ジェラール研究を始めたのは2003年。OB主宰の関東遺跡文化研究会の会報に掲載して頂いた。現在では既に古くなってしまった内容もあるが、その思い入れは今も冷めやらぬ。
☛「アルフレッド・ジェラールの『夢のあと』」
◆ 飛鳥田一雄の「素人談義・三人ジェラール」で浮き彫りになった「謎のひと、ジェラール」。やがてある調査から、ジェラールの生没記録が判明することになる。最初に書いたジェラール研究論文。
☛「もうひとつの『遺跡』―横濱外国人居留地『地番』の研究」
◆ 「夢のあと」の続編。飛鳥田も気付かなかった、ジェラール商会のあったバンド169番が188番に変更となった謎にせまる。
☛「ランス探訪―アルフレッド・ジェラールの足跡を追って」
◆ ある日思い立って、赴任地のデュッセルドルフからランスへとジェラールの足跡を追うたびに出る。「ジェラールの足跡」を生むきっかけとなった収穫の多い旅の紀行文。
◆ ある日思い立って、赴任地のデュッセルドルフからランスへとジェラールの足跡を追うたびに出る。「ジェラールの足跡」を生むきっかけとなった収穫の多い旅の紀行文。
ジェラールの墓地があるランスの衛星、ブザンヌ村には、アルフレッド・ジェラール通りがある。通りからは、ランスの街が広大な畑の遥か彼方に眺められ、羊毛とシャンパンで世界と繋がっていた国際都市ランスと、アルフレッドの父ジャンの生家のある、細々と小麦を生業としてきた衛星ブザンヌの対比には不思議なものがある。病弱な母を持つゆえに、父の実家で里子のように過ごしていたアルフレッド少年は、ここからランスを眺め、そしてその先に、まだ見ぬ東洋の国を夢見ていたのだろうか。