて遊興に走りたいものと、古今東西を問わず相場が決まっていたものと見える。ここに有名な岩亀楼(がんきろう)があって、喜遊なる「羅紗緬(らしゃめん)」(酷い差別用語ではある)が「露をだに  いとふ倭の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ」と辞世を残して自刃したという伝説ができた。
 1867(慶応3)年、豚屋家事で遊郭が焼失してしまうと、流石に外国人居留地の一等地のこと、遊郭は移転することになり、1875(明治8)年には、鉄橋や灯台の設計で有名なイギリスのお雇い外国人ブラントンの設計により西洋式公園となった。
 彼我公園の名にし負う、スポーツの異文化交流が数多く行われた。1896(明治29)年には初めての野球の国際試合が開催される。戦後の接収を経て、1952(昭和27)年、公園内球場は「平和球場」として再スタート。1978(昭和53)年に新築の横濱スタジアムが完成し、川崎から大洋ホエールズがホームを横濱に移すことになる。
 いまや数少なくなってしまった屋外球場であり、老朽化と狭さから移転・ドーム化の噂も度々出たものの、初夏の夕暮れ、濱風を感じながらビール片手の野球観戦は何ものにも代えがたい。ふと試合を忘れて夕暮れの美しさに見とれるのも、屋外球場ならではのこと。
 残念ながら1998年の優勝時には日本に不在だったが、あの時の伝説は今でもファンを酔わせる。いつか、再び、を願いたい。
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